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叶える幸せと叶えない幸せの螺旋(※ネタバレ注意)

前々から感想を書いてみたかったんですけど、ネタバレさせないとほとんど何も書けない作品でもあるため、ずっと執筆を躊躇っていたのですが…。今回思い切って書いてみようと思います。

もうずっと前に遊んだきりなのに、今も忘れられないゲームがあります。そのゲームの名は『DESIRE』。私はセガサターン版で遊びました。

『EVE burst error』や『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』を生み出したシナリオライターさんの作品であり、有名なアドベンチャーゲームかもしれません。近年になってリメイクされたとの話も聞いておりますし、人気のほどが伺えますね。リメイクしたくなる気持ちは、正直とてもよくわかります。

ざっくりと説明すると、謎に包まれた研究施設「DESIRE」を舞台に、あるひとつの物語を新聞記者のアルバートと「DESIRE」の研究員のマコトの二人の主人公の視点で遊ぶというもので、同じシステムが『EVE burst error』にも使われています。そちらほど手が込んではいませんが、視点を変えて同じ物語を楽しめるというのは、ある意味ゲームならではの遊び方かなと思います。そして、このシステムがあるからこそ、この物語は今をもって心に残る名作となったのだろうと思います。

以下は盛大なネタバレとなりますし、ゲームの内容を知らない方には置いてけぼりもいいところの記述となる予定ですので、未プレイの方はこの先をお読みにならない方がよろしいかと思います。ゲームを全然遊ぶ気はないけど私のファンという方は、私がどんな人間かわかると思うのであえて読まれてもいいと思いますが、そんな人いないんじゃないかなあ(笑)。



実は、かなり早い段階で物語のコアのようなものには気付いてしまったのです。DESIREの責任者であるマルチナが、アルバートことアルに「初めて」出会う場面で。
マルチナを演じられている池田昌子さんの演技がゲームを通して素晴らし過ぎるのですが、それが序盤からよくわかるシーンです。

「アル…」
その一言だけで、そのたった一言だけで伝わるものがあるんです。そして、何がその一言から伝わっていたのか、ラストシーンで思い知らされることになる。
ただ、このときはそこまでは気付かずに、ティーナ=マルチナであることだけを薄々察しながら、それがどのような形で語られていくのか、どのようなカタルシスが待っているのかを楽しみに遊んでいました。

そして迎えるラストシーン。何故この物語のタイトルが『DESIRE』なのかを、プレイヤーは衝撃とともに知ることとなる。その衝撃は、痛みとも悲しみとも悔しさとも違う、説明のつかない感情だった。
ティーナの正体には薄々気付いていたのに。それでも、受け止めきれないくらいの感情でした。

最後に語られる、ティーナの、マルチナのDESIRE。それは文字通り彼女の人生のすべてであり、彼女そのものでもあった。あまりにも深く、強く、そしてどうしても叶えられない願い。だけど、あまりにもシンプルな、誰もが心に抱くようなありふれた願い。

自分がティーナだと大好きなアルに知って欲しい。その上で愛されたい、愛していると伝えたい。

彼女の願いはたったそれだけ。本当にそれだけだからこそ強く深い。けど、たったそれだけの願いを叶えるために、数奇な運命のもとにある彼女は、時空を捻じ曲げることまで考えなければならない。けれど、その実現の寸前で、彼女はどうしてもその運命に勝てないまま、また同じ人生を繰り返す…。

SFの要素が入ってくることでこの物語は「成立」するので、そういう意味では現実ではありえない話ではあるんですけど、ティーナの、マルチナの願いのシンプルさは、すべての人間に共通するものでもあるでしょう。だからこそこの物語は、後になってハッピーエンドの要素が追加されたのかもしれない。蛇足だなと思って実はそのエンディングは見ていないんですけど…。詳しくは後述します。

このエンディングを非常に胸に迫るものにしているのが、池田昌子さんの声の力です。それほど動くアニメではないので、声での演技が重要となってくるのですけど、何度も何度も聞いては涙する始末でした。
ゲームのエンディングで泣いたのは3、4回しかないんですけど、これがその1本です。けれど、それは感動したとか悲しいとか納得いかなくて悔しいとか、そんな単純な涙じゃない。私は今もまだこの感情に名前をつけられない。


エンディングのほかに、もしかしたらエンディング以上に印象に残っているのが、マコトとマルチナが浜辺で語り合うシーンです。

遊んだ当初は、私は完全にマコト側の気持ちに立ってマルチナの言葉を聞いていたと思います。裏切られても、その裏切ったという事実も含めて相手を愛するなんて有り得ない。裏切りは裏切りじゃないかって。
けれど、どこかでマルチナのその言葉に頷いていたからこそ、私はこのシーンをずっと忘れられなかったのかもしれない。
年齢を重ねた今の私の心境は、マコトではなく完全にマルチナの側に立っています。不思議なものです。

自分を幸せにしてくれる相手を選べ。よく聞く話ですし、正しいとも思います。マルチナの言葉は、たとえば暴力を振るうような相手を選んでしまった人などには残酷に響いてしまうかもしれない。
けれど、自分を幸せにしてくれる相手を選ぶという行為は、自分にとって都合のいい相手の、都合のいい部分しか見ていないということと同義かもしれない。いえ、ほとんどの愛と呼ばれるものなんてそうかもしれない。

だけど、本当に愛してしまったのなら。

私はマルチナと同じ言葉を言うだろう。浮気だけは許せるかどうかちょっと自信ないけど、たとえ相手が自分だけが助かるために私を裏切ったとしても、私は相手のその部分ごと愛してしまった。仕方がない。自分にとって都合の悪い部分だって、全部その人なんだ。嫌な部分も、好きな部分も、私の知らない部分も。

マルチナの言っていることが苦しいほどにわかる。そしてその愛し方が決して幸せになれるとは言い難い愛し方であることも。けれど、その愛し方しかできない人間も、その愛し方しかできなくなってしまうときも、人生にはあるのだろうと思います。

正直、このシーンのためだけにゲームを遊んでもいいレベルだと思っています。池田昌子さんの演技がここでも素晴らしいです。マルチナとマコト、ふたりの視点を変えて遊ぶと、お互いの心境がとてもよくわかるのも、ゲームならではの面白さかなと思います。

でも。
それは、相手が自分を愛してくれている、もしくはきっと愛してくれると信じられる、信じ切る、そんな状況や心境でも無ければ、とても維持し切れない愛し方ではないかとも思うのです。だからこそ、私は「ハッピーエンド」は蛇足のように思ったのです。


マコトとマルチナの浜辺のシーンは、そしてマコト編のエンディングは、将来的にマコトがマルチナの理論を解き明かせるかもしれないという期待を抱かせるものでした。それ故の、ティーナが「螺旋から出てくる」という終わり方を望んでしまう気持ちもすごくわかります。何度も同じ人生を繰り返すうちに、どこかにその可能性は生まれるのじゃないかって。

けれど、ティーナの「願い」は、螺旋から出てくることで本当に叶うのでしょうか?

永遠に繰り返される運命からは逃れる。その願いは、螺旋を断ち切ることで叶う。ひとつは確かに叶うのです。
けれど、まず、ティーナ=マルチナであるとアルにわかってもらうためにはどうすればいいのか。

マルチナはティーナと一体化することで螺旋を断ち切ろうとしたのかもしれないけど、ティーナとふたりきりで過ごした6年間を知らないアルに、果たしてふたりが同一人物であることを理解することが可能なのだろうか?
それとも、一体化することでまったく新しい運命を作り出し、改めてアルとの物語を始めようとしていたのか。

この問題の解決の鍵はやはりマコトにあると思います。マコトがアルを「お守り」の力で呼び戻したように、ティーナも同じ時点から呼び戻せばいい。私の見ていないハッピーエンドはこういう展開だったのではないでしょうかね?
これなら、「マルチナの手紙ですべてを理解したティーナ」として螺旋を抜け出すのだから、アルに説明は可能でしょう。

ただ、このティーナは、マルチナとしての時は過ごしていない。あくまで浜辺でアルに拾われてからのティーナとしての記憶しかない。「アルを一途に想い続けていたマルチナ」の想いを、ティーナもアルも本当には理解できないかもしれない。ティーナは「身体の記憶」として持っていたとしても。

また、この18歳のティーナは、どこまでマルチナとのことを覚えていただろう。
個人的に、ティーナを優しく見守るマルチナの場面もとても印象深いのですが、マルチナはティーナを、もうひとりの、過去の、そして未来の自分として愛しく思っていたのか、それとも娘を思い出すつもりで見ていたのか。

好きでもない男の子供を生んででも、アルにもう一度会うためだけに生き続けたマルチナの執念を、想いを、このティーナは背負っていない。そしてその執念を忘れさせそうになるほどに、マルチナは娘を愛していた。
もし、娘のティーナが死ぬことがなければ、マルチナは別の形で螺旋を終わらせることができたのかもしれない。アルではなく、娘のために生きて。

けれど、繰り返す運命の中では、娘は必ず死んでしまうことになる。18歳のティーナはそのことを知らないから好きでもない男の娘を設けることにも耐えられたのかもしれない。死ぬとわかっていて生むなんて、辛すぎないか。
けど、ティーナはマルチナに子供がいたことをマルチナとの会話の中で聞いているはずなんです。死んだということはうまくはぐらかされているので、ティーナは事実に気付かなかったか、その話を忘れてしまったのかもしれない。

この痛みを知らないティーナが、本当の意味で「マルチナ=ティーナ」として幸せになれるだろうか。好きでもない男と結婚する苦痛に、娘を失う痛みに耐えたのはすべてアルのため。アルに愛されて生きる世界のため。マルチナへの救済はアルの愛情以外には存在しない。それが叶わないのに、マルチナの願いが叶ったと言えるのだろうか。それとも「もうひとりの私」が幸せになれるのなら、マルチナはそれで構わなかったのだろうか。


でも。

私はずっと疑問に思っていることがあるのです。

もし、マルチナ=ティーナの願いが叶って螺旋の外に出てくることができたとして。
アルは、マルチナ=ティーナを愛するのだろうか、「女性」として。

6年間を過ごした無人のDESIREで、美しく成長したティーナの要求をアルは呑まなかった。
複数の女性と短期間に次々関係を結んでいたアルなのに?

それらのシーンは、遊んだ当時は必要ないと思ったのです。家庭用ゲーム機ということで多少表現がはぐらかしてあったせいかもしれませんが、展開に無理があり過ぎる。元々成人向けの作品だったので、仕方ないのだろうと思いつつ、正直意味があるのかと思っていました。
けど、ティーナの物語として考えると、これらの展開もまたひとつの意味があったような気がしてくる。

それらの女性に対してはアルは本気ではないから簡単に手を出せただけで、ティーナに対しては本気だから手を出せなかったと捉えることもできる。
けど、アルにはそんな様子はなかった。むしろ、彼女への情は父親や兄に近いものだったと考えられる。

人生のすべてをかけてマルチナが自分の願いを叶えても、本当の願いは、アルに女性として愛されたいという願いは、いくら時空を超えても叶わないのかもしれないのですよ。

しかも、マルチナはその願いのためにグスタフの行為も見て見ぬ振りをしている。そのことを知ってもなお、すべてを知ってもそれでも、アルはティーナを愛するだろうか。マルチナを赦すだろうか。同じことをアルがしたならば、マルチナは必ずアルを赦しただろうけれど。
あの浜辺でのシーンの、マルチナの言葉が胸に突き刺さる。マルチナはアルを愛しているから、どんなアルでもアルの一部だと受け入れるだろう。アルにマコトという恋人がいても、ほかの女性と関係を持っていても。何も知らない、知りようがなかったからとは言え、自分を責め立てても。
けれど、アルは…?自分を純粋に、真っ直ぐに愛しているティーナの存在を知っていても、自分への愛のためにそこまでしたマルチナもまたティーナなのだと、アルは受け入れることができるのだろうか?

すべてを知っても、知らなくても、結局アルはティーナを愛するようになるのかもしれない。けど、それは絶対じゃない。
だけど、「絶対」だとしなければ、追加されたハッピーエンドは成立しないのではないか。それとも、女性としては愛されないけど、娘のようにアルのそばにいられればそれで幸せなのだろうか。いや、ティーナが欲しいものはそうじゃない。

誰もいないDESIREでのアルとのやり取りを、女性としての気持ちを受け入れて貰えなかったティーナの切なさを考えると、可哀想で仕方がない。それが男女の愛なのだと頭では理解できていても。金や仕事はどうにかなっても、相手の気持ちだけは手に入らないときは手に入らない、どうやったって。だからこその「DESIRE」…。


けれど。
ティーナは、また彼に会える。

何も知らなかった頃の自分に戻って。アルに会いたい、愛されたい、自分こそがティーナだと言いたい、その心からの願いだけを刻みつけられた、幼いティーナに戻って。
大好きなアルに出会えるところから、またやり直せるのです。
しかも図らずも、ティーナの願いは「最初に戻る」ことで叶うのです。アルに会いたい、自分がティーナだと知って欲しいという願いは。

好きな人とふたりだけの、誰もいない世界。誰もが一度は空想するかもしれない世界にも戻っていける。思う存分アルを独り占めできる。

そして離れ離れになっても、どんなに苦しんでも、またアルに会える。アルがDESIREにやって来ると知っているからこそ、耐えられる。
たとえまた、運命の力に負けてしまうとしても、最後の瞬間にもやはりアルがいる。アルから始まり、アルに終わり、アルのためだけに生きる人生を永久に繰り返すことができるのです。彼の気持ちだけがそこにないだけで。

これは果たして「幸せではない」と言えるのだろうか。「女性として愛されないまま生物としての命を終える」という終わりを決して迎えない、片想いの苦しみと幸せだけを繰り返せるこの運命が。
本当に、ティーナは救われないのだろうか。いや、そうとは言い切れないのではないか。

私がハッピーエンドに懐疑的だったのも、この物語を救われない物語と捉えることができなかったのも、こう考えてしまうからです。最後通告を突き付けられずにただ相手だけを愛し続けられることは、考えようによってはこれ以上に幸せな展開はないのかもしれない。相手の気持ちが自分にないのなら、なおさら。

ある意味で、究極の純愛であり、究極のエゴの物語。シナリオライターさんは哲学に造詣が深いのだろうなあ。そして、ほかの作品を遊んだ印象からしても、追加されたハッピーエンドに必要な条件を、シナリオライターさんは加味していなかったろうと思うのです。そんな甘い話を書くような人ではないだろうと。既に亡くなられていると伺っていますが、永遠に忘れられない物語を残してくださって、ありがとうございましたと言いたいです。


ここまで読んでくださった方もありがとうございます。ずっと感想を書いてみたかった作品なので、ようやく文章の形にできて良かったです…。うまくまとめられませんでしたが…。
ネタバレ過ぎなので、ゲームを遊んでいない方は最後まで読まれていないと思うしもし読まれていても遊びたいと思うかどうかわかりませんが、機会があればぜひ手に取ってみてください。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週3、4回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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