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将来とか、未来とかを真剣に語ったのはいつが最後だろう??

オリンピックやるのかねえ?とか コロナ禍はいつまで続くのかねえ…とかそういう未来予測のようなことはあっても、自分がどんなふうになっていたいとか、世の中がこう変わるといいなあとか、そういう夢や希望について考え、語り合ったことはずいぶんなかった気がする。

大学生になった時、そこはかなり夢を見ていた。何か立派な人間になるんだって当然のように思っていた。

結婚したとき、子供が産まれた時、まあ、かなり現実的にはなっていたけれど、やはり夢は見ていた。こどもはいずれこんなふうに育って、夫婦はこうした生活をお送るだろう…

全然違っちゃいましたけどね。

思っていたのと違う日々がすこしずつ重なっていくと、夢を見るとか、将来を語るっていうことが無駄なような、期待するだけ悲しいような、うっすらとした絶望感が積まれていく。たぶん、それでやめてしまったのだ。夢見るなんてあほらしいことだ、と。


今、予想と全く違った現実が広がっている。世界規模で、である。コロナが広がって、オリンピックがなんだかめんどくさいイベント扱いされた。色々な価値観や常識がひっくり返される日々をすごしている。

こんな将来を語っていた人なんているんだろうか?(こういうSF小説はある、って誰か言いそうだけど^^;)やっぱり、未来は予想通りになんてならないのだ。予想しようなんてアホらしいのだ。


でもね、へそまがりんとしては、ちょっと違うことを言いたい。

将来について、未来について、ちゃんと語っておかなかったら、今こんなふうになってるんじゃないだろうか。いやもちろん、私が自分の将来について語ったからって世界情勢が変わるとはちっとも思ってないんだけど。みんながちょっとずつでいいから、真剣に自分の未来のことを考えたら、世界は悪い方にはいかないんじゃなかろうかと、御伽噺のようなことを思う。

こうなりたいな、こうだったらいいな、って思うこと。子供が夢を見るように素直に。現実を囁く大人の自分もいるけど、それもまた自分自身を愛するが故の言葉だ。ちょっとずつの思いが、地球や宇宙を回してるはず、って真剣に信じてる。

あほらしいけど、やってみようと思う。別にお金かかんないし♪


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