科学記事に擬人化はどこまで許されるか

正直月末になり、やることはいっぱいあるのだけれど、どうしても書かずにいると頭の中が持っていかれそうなので書いておくことにする。

ベニガオザルが死亡個体に対し交尾行動を取った、という報告が話題だ。

この報告の主旨は「ベニガオザルの死生観」である。
性行為は子孫を残すために行うので、子どもを生めない「死体」に行っても意味がない。つまり「死体」に対して性行為を行うということは「死」(=生物として「終わった」状態であること)という概念を持っていないのではないか、ということだ。
この報告は人間以外の動物が「死」をどのようにとらえているか知る上で、とても大切だと思う。

このため、たくさんの新聞社や科学メディアで取り上げられているこの研究だが、一部の記事で「屍姦」という言葉が使われ、非難の声が上がっている。
屍姦という言葉は、死体に対して姦淫する人間の性的嗜好を表す言葉だ。
「姦」という漢字には「道に外れた性行為」という意味があるので、この言葉は単純に「死体に対して性行為をする」という行動のみを指す言葉ではなく倫理的にネガティブな感覚を背後に持つ言葉だ。
プレスリリースの中で、きちんと赤字でこんな文面が書かれている。

※なお、本研究は、ヒトで見られる「屍姦」を肯定するものではなく、またその生物学的進化起源に ついての示唆を与えるものでもないことを申し添えます。本観察事例の誤った解釈は社会的秩序に反 する議論を喚起する危険性をはらんでいるため、報道機関・メディア各位におかれましては、本事例 の取り扱いには細心の注意を払っていただきたく存じます。

京都大学

ここまで書いてもタイトルに「屍姦」を入れ、「死体と性交」の部分のみをセンセーショナルに取り上げた記事があるのだから驚きだ。
とても悲しいことだと思う。
ただ、過去に科学メディアで書いてた者として全くそんな記事を出す背景がわからないわけではない。

残念なことだが、科学記事、というのはとにかく読まれない。

ネットニュースに対して、人々が求めるのはやっぱり「身近さ」だ。
自分の生活に関わる損得の話や、住んでる場所で起こったニュース、
よくテレビで見る芸能人のスキャンダルなどと比べると
やっぱり「科学」というのは一般読者から遠い。

だから科学記事を書くライターは様々な手段で「身近さ」をアピールする。
その研究から発展して得られる最新の技術で生活がどう変わるとか
研究結果を生活の中の「あるある」にあてはめて語ってみるとか
動物の研究を、まるで動物が人間の価値観で生活しているかのように
「擬人化」して書く
とか。

動物の話題で擬人化を使うのは、科学記事以外でもよく取られる手法だ。
本来動物には人間とは全く違う価値観があるはずなのだけれど
それを近しい(と思われる)人間の言葉に当てはめたりする場面は多い。
そういう「動物の擬人化」で、動物が「モノではない」という認識が高まったり、動物の嬉しいことやストレスへの理解が進んだりしている部分もあるので、一概には否定できないけれど、こと「科学記事」という点においてはかなり使い方に気を付ける必要があると思う。

動物に「人間の価値観」を押し付けてはいけない。
それはつまり動物を「人間の価値観」で語ってはいけないということ。

私は研究者ではなく、科学記事のライターだ。
研究者が正確な表現をするために難解になってしまったものを噛み砕いてわかりやすく書くのが仕事なので、正確さが原文より少しぶれてしまうことはもちろんあるのだけれど、それを「断定して書かない」ことが最後の砦だと思っている。

例えば、擬人化なら、隠喩ではなく直喩を使うだけで印象が変わる。

チビは新しい餌を「おいしいおいしい!」とガツガツ食べ進めます。
→チビは新しい餌をガツガツ食べています。「おいしい」という声が聞こえてきそうです。

前者はチビを完全に擬人化しているだけだが、後者は擬人化した「飼い主」が見え隠れする。それだけで、この擬人化があくまで「飼い主目線」のもの、つまり、単なる想像であることを示すことができる。
「~みたいに見える」「人間でいえば~というところだろう」とか、こういう表現方法はいっぱいある。

もちろん今回冒頭のケースは注意書きが最初からあるのだから
「人間でいえば屍姦」みたいな書き方はNGだろう。
ただ、どうしてもそういう表現を文中に上げたいのであれば、SNSの反応としてそういうのがある、みたいに書いて、そのあと注意書きにつなげるみたいな書き方もあったんじゃないかなぁと思わずにいられない。
「いえあくまで比喩として『屍姦』という表現を使いました。『~みたいなもの』はタイトルとして字数も多いので省略しただけで。」みたいな言い訳も聞こえてきそうだが、読者の誤読を期待したことが目に見えている。

サルは動物の中でも、擬人化の被害を受けやすい。
「人間に似ている」という点しか身近さを認識しにくいからだ。
今回の騒動で、大学の頃授業で「ボノボの自慰行為」の話題がでたときに
下品な笑いを浮かべていた学生たちを思い出した。
サルを「人間に似た人間より下のもの」として、人権で守られてるものをすべて取り去って笑うのは、あまりにもみっともない。

人間に人間の価値観があるように、動物には動物の価値観があることを忘れてはいけない。そこに上下がないことも。
そしてその動物の価値観を研究者たちが一生懸命研究して解き明かした結果をライターが人間の価値観に当てはめて語るなんて本末転倒だ。

動物の気持ちを理解したい伝えたいと思うとき、擬人化という手法をとってしまうことはこれからもあるだろう。
ただ、そのときは「人間の価値観で語ってしまって恐縮ですが」という気持ちをちゃんと持って、「これは人間である筆者がわかりやすいように人間の価値観に焼き直したものですよ」というのをわかりやすく示したい。
とても難しいけど、そこは絶対、あきらめたくない。

改めて、そう感じた出来事。

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