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小説『ヌシと夏生』4_地蔵

「……見つけた人いるんですか?」

つられて夏生の声も小さくなる。

「ずっと昔にいたみたいって」

「なるほど……」

「昔話よ」

大切な打ち明け話のように語ると、おばあさんがふと、空を見上げる。

「もし、うろこ見つけたらどうします?」

夏生の質問に、「そうねえ」と前掛けの前で腕を組んでちょっと考えるような顔になる。

「もうちょっと若くなって東京に出て行きたいかもしれないねえ……」とまたアハハと口を開けて笑う。

「まあお兄ちゃんもうろこ拾って。素敵なお嫁さん下さいってお願いすると良いよ」

「いえ。まあ……」

「さっきから何話し込んでんの?何?東京から来たの?」

二人の会話を遠巻きに見ていた人々がわらわらと来る。皆元気そうだが、もう七十歳は軽く超えているだろう。絵に描いたような過疎の村、高齢者の村だ。

「せっかくだから、お兄さんもやってみな」

頭に毛のないおじいさんが、夏生も山崩しに参加するように勧めてくる。

「あたしも今、飛び込んだら?願い事が叶うよって言ってたんだよね」

おばあさんが言うと、「ただ飛び込めばいいから」とか「願い事なんでも良いからな」と、口々に夏生をけしかける。仕方がない。服が藁まみれになるのは嫌だけど、この雰囲気を壊す度胸はない。

「持っててあげるよ」

というおばあさんの好意に甘えて、「すみません」と飲みかけのジュースと眼鏡を渡すと、リュックを地面に下ろした。

「じゃあ」と、藁山に向かってバタバタと助走をつける。
走るのは久しぶりだった。足を動かすのってこんなに難しかったか?脳が出す指示と、足の動きが完全にずれてる。そんな夏生の走る姿が気に入ったらしい。子どもたちが笑い声をあげる。
「おっさーん」「遅えー」という声援だかヤジだかを背に受けて、走る。走って走って、目をしっかりつむって藁山に飛び込んだ。ぼふっと顔に藁が当たってちくちくする。干したての布団の臭いがする。

「お嫁さんお願いしたがいい」

おばあさんの声が聞こえる。どうして独身だと決めつけるのだろう?独身だけど。このままずっと独りで残りの人生を生きていくんだろうか?ふと不安にもなる。

「お嫁さん……じゃなくても良いけど、もし許されるのなら、ずっとそばにいて味方になってくれる人。一緒に助け合って生きていけたら……」

藁の中で小さな声で口に出してみる。お祭りだし、願いたいことに遠慮する必要はなかろうと思いつつ、恥ずかしくなった。それにしても、藁に埋もれるのって想像以上に気持ちが良い。

「ん?」

左手の指先がくすぐったい。
ひんやりとなめらかな感触。

「ぎゃあ!」

藁から手を出して思わず悲鳴をあげる夏生のもとに、「どうした?」と人々が駆け寄ってきた。小さな真っ白な蛇が左手の手首に巻き付いて薬指をなめている。

「こりゃあ白蛇さんだね」

おじいさんが蛇の頭をきゅっと掴むと、木立の方に投げた。
「ほらお神酒。お神酒飲んで」と、口々に囃し立てられる。
紙コップが渡され、お酒が注がれる。
流れに逆らえず、とにかく注がれた酒をぐっと飲み干すとどっと拍手は起こった。

「うろこはあったのかい?」

おばあさんが一升瓶を手に「ほら空けて空けて」とコップにさらに酒を注いでくれる。

「うろこなんてなかったです。今の蛇、毒蛇とかじゃないですか?」

「うーん。マムシじゃないなあ」

「うろこなんてあるわけないよ。昔話だもの。それより酒はどうだ?」と口々に言いながら酒を注いでくる。

「どう?美味いだろ?」

「美味いです」

「だろ?実はこの酒には秘密があってな」

おじいさんがいたずらっぽく笑う。

「秘密ですか?」

「龍のうろこを酒樽に入れたんだ。美味しい酒ができますようにって」

「龍のうろこ?本当に?」

たった今、「昔話だからうろこなんてあるわけない」って言ったばかりでは?

「そうよ。樽の底にあるって話だ」とむしろ得意げだ。羽織った法被の襟には「龍神酒造」の文字が染め抜かれている。

「もしかして、おじさんのところが酒蔵ですか?」

夏生の質問に、龍神酒造のおじいさんは「まあな」と得意気に笑う。

「龍のうろこはどうやって?藁山にあったんですか?」

「俺が子どものころに祖父さんに聞いた話じゃあ、昔、旅の女の人を泊めたら、翌朝お礼にって大きなうろこみたいのを置いて行ったんだな。なんだ?って思ってたら夢にその女の人が出てきて、うろこのお酒を造るようにというお告げがあったと。まあそんな風に伝わってる。おかげでうまい酒が出来たと。だから旅人にはとにかく親切にしろって、家訓が残ってるよ」

「親切にしておいてその何倍も取り返せって話だろ?」赤ら顔のおじいさんがつっこむ。

「うちの婆さんがまだ子どもだったころに聞いたって話だとな……」

紙コップに次々と注がれる酒を飲んでいると、さっきの感触がよみがえってくる。生まれてはじめて蛇にさわった感触は、思っていたよりなめらかというか……。

酔った高齢者たちが口々に語り出す話をまとめると、昔はヌシもわりと頻繁に人の姿を借りて、村へ訪れていたらしい。時には子どもと遊んだり、時にはいたずらをしたり。中には聞いたことがあるようないろんな昔話とごっちゃになっている気もするが、何だか楽しい。

「でも、あれだな。最近は、ヌシ様がいたずらしたらすぐにインターネットとかテレビとかで騒がれちゃいそうだな。ばれないように隠すのは大変だろうな」

「だな。ヌシ様の姿が写ったら大変だ。でもここじゃあそんな奴はいないか?」

「そんな、今でもヌシ様って信じられているんですか?」

夏生の質問に一瞬、場が静まり返る。

「そりゃ、いないけどさ。もしも、本当にいたら大変だなって話さ。こんな体も動かないようなジジィとババァばっかりで、ヌシ様のいたずらの後始末すんの大変だなって」

赤ら顔のおじいさんの言葉にどっと笑い声が起こる。そんな会話が飛び交うほど、ヌシ様の身近だということなのだろう。

「お兄さんもヌシ様のこと、ほかの人に言っちゃだめだからね」

「言いませんよ。約束します」

勧められるままに、夏生もまた、お酒のカップを空けた。たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。でも、ものすごく眠い。おじいさんたちの声がどんどん遠くなっていった。

「どうするのさ。祭りにまで出ちゃって。白い酒飲ますか?」

「そこまでは、いいだろう。お地蔵さんが何とかしてくれるさ」

「そうだな。お地蔵さまに任せておくのが良いな」

遠くの方から小さな声が聞こえてくる。
目を開けると、おばさんが忙しそうに片づけをしていた。

「これから社の中に移るけど、お兄さんには申し訳ないけど、村の人しか入れないんだ」

さっきのおばあさんの声で目が覚めた。酔って眠ってしまったらしい。気付くとレジャーシートの上に横になっている。おじいさんたちが、社に入っていくのが見えた。

「どうするの今日は?泊まってくんだったらここには宿がないから。うちに泊まってくか?」

慌てて時計を見ると、もう四時半を回ってる。そろそろ戻らないと上りの電車が来てしまう。もう村の雰囲気は十分わかったし、偶然とはいえお祭りにも参加できた。今から戻れば最終の新幹線で東京に戻れるだろう。最悪、どこか乗り継ぎの駅でネットカフェかどこかに泊まれば良い。

「ありがとうございました。もう帰ります。お酒ごちそうさまでした」

「もう帰るの?」

「またおいでねぇ」

老人たちのちょっと陽気な声に送られて石段を下りる。鳥居を出たところ、そういえば神社には一度も手を合わせていなかったなと思い出したので、とりあえず頭を下げておいた。
祭りの場を離れると、人の気配は一切消えた。

「楽しかったな」

まだ少し酔いが残っているせいか、素直に言葉が出た。
龍が山を切り開いたという伝説は、おそらく一部は本当だろう、と夏生は思う。土木工事に精通した誰かが、新しく田畑を開墾した。そうした出来事が時の流れの中で脚色され、伝説として語り継がれてきたのだろう。酒蔵を訪れたという旅の少女の話も。旅の女性は確かにこの地を訪れたに違いないし、酒蔵もその旅人に宿を貸した。その事実が酒の広告宣伝のために脚色され、製造秘話という物語になって今に伝わっている。伝説の正体とはだいたいこんなものだろう。思いがけない休みをもらったような、得をした気分。美津さんはなじめなかったようだが、こんなところで暮らすのもありかもしれない。

ふと視線を感じて、夏生は立ち止まった。
何もない景色の中に、コイン精米のスタンドとお地蔵さんが立っていた。一瞬立ち止まって手を合わせたものの、特に願うこともなく、ただ頭を下げて通り過ぎる。視界の隅に、お地蔵さんの足元に置かれたガラスの瓶にささった白い花が風に揺れているのが見えた。

静寂。

自分の周りの空気が一気にどこかに流れ出てしまったかのような心細さに、鳥肌が立つ。お地蔵さんの後ろには、刈り入れを終えた田んぼが広がっている。

少し歩いたところで、再び誰かに見られているような気がして、思わず辺りを見回した。スマホを出して電車の時刻を見る。こんな何もないところでも電波は通じるからすごい。

こぢんまりとさびついた駅舎の朱色の屋根を午後の陽が包む。まばらに数字が刻まれた時刻表。次の電車の到着まで後十五分ほどあるが、この電車に乗れば今夜中には帰れそうだ。

無人の改札は数時間前、夏生が到着した時と何一つ変化はなかった。カードをタッチする機械も改札口の横に取り付けられていたけれど、久しぶりに切符を買ってみたくなって、夏生は券売機の前に立った。運賃表を見上げると新幹線の乗換駅までだけでも千円以上する。

誰かに呼ばれたような気がして振り返ると、夏生のすぐ後ろに髪の長い女の人が立っていた。切符を買おうとしているのだろうか。急いで初乗りの運賃のボタンを押してその場を離れた。切符が買いたかっただけだし、出るときに清算すればいい。タッチパネルじゃない券売機も、どこか懐かしい。

今日は楽しかった。

待合室のベンチに腰掛けてスマホを出す。美津さんに出張が終わったことを簡単にまとめて、メッセージを打っていると、さっきの女性が視界に入った。顔を上げると、目の前に立っている。

真っ白なワンピース。あらわになった肩からほっそり伸びる真っ白な腕。
……寒 くはないのだろうか?

見ていることを悟られないように、スマホの画面を見ながら、上目遣いにもう一度、視線を彼女に向ける。

カラスの濡れ羽色とでもいうのか、真っ黒な髪がまっすぐ伸びている。そして足元は……、裸足?

切れ長な目が夏生の目をとらえた。期待に満ち溢れた瞳が、嬉しそうに輝いている。

(つづく)

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