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【新刊】『美術館にいってみた』物語

こんにちは、宇佐江です。

先日新刊が出ました。タイトルは『美術館にいってみた』。私は主にイラストを担当させていただきましたが、一見すると絵本のようなこの本。実は「LLブック」というジャンルの本です。LLブックってなに?他の本と何が違うの?ということも含めて、この本ができるまでの制作過程や取材などいろいろと振り返ってみたいと思います。長いので、ご興味ある項目からでもお気軽にお開きいただけると幸いです。

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突然のお手紙

2018年のある日、私が勤める岐阜県美術館に一通のお手紙が届きました。送り主は児童文学評論家の赤木かん子先生。力強い手書きの文字で、私が以前出した『ミュージアムの女』の本を読んで好印象を持ってくださったことと、知的障がいのある方などに向けたわかりやすい内容の美術館入門書のような本を作りたいと企画しているが一緒にやりませんかというお誘いがかかれていました。興味をひかれ、私はすぐにお返事を書きました。

そののち、実際にお会いした赤木先生とお話を進めていくうち、自分が関わる本が「LLブック」という耳慣れないジャンルの本だということを知らされます。内容としては、『ミュージアムの女』のようにわかりやすく、さらに美術館のなかでの過ごし方、マナーやルールについて実用的に書かれたものが良いとのこと。ジャンルはどうあれ、内容が自分のホームでもある美術館に関するものだから、何とかなるだろうと私は早速構想を練り始めました。順調にみえたスタート、まさかここから完成まで1年以上もの歳月を費やすことになるとは…。長い挑戦のはじまりでした。


LLブックってなんだろう?

今回の仕事で私も初めて出会った「LLブック」。皆さんはお聞きになったことはありますか?実際、この1年で色んな方とお会いして話題にする際、

「ああ、LLね。知ってる~」

という反応はほぼゼロでした。メディア関係の方、教育関係の方、出版関係の方…。様々な知識を有するお仕事の皆様でもまだあまりご存じではない謎にみちた「LLブック」。気になります。

しかもその本を自分が作ろうというのだから調べないわけにいきません。さっそくネットで検索したり、参考でいただいたLLブックをいくつか読んでみたのですが、わかるようでわからない。それもそのはず、LLブックには明確な定義はないのだそうです。

LLブックの発祥はスウェーデンだそうで、埼玉福祉会のホームページでは「やさしくよめる本」と添えてあります。例えば知的障がいの方などで一般的な本に書かれている表現では理解が難しい場合や、外国から日本に来て間がなく複雑な日本語が苦手という方などに対し、できるだけわかりやすい文章や絵、写真を使う。時にはピクトグラムなどのサインも添えることで、はっきりと意味は通じなくても「このようなことが書かれていますよ」というヒントを記す。そうした細かい配慮を加えることで、今まで思うような読書の楽しみが得られなかった方たちへも、読む楽しさを知ってもらい、かつ、読書で得た知識をもとに行動範囲を広げて生活を豊かにしてもらいたい。そのような願いも込められているようです。

ただし、難しいのが先ほどもあげた「定義がない」という問題。表記に具体的な制限があるわけではないLLブックには、正解がありません。読書の障がいに関しても「何を難しいと感じるか?」は千差万別で、残念ながら全ての方に喜んでもらえる内容を1冊で叶えるのは不可能です。LLブックの製作に取り組んでいるところは日本でもまだ数社しかないと聞きましたが、そうした少数の中でも、経験を重ねて、より理解がしやすい表現とはなにか?を目指して、こつこつとLLブックを作り続けている人たちがいます。

LLブックの説明に関しては、埼玉福祉会さんのホームページもぜひのぞいてみてください。私のおすすめは、障がいのある方が動物園やカフェなどで働く実際の生活をていねいに綴った『仕事にいってきます』のシリーズと、『ともだちってどんなひと?』。シンプルだけど普遍的な問いを赤木かん子先生のやわらかな言葉と、才能溢れる少年画家・濱口瑛士さんのあたたかい絵が伝えてくれます。


制作過程ー終わりなき下書きの旅ー


さて。LLブックの概要について触れたところで、実際にどのような内容の本にするか。

「初めて美術館に来た高校生の男の子が、どのように過ごすかを具体的に描く本にしましょう。」

始めはたったこれだけしか決まっておらず、まずは自由に構想してみてください、と言われ、私は真っ白なクロッキー帳にアイデアを書き連ねていきました。(今回はテーマが美術館とのことで私が事情を知っている都合もあり、イラストだけでなく、お話の骨格作りから参加しました。)

下書き例①

美術館へ行こう(見開き1)20180830_01241330_0002

↑一番初期段階のメモ。美術館に出かける前の「準備」のところから始めたらより具体的なのではないかと思いつきましたが、のちにこの部分はカットとなりました。


下書き例②

再・美術館へ行こう20181014_04421457_0003

↑こちらは、主人公が高校生ということで、“美術館に行ってレポートを書くという宿題が出た”というストーリーで展開していく案。基本は漫画でみせて、具体的な情報は文字でまとめるというやり方で「わかりやすい」との意見もありつつ、LLブックとしては文字量が多すぎてこれもボツ。

ただし、このように「美術館にいったら、まずチケットを買う」など、通常の美術館に関する本では割愛されているような基本事項も今回の本では取り入れましょうという要素は、このあとのネーム(下書き)でも残ります。「美術館の本」というと、おしゃれで、どこか抽象的な内容だったり、施設というより作品や作家についての情報をメインにした内容のものが多いのですが、今回はこれまでなかったような実用的な美術館本をつくるのが目標です。利用者が訪れたとき、「どう動けばいいか」。これをストーリーの主軸にして展開していきます。さあ、また練り直し…。


下書き例③

美術館に行ってみた⑥ 20181130_01585561_0006

↑赤木先生から「文字で説明するのではなく、なるべく絵だけでも伝わるような表現を」とアドバイスを受け、極力文字を絞って、イラストに重点を置く方向へとだんだんシフトしていきます。この段階ではまだ画面にごちゃついた感じがありますが、このころの下書きをシンプルにしていったものが現在の完成形に近いです。

ちなみに、すでにお気づきかもしれませんが、このころの下書きまでは「ミュージアムの女」が案内役として大活躍していました(笑)。しかし、この主人公が登場しすぎると、この美術館が架空のものではなく岐阜県美術館なのでは?と紛らわしいので、この後彼女は姿を消します。が、完成本のどこかに、実はひょっこりまぎれこんでいて…?見つけてみたい方は、どうぞ、現物をお手に取ってみてください。


下書き例④

美術館にいってみよう                  20190412_18051781_0006

↑下書き例③と同じ、ロッカーの場面。登場人物もぐっと減らして、シンプルになりました。LLブックを制作する上でとっても難しかったのが、「どのページに、どの情報をまとめるか」の整理です。障がいのある方にとっては、異なる情報がひとつの見開きに点在していると混乱してしまうそうで、1ページや見開きで完結するような作りを意識して、そこに載せる情報も、「本当にここのくくりでいいのか?」「この情報はこの時点より、展示室の場面で登場させた方がわかりやすいのではないか?」など、ページを差し替えたり、足したり引いたりを何度も何度も、泣きそうなくらい何度も(笑)検討して、さらには終盤になって「このままでは何だか、わかりやすいだけで物足りない。もっと主人公が美術館に来たときのワクワク感をプラスできないか?」というような要望も加わって、(この本はほんとうに完成するのだろうか…。)と幾度遠い目をして空を見上げたかしれません。毎回がまた1からのスタートと感じていましたが、今振り返ってみれば、こうして下書き原稿を重ねることで一歩一歩私たちの理想の本へと近づいていました。

「ちゃんと完成するから大丈夫だよ、めげずに頑張れ」と、あの頃苦悩していた自分に言ってあげたいです。

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↑下書きの山。要点だけご紹介するために今回下書き例①~④とまとめましたが、実際は10通りくらいの下書きをやり取りしました。根気よく付き合ってくださった赤木かん子先生と、埼玉福祉会の編集者さんに本当に感謝です…。

こうして本筋が決まった内容をもとに、赤木先生がさらに文章を精査してLLブックにふさわしい言葉づかいや文字量にしてくださったりする一方、私はようやくカラーの仕事に入りました。40ページにも及ぶカラー原稿は初めての経験なので、それはそれでだいぶ苦労しましたが、この時の下書きの終わりなき旅に比べたら、ゴールが見えているぶん前向きになれました。


取材過程ー特別支援学校での授業とフリートーキング・デイー


【特別支援学校での取材】

この本を制作することが決まってすぐ、私は大学時代から仲良くしているある友人に連絡をとりました。彼女は特別支援学校で美術の先生をしており、現場の意見をぜひとも参考にさせてもらいたいと思ったのです。快く相談に乗ってくれたものの、やはり、障がいはさまざまなケースがあるし、一概に「こういう本が欲しい」というふうにまとめるのは難しいことを教わりました。ただ、「こういうシチュエーションの時は、こうやってやるといいよ」という具体例を示すことや、絵に関しても抽象的な表現よりは具体的なものの方が理解しやすいと思う、などの貴重な意見をもらいました。

また、彼女を通して許可をいただき、特別支援学校に(美術館に勤めながら、美術館に関する漫画を描く作家として)「美術館ってどんなところ?」という特別授業をやらせていただけることになりました。実際の元気いっぱいな生徒さんたちとの交流を通じて、どんな本にしていったら、皆に読んでもらえるかなあという楽しいイメージが膨らみました。


【美術館での取材】

私にとって本業でもある美術館に関する本ということで、ぜひともご紹介したい「美術館のさまざまな取り組み」がいくつかありました。そのなかでも私が特にこだわって取材したのが、巻末に載せた「フリートーキング・デイ」です。

前々から個人的に興味を持って情報を集めていた「フリートーキング・デイ」。これを機に、実施されている館に数か所行ってみることにしました。中でも静岡県立美術館さんと東京の戸栗美術館さんでは、実際の職員の方に実施されている感想をきくこともでき、大変参考になりました。「トークフリーデー」や、「フリートーキング・デイ」など名称は様々ですが、内容としては、曜日などを決めて「この日は作品を鑑賞しながら会話を楽しむ日です」と美術館の側から提案することにより、“美術館は静かすぎて緊張してしまう”というような利用者の気持ちをやわらげる効果が期待されると思われます。子ども連れの方や、声を出してしまうという障がい者の方などにとっても、そのような日があるというだけで少し行きやすく感じるかもしれません。「日本の美術館は静かすぎる」というのは、たびたび公共マナーの問題としての議題にもあげられますが、勘違いされがちなのは、「美術館側は決して展示室内での私語を禁止しているわけではない」ということです。

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なつかしい4コマを参考に…(笑)ミュージアムの女©宇佐江みつこ

このように、あくまで問題になってしまうのは「静かに観たい」と「おしゃべりしながら観たい」というお客様同士の相反するニーズ。そこで、上記のようなトークフリーの日を設けるなどのいわば折衷案も美術館側は考えたりするわけですが、それでも、現実はこのトークフリーの日自体の認知度がまだ低く、今回取材をしたある館でも「トークフリーの日は案内表示も出してはいるけれど、全く知らずにきているお客様が圧倒的に多い」という現状をお話されていました。

本来であればそのような特別な日を設けないでも、自然と少しの会話や声を容認できる空気や、反対に、我慢ができる人なのであればまわりの人に配慮した声量を心がける、など「おたがいの思いやり」で成り立つのが理想です。

ただ、今回のLLブックに限っては「美術館のなかにはこのような取り組みもある」ということが、障がいを持つ方や小さなお子さま連れにとって、少しでも何かのきっかけになればと思いあえてご紹介をしました。

(本来の監視員としての職業意識もあって、この項目はだいぶ熱く語ってしまいました。。。)


さいごに


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ここまで、長い文章をお付き合いいただきありがとうございました。

今回この『美術館にいってみた』を制作するにあたり、著者の赤木かん子先生は勿論、出版元の埼玉福祉会の皆様や、カラー原稿初心者の私を力強く支えてくださり素晴らしい本にまとめてくださったデザイナーの永田修様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

また、取材にご協力いただいた特別支援学校の皆様や、各美術館の皆様、「障がいのある方のための特別鑑賞会」を取材させてくださった東京都美術館の「とびラー」の皆様など、本当にたくさんの方にお知恵をお借りして、ようやく本となり、皆様の手にお届けすることが出来て嬉しいです。

最後になりますが、今回ご紹介した『美術館にいってみた』は、埼玉福祉会のホームページ、またはAmazonや楽天などのネットショッピングでもお買い求めいただけます。ぜひ、興味を持ってくださった方は実物をお読みいただけたらと思います。絵本としても楽しめるので、小さなお子さまへのプレゼントにもおすすめです。

美術館がより多くの人にとっての憩いの場となりますように。


宇佐江みつこ



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