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こんなに不幸なんだから、ちょっとのラッキーでは喜べない

「俺はすごく不運で不幸だ。だから、それを埋め合わせた上に、さらに大きく上回る普通の何倍もラッキーで幸せな目に遭わなければ割りに合わない」と言う若者がいる。そんな幸せはめったにこないので、彼は年中無休で不幸せだ;。


あまりいい目にあったことがないので、小さな親切や優しさがとてもありがたく、幸せに感じます。ありがとうございます…

こういうことが言えたり、こうした態度で生活できる人は、とても人に愛されるであろうし、そのこと自体がすでに「幸せ」だ。このひとが「ありがとうございます」という言葉でうけとめる小さな幸せは、人から人に跳ね返りながらより大きな形の幸せに姿を変えていくだろう。


おれはもっと幸せになるべき!と主張する若者は、まあ、好感度としてはあまり良くない。被害者感情を前面に押し出してくる人を、外野はあまり「助けたい」とは思わないものだからだ。結果、彼はあまりすぐには幸せになれない。大きな幸せがやってくるラッキーは、そうそう転がっていないし、それを与える力がある人たちは「俺はかわいそうだ!」と主張する人よりも、「頑張ってるので大丈夫です♪」なんて言ってる人の方を好む。

小さな幸せに気づいて。それを積み重ねると大きな成功や幸せにつながる…こっちが正解。間違いない。

でも、どうしてだろう?

冒頭の若者の「幸せから遠ざかる理論」がなんだかとても魅力的に思える。偽悪的だからか?どうにかして彼を幸せにしてあげたいと思っているのだけれど、なかなかに難しい。


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