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30代、ノープランで退職を決めました。無職はじめます#8

出勤日が、とうとう残り一桁となりました。
あと2ヶ月、あと1ヶ月、と数えていた日々が、両手で足りるだけになったことが、嬉しくて、ちょっとだけ不安で、まだ信じられない。

少しずつ、お世話になった方々へ退職のご報告をし始めました。
別れを惜しんでくださったり、応援してるねって声をかけてくださったり、本当にありがたい限り。ていうか、こんなに優しい人たちがたくさんいるのに、会社となると途端にしょうもなくなってしまうのはなんなんだろう。摩訶不思議。


メンタルを心配してくれた方もいました。
大丈夫?元気?辞めてからも会える?
そんな風に声をかけてくれて。

確かに、情けなさと苛立ちで涙がぶわっと込み上げてトイレに駆け込んだ日もあったし、満員電車に押しつぶされて、もういいや、このまま降りられなくてどこまでも行ってしまえと思ったこともあったし、会社の最寄駅で電車を降りられなくて、一つ隣駅のホームに立ち尽くした日もあった。
でもあのしんどい日々が退職することを決心させてくれたわけだから。ほんのちょっとだけブレイクしたメンタルだけど、今はすっかり元通りだから良しとしよう。
むしろ退職が決まってめちゃめちゃハッピー。
やってやったぜポジティブ退職。

さて話は変わりますが、先日映画館で「窓ぎわのトットちゃん」を観てきました。
めっちゃ泣いた。
そしてその足で原作を買いに行きまして、帰宅してその日に読んでしまいました。
また泣いた。
その感想もできればまとめたいなあと思っておりますが、ある台詞がめちゃくちゃ響いてしまったので、忘れないように残しておきたいと思います。

世に恐るべきものは「目あれども美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解さず、感激せざれば燃えもせず」の類である

いい言葉だ。すごい芯のある言葉。

昔の偉人が残した名言の引用かと思って少し調べてみたけど、そういう情報は見当たらなかったから、トットちゃん(黒柳徹子さん)の恩師である、小林先生オリジナルなのかしら。
小林先生の教育観というか、幼い子どもたちに真っ向からぶつかっていくための覚悟というか、熱意であり信念だな、と思わされる言葉なんだけど。
今の自分自身にとっても、凄く意味のある重たい言葉に感じられた。

会社という組織をより客観的に見たり、内部事情を目の当たりにしたりしたことで、
それこそ、「心あれども真を解そうとしない」ような文化が根付いていて、
わかっているのに、変えられない。
思っているのに、言えない。
感じているのに、伝わらない。
とかそんなことばっかりで、そんな状況がずっと続いていて、ぐるぐると同じところを回って先に進めないでいる。

本当はこうありたいという理想があるのに、そうありたいと願っているのに、だんだんそれらを全て諦めて、手離して、我慢してしまう。

そのうち瞳に宿っていたはずの光を失い、燃やしてきたエネルギーは尽き、心を殺し、いつしか「感激せざれば燃えもせず」の類になってしまう…

ひええ、なんて恐ろしいのか。

やっぱりこのままここにいたらだめだ。
そんな風に生きていくの、絶対いやだ。

「次を決めずに辞めるなんて、人生舐めすぎだよ」
「出勤さえしてれば良かったのに」
「無職なんて辞めた方がいいよ」

今のところ、退職報告をしてもそんな言葉を返してくる人は1人もいなかったが、もしかしたら心の中ではそう思われているかもしれない。
そこまでではないにせよ「再就職大変だよ?辞める前に転職活動しとけばいいのに」くらいには、思われているかも。

うん。思うよね、私もちょっと前まで思ってた。
次を決めずに転職するなんて無鉄砲にも程がある!不安すぎる!!って断言してました。

でも、それって結局、前に進むのが怖かっただけなんだよな。
ずっと同じところにいて、みんなと同じようにしてたら楽だったんだよな。
手を抜いてたんですよ、意図的に。
考えることを放棄したんです、自ら。

だからこそ、これから無職生活を始める私の決断が正しいか正しくないか、良かったか悪かったか、それは私が決める。
私の心に問いかけ続ける。
これで良かった?これで合ってた?これがやりたかった?って自問自答し続けていく。 

退職したあとの私が、あまりにもハッピーで、「退職して本当に良かったね」と誰もが言わざるをえないくらい、命を燃やしていられるかどうか、やり切ってみる。

ああでもやっぱり正直に言う。
自分の一世一代の決断に、大きく拍手をする準備は出来ている。

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