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余命宣告を受けてさらに輝く人生

今日2024年8月18日のヤフーニュースで森永卓郎さんの記事が紹介されていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fff676882bd179fa3eff72e2a492d77accef6d8d

森永さんは昨年11月にステージ4の癌で来年(2024)の桜は見られないと余命宣告された。

余命宣告をどのように受け止めて、残りの人生をどのように生きるのか。

「真っ先に、何が何でも未完成の新著を刊行し、真実を世に問わなければ、と強く思った」

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そして息子さんに口述筆記をしてもらい「書いてはいけない」を世に出す。

私もこの本を読んだけれど、長年シンクタンクで働いていた森永さんらしく、客観的な事実や外国の事例、統計学上の数字を用いて、自分の推測と事実をはっきりと分けながら説得力のある気迫に満ちた1冊だった。

このように余命宣告されてから、さらに自分の使命にはっきりと目覚めて前に進む森永さん。

「健康だったときは、マラソンを走る感覚で仕事をしていました。マラソン走者はペース配分を考えたり、水分補給のタイミングを意識したりしなければなりません。しかし余命宣告後は100メートル走のランナーになったような感覚で仕事に取り組んでいます。短距離走者は、余計なことを考えず走ることだけに集中します。それと同じで、残された短い時間で、やりたいことを好きなようにやるぞという心境です。」

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100メートルランナーになった感覚で余計なことを考えずに走ることだけに集中する。

その生きる姿勢は迫力に満ちた美しさだと思う。

私の母も20年前にステージ4の肺がんと診断された時、ほんの数日間はショックを受けた様子を見せたものの、そこからの切り替えがすごかった。

母はそれまで人にどう思われるかばかりを気にして迷走していた(ように見えた)。

癌ではないか、と疑っていた期間も不安と心配であまり元気がなかった。

それが「ステージ4の癌です」と宣告されてしまえば

「癌なのではないか」という人生最大の不安から解放され

「残り少ない人生をちゃんと生きよう!」とスイッチが入ってしまい

そこからは見たこともないような張り切った人生となった。

それにしても余命宣告って不思議といえば不思議。

人はいつ死ぬか、どのように死ぬか誰にもわからない。

余命宣告なんてあってもなくても、人は突然死ぬこともある。

毎日、新しい日が用意されていることも当たり前ではない。

毎朝、目が覚めることも当たり前ではない。

私は今のところ医師からは余命宣告は受けてないけれど、私の余命はあと数日かもしれない。

仮に癌や難病で余命宣告されたとて、通院中に交通事故に巻き込まれるかもしれない。

癌だから癌で死ぬとは限らないのだ。

このヤフーの記事に素晴らしいコメントがついていた。

膵臓がんでステージ4,余命半年とされた方のコメント。

「私の場合半年の猶予が有ったので身辺整理や会いたい人にお別れを告げれ、行きたい場所に行き、食べたい物を食べ、仕事もギリギリ迄する予定です。
葬儀や埋葬も子供達と話し合えてるし遺産についても記しておけました。
満足出来る最期を過ごしています。」

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理想的な余生の過ごし方。

そしてちゃんと葬儀についてもご家族と話し合われて、ご自身で「満足できる最期を過ごしています」といえる人生。

余命宣告されてもされてなくても、こんな風に生きたいと改めて思いました。

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