「生きてさえいてくれたら」は親のエゴか

息子が生まれた日、看護師さんに言われた。
「息子くんに会いにNICUに行きましょう。」
帝王切開で麻酔から覚めたばかりだった。
まだ尿管もついているような状態だったと記憶する。
当然歩けるはずもなく、私はベッドごとNICUに運ばれた。

何でこんな強引に息子に会わせようとしたのか、息子を見たらすぐにわかった。
「あ、これはもうやばいな。」
数えきれないくらいの管につながれた息子は口に挿入された人工呼吸器の圧力で風船みたいに膨れたりしぼんだりしていた。
自分で呼吸できていないのは明らかで、生きているというよりは「ぎりぎり生かされている」状態だと一目で理解できた。

「これから人工肺を取り付ける手術をします。」
説明は淡々と進む。不思議と涙は出なかった。
なんていうか、息子の状態があまりにひどくて、本人じゃない私が泣くのは違うなと思ってしまった。

「この手術で死んでしまったら、この子は痛みしか知らずに死ぬのだな。」

触ってあげてくださいと言われ頬に触れたが当然反応はない。
息子は眠ったまま生まれてきて、人工呼吸器を入れられて、点滴をさされたり、尿管さされたり、ドレーン管をさされたりしている。
息子に少しでも意識があった期間があるのなら、苦痛でしかなかっただろうと思った。
お腹の中にいたときの方がよほど幸せだったろう。
いっそ、その状態で終わっていた方が息子は幸せだったのではないか。
最悪な考えだが、ぐるぐる同じことが頭を回って、止まらなかった。

「どうか、息子が一度でも『生まれてきて幸せ』と思える瞬間がありますように。」

そう祈った。
長くは生きられないかもしれない。
でも一度でも痛み以外の温かさを、生まれてきた幸せを感じてほしい。

「今生きてくれさえしたらそれ以上何も望まない。」
そう心から、願った。

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しかしまあ、そんなわけにはいかないと気づいたのが、6年後の今である。

息子はこのあと奇跡的な回復を見せ、ぱっと見は普通の子と変わらず成長した。もうすぐ小学生になる。
こども病院も通っているのは眼科だけで、運動制限なんかもない。

しかし、最近息子の発達が、気になり始めた。

息子は泣くと呼吸がしんどくなってしまったので、生まれて2か月薬で昏睡状態にされていた。
量は減っても半年くらいはその薬が続いたから、その影響は当然ある。
また、1歳に入ったくらいで風邪で二度ほど呼吸器挿管に至る入院をしていおり、そのたびに数日昏睡を経験した。
昏睡のたび、歩けなくなったり話せなくなったり、数か月分の成長が消し飛んだ。

3歳になる直前、人工肺をつないだことで脳への影響がないか調べるためにMRIと発達検査を受けた。
MRIでは小さな脳内出血が少しあった。
発達検査は1歳くらい指示の通り方の部分が遅れていたが、昏睡の影響だろうと誰もそんなに重く受け止めなかった。

「生きてるだけでもがんばってるよ。」
こども病院の先生も、乳幼児健診の担当者も、かかりつけ医も
ママ友さんも、幼稚園の先生も、もちろん家族である私たちも
みんな口をそろえてそう言った。
今でもその気持ちはやっぱりある。

息子はそのまま1歳遅れた状態で年長になった。
「幼稚園は行っちゃえば周りにもまれて追いつくかな?」
そんな淡い希望は残念ながら叶わなかった。

そして、小学校入学は待ってくれない。

年長最初の懇談で、担任の先生に「正直遅れを感じますか?」と聞いた。
先生は遠慮しながらもはっきり、客観的な意見をくれた。
その先の道筋も、ちゃんと示してくれた。
「生きてるだけでもがんばってる」と濁してくれなかったこと
今でも本当に感謝している。私も、覚悟が決まった。

ここまで来て「生きてさえいてくれたら」は親のエゴだ。

息子の人生は始まっている。
前が見えなかったあのときと違い、長い長い旅路が息子の前にもうある。
そこで「生きてさえいてくれたら」と息子をにこにこ見守るだけなのは
あまりに無責任だ。

「生まれて1つでも幸せを感じてくれたら」というのは過去の話だ。
息子はもっと欲張っていい。たくさんたくさん幸せになってほしい。
ただ「生きている」だけじゃなくて楽しく幸せに生きてほしい。

「生きてさえいてくれたら」と手を差し伸べないのはもうおしまい。

息子が楽しく生きられるように、精一杯いろんな可能性を考えてあげたい。
こども病院にお願いしてもう一回発達検査をした。
なるべく早く療育につないであげよう。支援級も視野にいれよう。
私も息子が育つ教え方を学ぼう。
息子が息子のペースで、でもその中の全速力で走れるように。

「生きていてくれさえすれば」そう思う気持ちは今でもあるけど
だからって期待しないのは違ったのかもしれない。

息子の発達について、お義母さんに相談したときにも言われた。
「息子くんに何かしら支援が必要なのは、私も思ってた。要ると思う。
でも、私は逆に息子くんにはおおいに期待しとるんよ。」

私もおおいに期待しよう。
何になってほしいとかそんなのじゃなくて
息子がたくさんたくさん幸せを感じられる未来が訪れることを
楽しみにしていたい。

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