つらつらとだらだらと日記 in 神無月

今日はただの日記にしてみましょうかねえ。

ってもそんなに書くことがない。しかも体調が悪くて諦めて寝ているので余計にない…。毎日ではないのですが体調がダメダメな時がしばしばあり、それでも仕事行ってましたが「あなたは体調が悪くて人に迷惑をかけるのを当たり前だと思ってる」という言葉を上司に食らった時に心が折れる音が聞こえて、それ以来「この体調で働きたいって言っても同じこと言われるだけだ」と恐怖しか抱けなくなって、在宅で働くしかないな、と諦めて今があるのですが、なかなか厳しいですね。

説明すると長いけど、不安になり過ぎる性格が邪魔でしょうがない。ついでに興味のないことには本気で死ぬほど興味がないこの性格もどうにかして欲しい。ぐるぐるぐるぐる考えているうちにチャンスを逃していくんだけれど(泣)、そもそも本当にチャンスだったのかもわかんないや…。ただひとつはっきりしてることは、
そんなこと言ってたら仕事にありつけないだろうお前…、ということだけである…。生きるの下手すぎでもーいやだ(泣)。あー、どこへ行っても何をやっても結局ダメなのか!そーいや昔おかんに言われたさ、吐き捨てるように。「何をやらせても中途半端」って。中途半端どころじゃねえよおかん。おかんの娘はサバイバル能力がゼロです…。

とりあえず「家を追い出される…」という恐怖で毎日結構ヤバい。だいたい私みたいな人には「実家に帰れば」という言葉をかけられるのだが、実家が帰れるところであると無邪気に思ってるのが羨ましくもあり怖くもある。「みんな色々あるのよ」って何かにつけて言うくせに、本当に色々ある場合はガン無視ってそりゃないっすよ。てか事情知ってるはずなのにそれを言い出されたりすると「話聞いてた?」と言いたくなるんですけど…。

まあ追い出されたらホームレスになればいいやってもう諦めてるけど、体調が正直言ってよろしくないので、すぐ病院に担ぎ込まれるはめになりそう。いや、その前に普通に発狂しそう。私は植物恐怖症なのである。昔から好きではなかったけど、数年前に突然酷くなって以来(原因はたぶん当時の仕事のストレス)、明るいうちに外出するのは楽しい予定でもなければわりと本気で苦痛。特定の植物以外なら、あと他人と一緒だったらわりと大丈夫だけど←たぶん気が紛れる
最近は写真すら気持ちが悪くて、ちょっと色々絶望してます…。わかってくれって言ってもたぶん無理だけど…。
ほかにも色々神経症的な何かで「普通に生活したいなあ…」と遠い目をしている毎日ですよ。他人から見れば「何がそんなに気になるの?」という話でしかないですからね。本人は「もう気が狂った方がマシ」と思うくらいしんどいんですけどね。病院なんて行きませんよ、あるわけないじゃないですかそんな金。てか性格なのか病なのか元々のエラーなのかは実際には判断できるものでもないような気がしないでもない。

要するに精神が満たされれば良いのです。美味しいもの食って楽しいことやってりゃ大丈夫だから。要するに理不尽に怒られたり嫌われたり色々し過ぎて脳が萎縮してんだよ。栄養を与えりゃいいんだよ。私はそれが「好きなこと」なんですよ。

だから、安月給を超節約術でやりくりして全国のアイスショーを見に旅に出たりしてたんですよね。ストレス発散のみならず、そうやって見聞きしたものは自分の血肉になる。娯楽なんてどうせ無駄、という声は多いし実際に無駄な場合もあるだろうけど、私は無駄にしたつもりは一切ない。娯楽だと思ってなかったから。命懸けてたから(笑)。ひとつもこぼさずこの目に焼き付けよう、と思って足を運んでた。
それができないどころか、このままでは息もできない、ってあたりで、ますます不安で脳がパキパキと壊れていく音が聞こえるような気がしてしまう。本気でおかしくなっちゃったら誰か面倒見てくれるかなあ。見てくれるわけないから何とか人間の形は保っていたいなあ(泣)。

「息もできないレベルの貧困」が子供の頃からそばにあったり、本当にそこまで落ちてみたことのある人って思ったほどいないのですよ。そりゃあんまりいたら困るでしょうけど。だから、貧困に陥った人の絶望感を理解できないどころか、突き放したり無視したりしても罪悪感がない。と言うか、理解できなくて怖いので近寄りたくない、という方が正解なのかもしれない。ただ、理解できないというのはとても幸せなことで、できれば理解できない方がいいに決まってるので難しいところではあります。
この「知らないことは理解できないから怖いし近寄りたくない」っていう感覚が、色々な社会や思想の隔絶を生んでるのかも、と思ってもいます。たぶんそれは知識や想像力でカバーできるもので、学校の勉強とか読書とかたまたま出会った何かとかによって培われるものなのだろうけど、それでも足りないものなのかな…。

こんな現状で今週末のジャパンオープンとカーニバル・オン・アイスなんて行けるはずもないのだった…。地元で練習していたこともあって応援していた町田樹さんがプロスケーターを引退する公演なので、これは行かなければ、とずっと思ってたんですけど、この経済状態では誰がどう見ても不可能。本人もファンに見に来て欲しいんだろうな、というのが伝わってくるだけに断腸の思いです。テレビで見ればいいじゃん、という意見もわからないではないですが、
「会場で、自分の目で、その場の空気を感じながら見る」
のは、テレビとは得るものがまったく違うのです。細かい技などテレビで見た方がわかりやすい要素も多々あるのでテレビ観戦が有益でないわけではまったくもってないですが(むしろ気楽でいいくらい)、会場にいるからこそ見えるもの、感じられるものもまた確実に存在する。その魅力に気付いたからこそ私は会場に足を運ぶことをやめられなくなり、その興奮と感動を書き残すことに魔力と生き甲斐を感じているのです。
もう町田君の演技のことをこの目で見て書ける機会は二度とない、と思うと本当につらい…。「後悔しないで生きること」を考えたらいちばん後悔してはいけない、絶対に選ばなければならない選択肢であるにも関わらず、経済状態に阻止されるという情けなさ。発表の段階でほぼ諦めていたのであんまり考えないようにしていましたが、いよいよ今週末に近付いてくると、この悔しさで引退の寂しさが増幅してしまうじゃないか、と切なさでいっぱいです。
「埼玉までヒッチハイクして身の上話に感動したドライバーさんに当日券をプレゼントされ無事町田君の最後の演技を鑑賞した私が家の床から石油を掘りあてて石油王になり、配達中に大渋滞で荷物が遅延しそうになったドライバーさんにヘリを飛ばして「あの時のお礼をする時ですよ」とグッと親指を立てる」というシナリオをたった今考えましたが私なら没にしますね。はい没!ボッシュート!はい頭の中にあの音楽を流す!←もうわけわからん

ああもう、しょうもないことをだらだら綴ってしまった。まさに日記。なんか焦りも不安も大きくて潰れそうですが、それと同時に、自分の勘の方がいつもだいたい正しかったから、クズだと言われても自分の心の向く方へ生きていくしかないな、と一種諦めみたいなものに包まれるさわやかな秋の日です。今日はもう寝てるしかないのがトホホですが…。ブログのいいところは寝ながらでも書ける、もうこれに尽きますな。そうじゃなければ2年も続けられませんでした。
内田裕也さんが樹木希林さんにあてた手紙が話題になっていましたが、文面を聞いて、ああ私は間違いなく裕也さん側の人間だわ…、とちょっと頭を抱えてしまった。裕也さんタイプの人を支える側の、普通の人間だと思ってその生き方を選ぼうとしてたけど、そりゃ無理なはずである…。さて、とりあえず年末まで私は生きていけるのか…?

はてなブログでフィギュアスケートへの愛も綴っています。毎日更新中。昨日までオータムクラシックについて語っておりました
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「うさぎパイナップル」

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