エンタメと芸術の境界線ー雑事記⑩ー
学びながら。働きながら。
幼少期から30代後半の現在に至るまで、ずっと絵を描き続けてきた私の失敗や煩悩を脈絡なく書く『雑事記』久々の第10回。
今回は、徒然なるままに、エンタメと芸術の境界線の話。
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いつからこういうことしているんだっけ。
と、もう思い出せないが、映画やドラマを観た後で必ずその作品のレビューをチェックするクセがすっかり身についている。
自分は面白いと感じた、もしくはあまり面白くないと感じた。
その感想が世間の感想とおおよそ合致しているかどうかの答え合わせをしているようだと、時々思うことがある。実際、自分的には「すごくいい映画だった!!」と思ったのに他の人の感想がイマイチだとなんだか少し不安になる。
これはたぶん、私も世の中の末端の末端の末端ではあるが自分の創作物を発表する仕事をしており、「伝えたいことを伝えたい形で伝えることってマジ難しい」ことを日頃から痛感しているからかもしれない。
エンタメって最強だと思う。
面白さで鑑賞者を引き込み、感情を揺さぶり、心を掴んでエンディングで昇華させる。その流れが心地よければ心地よいほど「いい作品を観たな~」という満足感に繋がる。ベタな王道作品をつい何度も繰り返し観てしまうのって、この快楽を得たいからに他ならない。私自身も勿論、エンタメ要素の強い作品が大好きである。
けれど、作品をつくる上でエンタメに徹するのが是か非かと迷う瞬間が、クリエイターなら必ずある。
「あ、鑑賞者を楽しませるよりも自分が大事だと思う、譲れないものをこの人表現したな」と観ていて気づくと、それだけで私は胸が震えてしまう。
先日観た、スタジオジブリ製作・宮﨑駿監督作品『君たちはどう生きるか』。宮﨑駿監督が、これまで多くの人を夢中にさせたエンタメ的面白さを手放し、「うつくしいもの、すばらしいもの」という概念を具現化しようとした作品に感じた。ストイックなその姿勢は、エンタメよりむしろ芸術に近い。
世の中にレビューが溢れ、人の評価をいちいち気にしてしまう時代に確たる信念を持ち、世の中の正解を探し当てるのではなく、自分の正解を見いだせる制作者に私もなりたいと強く思う。
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今週もお読みいただきありがとうございました。なんだか抽象的な文章になってしまってすみません。「言い切ることの大事さ」は美大受験生の頃から散々教え込まれてきたけれど、未だにそれって、究極に難しい。ひとりよがりになってはいけないので他人の意見も大事なんだけれど、取り入れすぎると日和ってしまうし。
心が弱ってると作品も弱くなる。強い心が持ちたい今日この頃の宇佐江です。
◆次回予告◆
『接客業のまみこ』㊲㊳
それではまた、次の月曜に。
*宇佐江の赤裸々な制作煩悩、またの名を、世迷言。その他はこちら↓
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