未来を考えたときに感じたこと
やあ深すぎて号泣する、無理すぎる
「僕が学生時代に学んだことは、キャラクターを演じ続けることです」
苦しかったんだよね
そんなにがんばらなくていいのに
いろんな意味でこんな感覚をわたしも感じたことがあるし、なんて演技なんだろう
嘘だよなってことが誰にも可能性があるのだから頑張らなくていいよ
「散ることを見据え、残された日々をどう過ごすべきか」
やっぱり三浦春馬様がいなくなってしまったことはわたしにとって大きな虚無感
とってもストイックだったんだって
今更さらに知ってしまう
役者というお仕事が彼にとっていろんな人格になれるものだった
(年下なのに申し訳ない、、
自分の人生に重ねてしまうことはあるよね
私もどちらかと言えばそうだもん。
やるなら完璧に、中途半端に誰かに任せたりしたくないし、嫌だと言いながらでもやり切るまではやりたいし
それに相反することが起きたなら打開策を考えたいし
でもそんな時にたまにゆるゆるしてる人を見ると心が考えが歪んだりもするし、
ここからは私の持論
弱かったり辛いと思うことは間違いないじゃないって自分に言えるように
嫋やかに柔らかく生きることができるように
本を読んだりしていろんな価値観に出会う
その中で自分にも取り入れられそう、受け入れていけそうなことを受け止めていく
ここからは今の気持ち
自分の価値観を押し付けてくる人からは逃げて生きるようになった
私はだから親から逃げたのかもしれない
優しい心ある娘になれなかった
他人からの目線を気にしてきた
けど、そんな役回りを出来るほど心もなかった
人格は、偽りきれない
だから毎回ケンカになった
ある意味素直にぶつかったつもりだった
価値観を、理想通りを受け止めてそう行動できなくて、でもごめんなさいとは思えなかった
結局はみんな1人の人間なの
縋ったり助けあったりそんな存在がいて幸せなのはわかるのに
ても、私は私なのだと
こうあるべきを押し付けてくることがもう言葉では表すことができないほどストレスだった
自分も苦しいのにどうして
苦しいと思ってはいけない、おかしい
そんな言葉を言い放たれて、それでもいい娘役を買わないといけないのか
どんなに状況が悪くても受け入れられない
辛い時に笑顔を優しさを演じてる
これが積み重なると人はおかしくなるのだろう
私が未だ狂わないのはこの本音をきいてくれる周囲の人が(たとえ変だと私の事をおもっていたとしても
沢山いてくれたから
ありがとう
※状況が悪いというのは私の母は癌だったということ
もっと心から苦しいはずなのにそう思えないほど私は罵倒されたと思うし感じているから
ここまで書いたような感覚に陥っている
でも
私はまだ素直に綺麗に生きていけると思ってる
信じて生きてる 死んじゃえるほどの勇気もないから 心の奥はまだ生きて色々経験したいのだと思う
たとえ合わなくても(会わなくても
心配はしてるし、(心の底は、それがほんとかわからないけど
それでもやっぱりたまーーーーには寂しく感じるような感じもするから、
ながく書いた〜
もっと穏やかな周りだったら良かったなとか
ないものを求めるのは嫌い
思うことは思うのだけど
そんなひと沢山いるのかな?そんな人たちを探して共感を求めて生きてる
体が不自由じゃなくても
お金に困ってなくても
こうなんだからマシじゃない
なんたらだからいいわよね
みたいな、
そういう、だからがんばりなさいみたいなエゴ
なしでいいのよ
だってその感覚も感情もあなたなんだから
どう思うのも真実はあなたなので
それが周りに迷惑をかける内容でなければ何でもいい
勝手に思えば、て
最後突き放した そんな優しさ。
大丈夫。まだいけるよ
と三浦春馬から色々話を伸ばしてみたnoteでした。
今週もみんなお疲れ様
ゆっくり眠りましょ