つながらない世界

誰かが見ているんだからあとに残ってもいいことを書かなきゃ、って。
それは本当のことだと思うけど。
そもそも、誰かが見ている、自分の書いた言葉を見ていて当たり前、と思ってることの方が本当はやばいんじゃないのか。

見てないよ、誰も。
それは数字でも反応でもわかるし、伝えたいことがあればあるほどもっとはっきりと感じることではないかと思う。
常にその気持ちを味わっていると、どうせ誰も見ていない、と何気なく呟いた本当の独り言にだけ過剰に反応されて驚くし、軽い絶望感にも襲われる。
あの人は、いつも自分が世界中から注目されている、と思って生きているのだろうか。
人が本当に注目しているのは自分自身だけだ。あの人の感じている「世界中」は、たぶん「自分一人」だったのに。

私は2年以上はてなブログを書いている。
始めた理由はいろいろだったけど、結構大きな理由としてあったのが「生存報告」だった。
更新が止まったら、何かあったと思って欲しい、という警告の機能をブログに持たせることにしたのだ。早く見つけてもらわないと、たぶんいろんな人が困るから。

でも、本当はそんな機能をブログに持たせる必要はない。
普段から「孤独」でなければ、普通は何かあったら気がつかれるからだ、リアルに。
そう、私には何かあっても、リアルに「気がついてくれる」人は居ないのだ。

「私はこんなに苦労しました!でも今こんなに頑張ってます。あなただってできるよ、努力が足りないだけです」
みたいなアピールをしてる人をよく見かけます。頑張ったんだから、すごいなと思うし幸せになって良かったです。
でもその人たちを見てるとね、「完全に孤独だった人」っていないんですよね。
家族なりパートナーなり、せめて親しい友達なりが、ちゃんといるんですよ。

ひとりじゃなかったら生きていけますよ。たぶん当たり前ですよ。
一緒に生きていこうとしている時点で、お互いに支え合うつもりがあるでしょ。
お金の心配だってたいていはしなくていいわけで。
あなたが今幸せなのは、そばにいてくれた人のおかげですよ。
あなたがつらかったこともわかるけど、その上で。
それくらい、「孤独じゃない」ことは最後の、そして最高のセーフティーネットだと私は痛感しています。

まったく無の状態で、たったひとりの状態で、そこから這い上がった人の話ってどれくらいあるんだろうか。
あんまりない気がするんですよね。
たぶん、それかなり厳しいからです。
孤独は、人を壊してしまうんですよ。

もう、何年も。
電話をしても、折り返しはなくて。
メールをしても、返事はなくて。
たった一通か二通、軽い内容でそっと送っても、それにすら返答はなくて。
ずっと大変な状況だってことを知っていても、生きているかどうかすら気にかけられていなくて。
たった一度や二度、つらいと話しただけで、自分の手には負えないからともう二度と関わろうとはしなくなる。

大規模な災害が発生したときにすら。まさに災害の渦中にいるならわかるけど、皆安全な地域にいて余裕があっても、連絡のひとつもなかった。

私は「命」じゃないんだと、あのときに悟りました。
生きていることを、誰にも望まれていなかった。

目が覚めるたび、なんで目が覚めてしまうんだろうと思います。
凄惨な事件が起こるたび、誰でも良かったのなら私を殺せば良かったのに、と思います。誰も悲しまないのに。
「あなたの命はあなただけのものじゃないのよ」って言ってきた人がいます。
いいえ、私の命は私だけのものです。
私の命を「命」だと思っているのは私だけだからです。
私は私以外のすべての人間にとって、ゴミと同じです。

私が死んでも、お葬式も出さないと家族に言われています。お金がないので。
お金も残さず、面倒ごとだけ残していく私を迷惑そうに見下ろしてる身内の姿を毎日想像する。
当然、友達なんか誰も来ません。
でも、それが現実。

別に、自分で命を終わらせるとかそういう話じゃないんですよ。ここを誤解されるのが面倒なんだけど。
人間、何があるかわからないじゃないですか。理由もわからず、突然二度と会えなくなった人もいます。あれから長い年月が経っても、未だに何が起こったのかわからない。心身ともに健康でも、そういうこともあるんです。
そういう非常事態にも、私はすべてを自分で始末をつけなければならず、どうにもならなかったときにも、誰にも気にされてないので探されることも見つけてもらえることもないんですよね。
でもそれ、私も嫌だし私以外のいろんな人が困るだろうなあって。

だから、ブログ書いてたんですよね。

っても、はてなは当分先まで予約投稿にしてるので実はもうあんまり当初の目的は果たせない状況なんですけど。
そんなわけで、noteの更新が止まったら、何かあったんだなと思ってください。

でも、インターネットの中にも居場所がないんだから、無駄かな。

自分と関わってきたすべての人を、私もゴミだと思えたら良かったんですよね。でも、私はごく一部の人(三人くらいかな…パワハラしてた上司くらい。それでも嫌いだけどゴミとは思ってないです…)を除いて、みんな好きだったんですよね。
だから、自分が孤独だと気付くのが、ことのほかこたえるんですよ。
どうしていつも、こうなっちゃうのかな。

自分一人で歩けているなら、孤独にも耐えられるけど、歩けないときの孤独は絶望しか生まないんですよ。
自分一人で歩けてるときだけ寄ってきて、歩けなくなったら目も合わせない人を「みんないい人だなあ」と思ってた私のおめでたさ加減に乾いた笑いしか出ないです。本当に頭悪いよねえ。

なんにも、かんがえたくない。



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