見出し画像

嫌なこと忘れたいから美術館にエスケープin東京ーArtとTalk⑳ー

すごく嫌なことがあった。そのせいで、4日間食欲も失せ、目を閉じても眠れないほど嫌なことが。

次の休みに私はひとりで東京に向かった。

自分史上最多となる「美術館をハシゴして1日に5つの展示をまわる」日帰りエスケープ。

さあ、逃げ出そう。



(今回のArtとTalkはエッセイ形式でお送りします。なお、純粋に美術館レポートを楽しみたい方は、①~➃のみお読みください。)



行きの心情

朝。東京駅に降り立った時点では私の頭はまだカッカしていた。
人生、生きていれば色んな経験をするが、ここまでの気分を味わったのは久しぶりである。しかし徐々に「やってられねえぜ」の気持ちから、思考は次の段階へと移行していた。

いつか、この気持ちをネタに書いてやる。

前夜から忙しなく脳内にアイデアが浮かび始めていた。書くと言っても暴露的なものではない。自分とは全く別のキャラクターに、架空の場面でいつか経験させるのである。
無駄にしない。ただで傷ついてなどやるものか。

そういえば、夏に小6生たちを対象にした漫画講座をさせてもらったとき、「漫画家になって良かったことはなんですか?」と質問され、私はこれを答えたのだった。漫画家の得は、生きて経験するどんな酷いことをもネタに活かせてしまうことだと。

もっと子どもたちに夢を与えるような、
「東京のテレビで小峠さんと会えたことだよ!」とか、そういう嬉しかった経験を答えた方が絶対良かったのだろうが、私は正直に答えて、子どもたちを若干きょとんとさせてしまった。

(……でも、だからと言って辛さを感じないわけじゃないんだよなあ…。)

考えるうち、乃木坂駅に着いていた。

画像2



①10:10着/国立新美術館

画像6

◆『ルートヴィヒ美術館展』

国立新美術館は、実は初めて来た。
ちょうど観たい展示が2本あり、両方のチケットを買ったら100円引いてもらえた。『ルートヴィヒ美術館展』だけ入場時間が割り振られていたため、まずはこちらから行くことにする。

会場は2階。展示室に入ると、天井が高い。シンプルな色合いでまとまった雰囲気は、綺麗だけど、同時に落ち着く感じもして居心地がいい。パリで行ったポンピドゥー・センターの軽やかさを思い出した。

ルートヴィヒ美術館とは、ドイツにある市民のコレクターたちによる寄贈を軸に形成された美術館だそうで、館名にもなっているルートヴィヒ夫妻をはじめとするコレクターの紹介も作品と共に随所に展示されていた。

まず前半は、20世紀初頭のドイツ芸術を代表するグループ「ブリュッケ(橋)」や「青騎士」などに所属した画家たちの作品群から、ロシア・アヴァンギャルドへと流れていく。このあたりって、西洋美術史のテストで非常に出やすい(活動期間が短いわりに作家名が沢山出てくる)ところで、いわゆる暗記ポイントなのだが、その括りをメインにした展示をこれまであまり目にする機会がなかったので、今回本物をあらためてゆっくり観られたのが嬉しかった。
展示はその後、ピカソ、エコール・ド・パリの画家たちへと進み、ウォーホルやリキテンスタインなどのポップアートへと展開する。

展示室はかなり広いが、途中に休憩のための部屋もあったりお手洗いも会場内にあるのでリラックスして楽しめた。


◆『李禹煥』

少し休憩をして1階の展示室へ移動する。今回の東京旅でいちばん楽しみにしていた李禹煥リ・ウファン。音声ガイドがQRコードを読み込んでスマホで聴くスタイルだったのが「今っぽいな~」と思った。しかもナビゲーターは俳優の中谷美紀さん!?なにそれ最高すぎる!!と一瞬立ち止まったけれど、基本、音声ガイドは聴かない派なので堪えてそのまま通過した。

1960~70年代の美術動向「もの派」を代表する作家、李禹煥。会場に入ると、鮮やかな蛍光色の作品やピンクを基調とした画面がいきなり広がり、それまでモノクロや寒色系のイメージがあった私は「李禹煥って、こういう色使いもするんだなあ」と新鮮だった。しかも、そのように派手な色でも目がチカチカしないでじっと見られるのが不思議だ。
会場を進むと、工事現場みたいな音が隣室から聞こえてきて「なんだろう?」と思ったら、そこも展示室。グラグラする瓦礫が展示室の床に敷き詰められ、その上を鑑賞者が歩くことで不安定な音があたりに響き渡る。他には砂利を敷き詰めた部屋もあって、視覚だけでなく体全体で「もの派」を感じるような仕掛けが面白かった。
一度外に出て観る巨大作品をひとつ挟み、後半の部屋に足を踏み入れると痺れるような静寂とともに〈点より〉〈線より〉の絵画のターンが幕を開ける。
この展開、好きな人にはたまらない。ライブでがんがん盛り上がる曲が続いて短いMCを挟んだあと、ふいにバラードが始まったときみたいに、胸の奥がじぃぃぃんとした。

最後に、乃木坂駅から来ると直結で入館できてしまうため拝めない、国立新美の有名な外観を(李禹煥の野外展示のついでに)眺めてから、ロッカーに荷物を取りに戻った。


画像3

(乃木坂から新宿へ移動)
【休憩1】
苦手な新宿駅の喧騒を逃れ、デパート上階のレストランでお昼。


②14:20着/中村屋サロン美術館

◆『鴨居玲展』

「中村屋サロン」という言葉は、日本美術史を学んでいると明治~大正期にかけて登場する。だが、それがレトルトカレーや中華まんで有名な、あの「新宿中村屋」のことであるとは、この日まで全然知らなかった。
新宿駅から歩いてすぐの「新宿中村屋ビル」のエレベーターを3階まであがり、ポーンと扉が開く。すると目の前は内科クリニック。
「えっ?ここ?」
と心配になりながらフロアに降り、クリニックの左手に続く廊下の先に現在の「中村屋サロン美術館」を見つけた。

鴨居玲かもいれいという画家の名も、中村屋サロンと同様に一般的ではないかもしれないが、美術史を学んだ人―特に油絵科の人なら「ああ」と共通の感慨を呼びそうな、個性を放つ洋画家である。
そして、実は私の大先輩にあたる。金沢美術工芸大学(当時は金沢美術工芸専門学校)の卒業生である彼の存在感は、私が通っていた当時の金美にもまだ色濃く残っていた。

人間の精神を丸ごとさらけ出すような壮絶な自画像で有名な鴨居玲は、作品のインパクトがあまりに強すぎるが故に、今まで画家本人の肖像を私はみた記憶がなかった。が、今回会場に飾られていたポートレートを見て、その銀幕スターのようなあまりのイケメンぶりに、たじろぐほど驚いた。
そして、学生の頃はなんというか、あまりに真正面すぎて受け止められなかった鴨居玲の絵の凄さを、おとなになり目の当たりにした今、なんと強く惹きつけられることだろう。
特に凄かったのは絶筆の自画像。
鴨居玲が亡くなったときイーゼルにかけられていたというその絵は、今回展覧会のメインビジュアルにも採用されている、毒々しいまでに赤い背景を伴った自画像である。普通、絶筆というのはなんだか突き抜けたような、雑念を全て削げ落としたような作品になる印象を受ける事がこれまで多かったが、鴨居玲の最後の一枚の……この生々しさ。
なんだこれは。
人生最後の一枚で、こんな絵が描ける人間がこの世に存在するのか。
どういう精神力なのだ。

美術館そのものは2部屋だけのこじんまりした空間だったが、そこに充満する鴨居玲の思念が濃すぎて、作品点数など関係なくもうお腹いっぱいの気持ち…。

少し自分をクールダウンさせるため、地下1階の中村屋お土産コーナーをぶらついた。


③15:15着/SOMPO美術館

画像4

◆『スイス プチ・パレ美術館展』

中村屋サロン美術館から地下を通ると、思いのほか迷わずに着けた。前回来たときは新宿駅のすぐ目の前にも関わらず、駅から全然出られなくて(←田舎者)すごく時間がかかったのを思い出す。
しかし、あれ?
ビルに入り、案内されたのは5階。おや?たしかもっと超高層階じゃなかったっけ?

後で調べて判明したが、SOMPO美術館は2020年に「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」から、名称を現在のものに改め、建物も変わったらしい。以前は42階という超高層階だった。ただ、展示室の雰囲気は以前のものと似せて意識されているらしく、別の建物のはずなのに、少し懐かしさも味わえた。

展覧会自体は印象派からエコール・ド・パリに続く、明るくて華やかな絵が多かった。先ほどの「鴨居玲の呪縛」がいい感じに解け、我ながら絶妙の行程だった。
最後に、SOMPO美術館の代名詞とも言えるゴッホの《ひまわり》を観て美術館を出た。


画像5

【休憩2】
気力はまだ大丈夫だったが、足が疲れたのでケーキ&読書。
(その後、新宿からお隣の初台へ移動)


➃17:30着/東京オペラシティ アートギャラリー

画像6

◆『ライアン・ガンダー われらの時代のサイン』

最後に訪れたのは、東京オペラシティ アートギャラリー。他の美術館が18時閉館が多いなか、19時までやっているということで「せっかくなら寄ろうかな」くらいの気持ちで来たのだが、この展示が、めっちゃくちゃ、良かった。
あまりに良すぎてこの記事の配信日を待てずに別で記事を書いたので、詳細はそちらをご覧いただきたい。↓

その他の感想としては、所蔵品展もすごく良かったこと。
そちらもライアン・ガンダーが作品を選んだとのことで、展示方法も斬新。一方の壁にキャプションもなく作品だけがぎゅうぎゅうに飾られており、それと対面する壁に、額込の作品サイズを象った線とキャプションが全く同位置に配置されている。
李禹煥の作品も多かった。それに、ぐにゃりと軟化した瓦みたいな立体作品が気に入って「これおもしろいな~」とまじまじ観てから向かいの壁で作者を確かめたら、久世建二先生(私の大学在籍当時の学長)の作品だった。

勉強とか、知識とか、その時はつまらないと思っても、後々再会するたびにこうしてぜんぶが繋がっていく感じがする。


頭の中を支配していた「嫌なこと」が、いつのまにか「おもしろいと思うこと」で埋まっていた。



帰りの心情

名古屋へと戻る新幹線。
再読中の桜木紫乃さん『ラブレス』がラストシーンにさしかかり、ビール片手に動画を楽しんでいるサラリーマンの隣で私は必死に、目から涙が零れ落ちないようにしながら窓を向いていた。
結末を知っていても、あの場面で泣くなと言われる方が無理である。

おじさんに不審がられずなんとか本編を読み終わり、まだ時間が余っていたので小池真理子さんが書かれた文庫解説を読んでいた。
そこに、こんなことが書いてあった。

直木賞の受賞会見の折、桜木紫乃は、「自分の身に起こることには何ひとつ無駄がない」と涼やかに気負いなく、衒うこともなく語ってみせた。(中略)喘ぐような不幸のどん底も、絶望も、虚無の嵐も、喪失も、経験したこと、味わったことはすべて作品に昇華することができるのだ、という意味である。



ああ、大丈夫だ。

恐れながら、憧れの桜木紫乃さんと同じ発想を持てるならば、私はきっと、そこまで無価値じゃないと思う。


…たぶん。





今週もお読みいただきありがとうございました。
今回の東京旅も充実しました!常設がほとんどなかったので、前回の4展示を超えて5展示、行けてしまいました。(場所が六本木、新宿、初台と、最小限の移動で済む組み合わせだったのも有り。)

人間いろいろ、悩むし、辛いし、出口がないような気分に落ちることもありますが、そんな時美術館は、とっても自由な気持ちになれる場所だと私は思うんです。
皆様は、どんな時に美術館へ行きたくなりますか?

◆次回予告◆
よみきりエッセイ『忘れられない誕生日』

それではまた、次の月曜に。


マカロン・マリーアントワネット

◆今回のおやつ◆
ラデュレ:マカロン(テ・マリー・アントワネット)



「東京日帰り美術館巡り」第1弾!前回のお話はこちら↓


*今回ご紹介した美術館はこちら↓









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?