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きみちゃんのこと

赤い靴〜 履〜いてた〜 女の子〜 い〜じんさんに 連〜れられて 行っちゃった〜♪♪

童謡『赤い靴』の中の、赤い靴を履いた女の子は、外国人に連れられて外国に行ってしまった、のですが、この歌のモデルきみちゃんは、実は外国に行く予定だったのが病気で行けなくなり、麻布十番の孤児院で亡くなりました。

「えっ麻布十番?横浜でなくて?」
と思う方も多いでしょう。
横浜の山下公園にある、「赤い靴はいてた女の子像」は有名ですからね。

きみちゃんは、赤い靴を履いていたかどうかは分かりませんが、アメリカ人宣教師夫妻の養子となって、一緒にアメリカに行くはずだったのに、麻布十番の孤児院に預けられ、9歳で結核で亡くなったのです。

麻布地域の地域情報誌『ザ・AZABU』に、以前面白い記事が載っていました。
なんと、『赤毛のアン』の日本語翻訳者村岡花子さんが、当時孤児院にいたきみちゃんと出会っていたらしいのです。

吉高由里子さん主演の朝ドラ『花子とアン』を観ていた人はご存知かもしれませんが、村岡花子さんは、麻布十番の鳥居坂にある東洋英和女学院の給費生でした。給費生は必修として、「永坂孤女院」という孤児院で、教師のボランティアをしなければならず、ちょうど村岡さんがボランティアをしていた時期と、きみちゃんが「永坂孤女院」にいた時期が重なるんだそうです!

驚くべきことに、児童向けに多くの作品や翻訳本を手掛けた花子と、童話のモデルとなった少女が、明治の末、麻布の一隅で出会っていたというのである。

『ザ・AZABU 』Vol.31 P.6

https://www.city.minato.tokyo.jp/azabuchikusei/azabu/koho/documents/azabu31-j.pdf

(6ページ目、右下の「童謡『赤い靴』のモデル佐野きみとの不思議な出会い」をお読みください!)

3歳で母親と別れ、9歳で孤児院で亡くなった、可哀想な子、きみちゃん。でも何かspecialな子だったのでしょうね。麻布十番でも、きみちゃん(像)は街のど真ん中にいて、とても大事にされています。たくさんの人が毎日その前を通り、時々足を止めて可愛い小さな女の子に思いを馳せます。歌も作られ、童話も作られ、ずっと人々に思い出されるきみちゃん、きっと可愛くて素敵な女の子だったのでしょう。

コロナの時は誰かがマスクをかけ、寒くなると誰かがマフラーをかけるきみちゃん像、今日通ったら、バレンタインのお花を持っていました。


麻布十番のみんなに愛されるきみちゃん

by the way, 村岡花子さんの直球な和訳は有名ですが、私も初めて村岡花子さん訳の『赤毛のアン』を読んだ時(7歳ぐらいの時かな)、アンが「おお、マリラ」と言うのを読んで、衝撃を受けたのを覚えてます。「おお」って何?みたいな。他にも色々、カルチャーショックを感じる文章でした。でも大好きでした❤️ 子供の頃、日記は、アンネ・フランクを真似て、「親愛なるキティへ」ではなく、「親愛なるアンへ」で書き出してました。そういえば、日記によく「私もダイアナみたいな腹心の友が欲しい」って書いてたなー。うわー、懐かしい「腹心の友」。文学少女だったusakoでした。。。

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