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【無職が1万円で好きな本を購入したら気分爽快すぎた話】#16

1.まずは今回の購入品一覧

・言葉の獣/鯨庭(リイド社)漫画
・今日の人生3/益田ミリ(ミシマ社)エッセイ漫画
・コーヒーにミルクを入れるような愛/くどうれいん(講談社)エッセイ
・クジラアタマの王様/伊坂幸太郎(新潮文庫)小説
・壁/安部公房(新潮文庫)小説
・なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆(集英社新書)新書
・ミルクとはちみつ/ルピ・クーア(アダチプレス)詩集
・水歌通信/くどうれいん×東直子(左右社)歌集
計8冊、合計10,637円(税込)

2.書店で爆買いの快感

読書離れ、SNSの普及、物価高、ペーパーレス、その他様々なことが騒がれる現代において、書店で書籍を購入する若者はマイノリティであるのだろうか。そういえば最近、31歳は若者ではないと元職場の同期に指摘された。「いや若いでしょ31歳は」と即座にツッコミを入れる私。
「若いけど若者じゃない。TikTokとかBeRealとかゼンリーとか使ったことある?」「ない」「じゃあ若者じゃない」と一刀両断されてしまった。それらを最先端の流行、若者たる証として良いのかは定かではないが、とにかくキラキラ輝くティーンエイジや20代の彼らが息をするように使いこなしているツールを「あーなんか若い子達がやってるやつでしょ?」と遠い目で呟いてる31歳はとにかく若者ではないらしい。
ひとまず私は若者ではないとして、では書店で書籍を購入する無職の31歳は果たして現代の日本にどのくらいいるのだろうか。
「ネットで買うから本屋には行かない」
「紙で買うと邪魔になるから電子で買う」
「活字は読みたくない、漫画は好き」
「そもそも本は読まない」
色んな声が聞こえて来そうだが、最後の声は一旦脇に避けておくとして、書店に行くことが困難ではなく、何冊か書籍を購入する程度には金銭に余裕があり、本を読むことに虫唾が走るほどの嫌悪感がないのであれば、是非一度試してほしいと思うのが、この「書店で爆買い」だ。
といってもワンルームに住む学生、少ない給料で生活する社会人、パートで働く女性など、生活環境はそれぞれだろうから、例えば半年に一度、予算1万円で、というのはいかがだろう。
私も今回初めて「本屋で1万円分本を買おう」と決めてから書店に足を運んだので(過去に気がついたら1万円分くらい買ってしまっていたということはある)、これを半年後にまた実現させるかどうかはまだわからないけど、とにかく決められた予算の中で「たくさん本が買える!」というのはなかなかの気持ちよさがあった。ちなみに4冊くらい手に取った頃にはそのずっしりとした重みが嬉しくもあり煩わしくて、久しぶりに書店で買い物カゴを利用した。

3.一旦「面白そう」を信じてみる

書店というのは、所狭しと書籍が並んでいる。
あっちを見ても本、こっちを見ても本、あそこも、あああんなところまで。こんなにたくさんある中で、どんな風に本を選べばいいか、これは非常に悩ましい問題である。
まず、私が書店に行く時のきっかけといえば、第一に「漫画の新刊発売日」が挙げられる。楽しみにしていたあの作品の新刊、待ち侘びたこの一冊、そういえば今日が発売日だ!といった具合に、「この日に買いに行かなければいけない」という使命感に燃えている。だから書店に行く。
とはいえ、毎日待ち侘びた漫画の新刊が出る訳ではない。
次のきっかけといえば、SNSで誰かが面白いと発信していた作品や、電車で見かけた広告の書籍、最近見た映画の原作、テレビで紹介されていた話題書、そんな「ちょっと気になっていた本」を出かけたついでに探しに行ってみる。わざわざではなく、外出のついでに。
私が書店に行くきっかけのほとんどはその二つで賄える。ただそのどちらのきっかけにしても、書店のレジに並んでいる時、私の手元には「思いがけず選ばれた本」が抱えられている。
恐ろしい。本当に恐ろしいところだと思う。
買うつもりなかったのに。
ていうか無職でお金ないのに私。
でも、あれだけたくさんある本の中で、出会ってしまうのだ。
まず表紙やタイトルに惹かれる。もし知っている作家の名前だったりしたら余計気になる。手に取る。可愛いイラストだな、綺麗な装丁だな、と表紙を撫でる。帯のコメントにふむ、と頷いてパラパラっと捲る。すると「あ、なんか面白そう」と思う。ページを捲る手が不意に止まって、ついそこにある一文を読んでしまう。そしてまた思う。
「面白そう、買って帰ろう。家でじっくり読もう」
そして、思いがけず選ばれた本を大事に抱えてレジに並んでいるのだ。あなおそろしや。一体どうなっているのだ。
勿論、それで失敗したこともある。あんまり面白くなかったなと読み終わってから首を傾げ続けた日もあれば、はて…難しくて何を言いたいのかさっぱりわからぬ…と途中で本を閉じた日もある。それでもこうして本を買い続けているのは、「面白そう」と思った自分を信じて買ってみた本が、「これはやばい、え、面白すぎる、なんでこんな文章が書けるんだ、凄い、読み終わるのが勿体無い」と興奮した時のゾクゾクする感覚を知ってしまっているからだと思う。
「勉強になった」でもいい。「ためになる」でもいい。「今の自分にピッタリ」でも、なんでもいい。自分が、この一冊をあの中から見つけた。探し当てた。その体験が、魔法のように思えてしまうのだ。

4.ずっと前から気になっていました

今回私が購入した「ミルクとはちみつ」という詩集は、ルピ・クーアが2014年に発表したデビュー作品で、なんと30カ国語に翻訳されているらしい。ずっと読みたいと思っていたのだが、近所の書店をいくつか巡っても在庫が無かった。できれば実店舗で購入したかったが、いよいよネット通販に頼るしかないかと思いかけたところ、三省堂神保町本店様(現在建て替えのため仮店舗)で巡り合うことができた。
この本は爆買いの翌日に一読したが、日をあけてもう一度、いやもう二、三度は読みたいと思っている。内側から絞り出されたような苦み、喉元に突きつけられた鋭利なペティナイフのような冷たさが折り重なっていて、一度読んだだけではうまく読み解くことができなかった。
けれど、こういった出会いこそが、書店で書籍を購入する意義になっていると私は思う。
ずっと前から気になっていた本が、たまたま行くことになった近所ではない本屋にあって、しかも「書店員のおすすめコーナー」の目を引く位置に平積みされている。ロマンチストでなくても、膝をついて「これは運命だ…」と囁かざるを得ないシチュエーションじゃないか。
こんな風に「ずっと前から気になっていた本」を見つけられた時の喜びはひとしおだ。それも、検索機で探す訳でもなく、店員さんに尋ねるでもなく、書店に入り、まず目を引いた特設コーナーに足を踏み入れ、そこで「あっ!」と思わず声が出てしまい、おそるおそるそれを手に取る。やっぱり運命でしょ?ジャジャジャジャーン!と頭の中で大音量が鳴り響くようで小気味良い。
あるいは、「すみません、今初めてお目にかかったんですが…こんなこと言うのも変なんですけだ、その、一目惚れしたみたいです」なんてのも運命だろう。今回の中でいえば「言葉の獣」だろうか。1巻だけお試しで購入したが、その隣に置かれていた2巻を買わなかったことを激しく後悔している。漫画は単行本でも電子でもそれなりに読むし、わりと色んなジャンルにアンテナを貼っているつもりになっていたが、初めて出会う作品だった。「もし言葉が獣の姿をしていたら」という帯のコメントと、表紙のユニークで美しいイラストに惹かれて購入を即決めた。しかも2冊目に選んだので、「ふっ、これを買ってもまだ8千円くらい予算が残ってるぞ」と謎にご満悦だった。
本作は家に帰ってからすぐに開いた。本を読むことが好きで本屋に行って本を買うが、だからといって外出から帰ってきてすぐに寝っ転がりながら小説を読める訳でもない。本を読むにはそれなりの「よっしゃ」が必要である。なんとなくコーヒーを淹れたりとか、しっくりくるソファーのポジションを探したりとか、そんな些細なことだけど、その些細なことを積み重ねた先に「よっしゃ」がある。そんな積み重ねを必要とせず、なんとなくパラパラ捲れるのが私にとっては漫画なのだ。気兼ねがないともいえる。

5.腰を据えないと読めない漫画もある

「言葉の獣」は、先に言ってしまえば「よっしゃ」が必要な類の漫画だった。
どんな物語かは是非こちらから。

これ、日本文学科出身だから響くのかな。
でも「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」…
国語の授業で「山月記」を学んだ記憶がある貴方へ。胸に手を置いてそっと問いかけてみてほしい。
この言葉に、じんわりと胸を射抜かれなかった?
私は射抜かれた。射抜かれて魅入られてしまった結果、日本文学科に進んだのかもしれない。
「言葉の獣」は漫画なので、勿論ストーリー展開の面白さや絵の上手さ?みたいなものが評価されるのだろう。
でも私がこの漫画で惹かれた、あるいは「よっしゃ」と背筋を伸ばし目を見開いたのは、「だって君、一つの言葉に対して考え尽くした事ある?」という小さな一コマ。
考えろ、考えて考えて考え尽くせ、考えるのをやめるな、と繰り返し何度も語りかけられているような気分になってきて、だらりと寝転んだままでは読めなくなった。
言葉を雑に乱暴に扱うのではなく、丁寧に慎重に、言葉を尽くすということ。
言葉を尽くすという意味では「違国日記」という漫画も大好きなので未読であれば是非読んでみてほしい。
ともかく、たいへん面白くて興味深い、2巻を買わなかったことをついつい嘆いてしまう一冊に出会えた。

6.積読を並べ替えてにんまりする

そんな訳で、1万円で8冊購入した私は、「今日はどれを読もうかなあ」と8冊の山を崩しては積み、また崩しては積んでいる。
素晴らしいラインナップだったなとにんまりしながら、今日読む本を選んでいる。
予算は1万円だったが、ルールを決めたのは自分なのであっさり無視して1万円以上購入した。税抜で考えれば1万円以内なのでギリセーフ。
平積みされている本を見ると、今どんな本が売れているのか、人気があるのか、話題になっているのかがわかる。特設コーナーを見れば、どんな本を売りたいのかがわかる。手書きのポップに気合が入っていると、本が好きな人が頑張っているのだな、と嬉しくなる。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という新書を買ったが、それはまさに私が働いていた時に本を読めずにいたからだ。
あんなに本を読むことが好きだったのに、全然読まなくなってしまったことが寂しくて悔しくて残念だった。
だから今、取り戻すように、貪るように、本を読んでいる。
読まなければ気づかなかったかもしれないことに出会ったり、知らなかったことを知ったり、新しいことに気がついたりする。
でも勿論、こんなにたくさん時間があっても「今日は本を読む気分じゃないな」という時もあるし、「1万円分の本を買っちゃうぞ」とワクワクする日もある。
次は何を読もうかな、来週はあの漫画の新刊を買いに行かなきゃ、そう思うだけで今日を生き延びられるような気もする。
新たな出会いを求めて、これからも私は本屋へと出かけるつもりだ。

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