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マウンティングする人の話

マウンティングする人の心理について。
誰でも一度は「ん…?」という違和感と共に感じたことがある感情ではないでしょうか。
私も先日、ある人に会って久しぶりに妙な気持ちになったので、これを機に考察してみます。

マンティングって言葉自体なんなのって感じですが、それは別の誰かが説明してくれるとして、私がこういう違和感を感じるときって、大抵私が発した言葉や事に対して、相手が自分はもっと優れていて良い条件の中にいるんだって示してくるときです。

またはその人自身がこれまで思い通りにならなかったことを、相手(私)が成し遂げそうなとき、それに対するネガティブな情報や心配事ばかりを並べてくるとき…

なんてイジワルなんでしょうね???

大体、100%完璧な人生を送っている人なんていなくて、日常的に人間関係を築くのに自分自身の半生や状況などいちいち説明しませんけど、ほとんどの人が何かを抱えて生きてるはずです。
その人が裏でどんな苦労をして、どんな辛い思いをしてきたかなんて、とてもじゃないですが他人には計り知れません。

個々人が出来ることは、理想に近付けるよう努力したり、実現がどうしても難しかったとしてもどこかで気持ちに折り合いを付けたりすることではないのか?
自分も相手も、全ては自分の人生で、自分自身が納得のいくよう選択してきたことのはず。

良い条件に恵まれているなら、それを噛み締めて暮らせばよくて、わざわざそれをひけらかす必要なんてないと思うんですが、そういった人たちって(元々イジワルな人もいるでしょうが)、大抵が『自分を認めて欲しい』という気持ちが強い傾向にあると感じます。
自己肯定感ってやつです。
いちいち周りから認めてもらわないと自分の存在価値を確認できないなんてめんどくさすぎですが、自己肯定感は幼少期にしか育たないそうです。大人になってこれを身につけるのって至難の業なんだそう。子育てにおいて気をつけようって思いますが、これが大人になっても構築されていない人とはこんな不毛なやり取りが発生するんですね。

マウンティングして、そのあと彼らはどんな気持ちなんでしょう。「あースッキリした」って感じなんでしょうか?
どうでもよすぎます、そんなスッキリのために他人を巻き込まないでくれって感じです。
マウンティングしたいとか、羨ましいとかいう感情が生まれたなら、どうせなら面と向かって「ちきしょー!!」って言われた方がよっぽどいいです。

マウントも優劣も羨望も、それはもはや太古から絶対的にあるものなのかもしれません。しかし現代において、そんなことよりも大切なことが、生きてく中ではもっとたくさんあるはずです。もっとシンプルに生きたい、行きたいと思ったお話でした。

おしまい


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