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【短編】妖精飛翔症

 十三のときに、突然私の視界は幸せに満ち溢れた。
 降り注ぐ太陽光は優しく笑い、鮮やかに反射した色数が少なくとも三色は増えたように見えた。
 まさに、私の世界は一変した。

 金色にも虹色にも見える空気の流れが渦を巻き、形を変え、素晴らしい文様が空中に描き出される度に私は声を上げたものだった。
 特に私が気に入ったのは、口をすぼめて細く息を吐く遊びであった。
 吐いた息は、空気中のものと少し違う。どう違うか形容しがたいが、強いていえばアルミが反射したときのような少し人工的な感じであったといえるかもしれない。
 やがて吐いた息が渦の中心で溶けて境界がわからなくなっていくのを眺めていると、この素晴らしい世界に私も組み込まれている幸福感を得ることができた。

 そして、私は妖精を見た。

 最初は光るものが飛び回っているなという程度だったのだが、段々と焦点が合うとそれが小さな人の形をしているのがわかった。体に対して大きな翅を背負っていて、いわゆる絵本に出てくるような妖精であった。
 翅は角度が変わる度に繊細なレースのような細やかな柄が浮かんでは消え、不思議でたまらなかった。触ろうとすると手をすり抜け、躍起になって追いかけたがついに捕まえられなかった。

 妖精が見えると言いながら庭を走り回る子どもを両親が病院へ連れていったのはごく自然な流れだっただろう。
 そこで私は「妖精飛翔症」だと診断されたのである。最もそれは俗称であり、正式な病名はもっと一般的だった。
 症例は極めて少なく、それらは全て十二歳以下で発症していた。十二歳以上の発症は私が初めてではあったが、二日前に十三になったばかりだった私はほぼ十二歳といっても差し支えなかっただろう。原因は不明、治療法もなく共通するのは、ある日突然妖精が見えるようになったという点。
 そして問題は、その致死率であった。
 発症してから一年以内に例外なく、一人残らず亡くなっていた。いや、交通事故や飛び降りといった死亡原因は妖精飛翔症と関係があるのか疑問が残る。

 しかし、私には決して関係ないものではないとわかっていた。大いに納得できるものだった。ああ、あれはそういうことだったのか、と。

 家にいると、妖精は私をよく窓へ誘った。
 私が三階の窓の前に立つと、窓枠から長い長い階段がのびていく。先は見えないが、先には楽しく素晴らしい、今よりももっと素晴らしい世界が広がっているという確信があった。あちらへ行ったらどんなに楽しいだろう。幸せだろう。
 妖精もおいでおいでと誘ってくる。


さあ、おいで。

窓を開けて、窓枠を越えて。

すこし勇気はいるけれど、思いきって飛んで。楽しい国へいこう。


 しかし、私の目にはその階段が透けて見えた。
 きっと、十三になった私に魔法は完璧にはかからなかったのだ。それを惜しいとも思えたし、良かったとも思えた。
 階段を渡ったらどうなるのか私は理解していた。
 妖精に向かって、行かないよと首を振ると妖精は残念そうに肩を落とす。
 そんなことを繰り返していると、透けて見えていたものが更に透けて透けて、ついに十四になる前に完全に見えなくなった。
 
 本当に楽しいこどもの国はあるのか、今でも私はふと考えることがある。そんなときは決まって、どこからか明るい子どもの笑い声が聞こえるような気がした。

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