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「安心安全」は「幸せ」か?

総理大臣が「安全安心をお守りするために」っていうけどさ。そりゃあ、人間だもの安心はしたいけど…安心なんてほんとにすることあるのかしら?持続し続けられるのかしら?安心だ、っていう気持ち。

「安心:気にかかることがなく、心穏やかなこと」 まあ、そういう時は確かにあります。ほっと一安心、みたいに緊張から解き放たれて力を抜くことができる瞬間もある。

だけど、と思ってしまう。

安心する、なんてほんの一瞬じゃありません?人間がずーっと安心し続けるって不可能では?と思うわけです。だって、家族の帰りがちょっと遅ければ大丈夫かなって心配になるし、出かけると、あれ⁉︎家の火消してきたかな?って不安になるし。最近は特にちょっと喉が痛いくらいでやば?コロナ??なんて思うのだから、「安心し続ける」って不可能じゃないかしら。

コロナが終息すれば、っていう言葉もよく聞かれるけれど、収束したって完全に安心なんかじゃない。だって、台風、大雨、地震、「警戒してください」って告知が実際しょっちゅう流れるわけで。コロナじゃない病気もきっと流行るし、事故にも合うし、そうじゃなくても人間社会のストレスが半端ない! 心配や不安だらけですって。

いや、あの、不安を煽るブログじゃないです;;どっちかっていうと、楽天的、ノーテンキスタイル☆

言いたいのは、安心をお約束します、とか、ずっと安心していられますなんていうのは嘘だからね、っていうこと。安心し続けてはいられないのです、人間。だから、そういう言葉を簡単に使う人たちはあんまり信用しないほうがいいかもね、って言いたい。

だって、安心し続けること ≠ 幸せ  ですよ。心配したり、不安になったりするそういう心の動きがあっても、というか、心の動きがあってそれを感じることが「幸せ」な状態なんじゃないかしら。ドキドキしたり、ハラハラしたりのあとの、ホッとした一瞬は確かに「安心」で「幸せ」だけど、ドキドキハラハラしている「不安」なときも「不幸」だとはいえなくないですか。それどころかちょっと楽しんでいたりもして。「幸せ」寄りなことも。


なんか、言葉尻を捕まえての批判みたいでごめんなさい。

「みなさまの安心安全」ってお題目みたいに唱えられるのがちょっと嫌なんです。それだけ。



追記:例えばこの写真だって↓ 気持ちよくて「幸せ」そうだけど、危ないとこに立ってますよね〜;;「安心」じゃないけど「幸せ」ってことたくさんあります

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