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🇫🇮 等身大のフィンランドvol.10

昨年の夏に「等身大のフィンランド」で取材させていただいたのがご縁で、フィンランド在住のヒンメリ作家、エイヤ・コスキさんからフィンランド語を習っています。

私とエイヤさんはまったくの初対面だったので、インタビューの序盤はお互いにとても緊張していたのですが、私が発したある言葉にエイヤさんが楽しそうに声をあげて笑う場面がありました。どうやら私が話すフィンランド語は、時々「古い」(いわゆる死語)らしいのです。

そのとき、ヒンメリの 〈 魅力 〉と表現するときに選んだ単語は、ヒンメリがはじめてフィンランドに飾られた時代と同じような時期に使われていたのだそうです。だからこそ、私の間違いはある意味では正解で、そのことがおかしくて笑ったのだと、あとになって教えてくれました。

昨年の9月から隔週でスタートした語学クラブには、インタビューでは直接お目にかかれなかったパートナーのカリさんも参加して、いろいろなお話を聞かせていただいています。

希望を繋ぐ 
日本とフィンランドの藁文化

先週は、フィンランドの古い言葉をいくつか教わりました。それがとっても面白くて、中でもライ麦の藁を使った慣用句 " Viimeinen oljenkorsi " (直訳すると、最後の麦わら、という意味)は特に興味深かったです。日本にも溺れる者は藁をも掴む、藁にもすがる思いという表現がありますが、それと同じ文脈で使われていたからです。藁が希望を意味するということです。

Lapuan Kankurit 表参道で撮影


日本とフィンランドの藁文化。フィンランドではライ麦の藁からヒンメリが、日本では稲の藁から わらじや蓑、笠、箒などたくさんの民芸品がいずれも手仕事で生み出されてきました。

📕 民藝の日本(日本民藝館監修 筑摩書房)

だって身の回りで使えそうなのは藁しかなかったんだもの、と考えることもできるけれど、一方で、暮らしの身近にあった藁は希望の象徴とされていたのです。私にとって興味深い発見でした。

栄養たっぷり!フィンランドのおふくろの味

稲とライ麦のことを考えていたら頭をよぎったのが、フィンランドのカレリア地方発祥のKarjalanpiirakka(カルヤランピーラッカ)です。さっそく作ってみることにしました。

まずはじめにミルク粥を炊いて、

次に少量の水でライ麦粉を捏ねて薄く伸ばして、 

小判のかたちに成形した生地に粥を包んで、

最後にオーブンで焼いて完成です。


必要なのは、ライ麦粉と牛乳、バター、卵、少量の塩だけ。塩以外は輸入に頼らなくても自国の製品でまかなえるし、フィンランドでは乳製品が安く手に入ります。

カルヤランピーラッカはそのままでも美味しく食べることができますが、フィンランドのお母さんたちに聞いたところによると、バターとゆで卵をつぶしてつくる「ムナボイ」を粥の上に乗っけて食べるのを激押しされました。

たまたま実家の母にたっぷりのムナボイをトッピングしたカルヤランピーラッカの写真を送ると「卵とバターで栄養たっぷりで安心だね」と返事がありました。それでふと考えたのですが、ひょっとしてフィンランドのお母さんたちも、戦時下や戦後の大変な時代に食べるものに困ったとき、家族に栄養をつけてほしいと思ってとりあえずこれ食べておきなさいと用意したのがカルヤランピーラッカなんじゃないかなとも思いました。

カルヤランピーラッカ発祥のカレリア地方はロシアとの国境にあり、国内でも戦争の影響を強く受けた地域の一つです。何度も国境線が引き直され、土地が奪われました。

コリ国立公園で撮影

フィンランド政府観光局は、2003年に発行した情報誌のなかで、カルヤランピーラッカをおふくろの味と表現していました。シンプルな材料で素朴な味わいなのだけど、家庭ごとにオリジナルのレシピがあるそうです。その話をフィンランドのお母さんたちに紹介したら、カレリア地方にルーツをもつ方々が子どもの頃の思い出を聞かせてくれました。週末になると、お母さんやおばあちゃんが家族のためにたくさんのカルヤランピーラッカを用意してくれたのだそうです。クオピオ出身のエイヤさんもその一人です。

今度、私がエイヤさんとカリさんのもとを訪れるときには、一緒にカルヤランピーラッカを焼こうと約束しています。もちろん、カリさんが祖父母から受け継いだ有機農場で、化学肥料や農薬に頼らず、丁寧な土づくりをしながら育てたライ麦の粉を使うのだそう。今からとっても楽しみです。

ことばが生きる場所

今は男女平等で女性活躍の先頭を歩くフィンランドですが、数十年前までは今の日本と同じような状況だったそうです。貧しさゆえに女性も働きに出て、男性と対等に渡り合えるスキルを身に付けなくては国家存続の危機にあった時代があったのです。

フィンランドで、おふくろの味という言葉はそれこそ 死語 なのでしょうが、このカルヤランピーラッカを語る文脈ではふさわしいような気がしてます。

〈 等身大のフィンランド 〉をスタートさせてもうすぐ1年を迎えます。不定期の更新にもかかわらず、リアクションを届けてくださる皆さんのおかげで三日坊主にならずに続けられています。

フィンランドを主語にして語られる物語のほうが圧倒的にわかりやすくて、需要もあるのかもしれませんが、やっぱりわたしは、生活者を主語にして語られる、等身大のフィンランドの物語に惹かれます。


実は昨年の暮れから、フィンランド在住のノンフィクションライターで、これまたインタビューがご縁で親交を深めたモニカ・ルーッコネンさんとあるプロジェクトをスタートさせました。私たちの物語をご紹介できる日は、いまはまだ遥か遠くにかすんでみえる程度ですが、夢を叶えるその日まで、言葉を尽くして伝える切実さを大切に、語学クラブや等身大のフィンランドなど、私なりのやり方で表現を続けていこうと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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