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こびりついた孤独と90歳で変わること


先週から産休に入って、暑いし、動くのも疲れるし、やる気が起きないし、毎日休ませていただいてることに慣れず時間をうまく使えていないもやもやがずっとある。

でも今日は朝からやりたいことが出てきそうだった。
フジロックずっとみながらカフェオレを飲んで、読書するという贅沢な時間が良いように作用したっぽい。

フジロック2日目、配信ではわたしがみたいアーティストが流されなくてちょっと悲しいがフェス感を感じるということが大事。TLDP可愛かったな。はー音楽はいいね。元気をもらえる。一日中垂れ流す。

先週どれだけ考えても出てこなかったやりたいことが今日ちょっとずつでてきた。

今年中短期やりたいこと
・何も気にせずうにと寿司食べて、ユッケ食べたい
・髪の毛ピンクにして、可愛い服着たい
・運動したい。思いっきり走りたい。

今しておいた方がいいこと
・今までやってた仕事まとめ(職務経歴書的なの)
・英語の勉強毎日1時間以上(できれば2時間)
・読書(読みたい本、気になっていたこと、留学)

全然かわいくないな。
こんなしょーもない、今しておいた方がいいことって本当に必要なのか?
お腹がでてるいましかできないのって、安心してください履いてますよ。(I'm wearing!pants!)のふりを習得することとか、どれだけおもろいマタニティフォトを撮れるか考えることじゃないのか?

と、思って調べてみたらちゃんとおもろいマタニティフォトが出てきてすごく元気になった。

ファンキーすぎる、良い
かわいすぎる。良い。
絶対やりたい。もぐらやん




えーめちゃくちゃやりたいな。丸かあ、好きな丸いものはドーナツかなあ、でも球体感が足りないな。最近のいちばんかわいい丸は桃か。桃して、ついでにカービィ?楽しそう。アボカドさんキュートだな〜〜。


隅田川の花火を1人で見ていたら、夫がいなかったらまじで孤独だなと思った。今後は子供がいてしばらくはそれどころでなくてよかったと思ってしまった。いや対話できるようになるまでは孤独なのかもしれないが。

20代の大半をこの孤独感と共に過ごしたはずなのに、夫と一緒に住んで安心の3年のおかげで生きてるだけでこびりついてる孤独、みたいなのへの対処をどうするのか忘れてしまった。
冷たい炭酸水かキレートレモンを一気飲みすることと、一旦寝ること以外に見つからない。

こういう夜ばかりだったときに毎晩泣いていた。
泣くと意味がわからなくて孤独が紛れた。やはり時間がありすぎることはわたしにとってよくない。全てを忘れて没頭できるような強制力がある責任をくれ、と思う一方で今はその責任を全うできないなと言い訳をつけている。わたしはほんと守り型。
今はnoteを書くことで気を紛らわせている。

孤独を感じてばあちゃんを思い出した。GWに滋賀へ帰った時に結構話したが、だいぶ思想が変わっていた。

わたしは生まれた時から滋賀に住んでいたので、たまに会って優しい大阪のじじばば贔屓で、毎日会っても文句ばかりいう滋賀のばあちゃんとは昔からうまくコミュニケーションをとれてると感じたことがなかった。でも、歳をとるにつれてばあちゃんも変わってきていると5月にはじめて感じた。
もう今年90歳。

ちょうど会ったタイミングの前週に、ばあちゃんの妹の旦那さん(妹さんは早くに亡くなっていた)が亡くなり、改めて死を感じたからなのか、しきりと「旦那は大事にせなあかん」と言っていた。
ばあちゃんが、じいちゃんを大事にしていると感じたことはほぼない。常に文句を言っては言い合いをしていて決して仲良い夫婦とは言えなかったが、じいちゃんが死んで一周年、寂しいのだろう。夜が怖いと言っていた。

すごくわかる。こんな毎日が続いたら夜が怖くなるだろうと思った。まあじじばばは長いこと一緒にも寝てなかった(30年くらい部屋は別々だった)のでじいちゃんがいない孤独もだけど、1人であるというひしひしとした孤独はありそう。

わたしは夫が飲み会に行くくらいで孤独を感じるのだ、こんなの毎日続いたらどうしよう。
初めから孤独だったのと、ずっと一緒にいて孤独になるのとは違う。いまは無敵の時期だけど、人生ってひんやりしているな。
そりゃ親もちょっかいかけてくるわ、と片隅で思った。

旦那を大事に!ということに加えて、ばあちゃんに人にええひとと思われて死ななあかん、という気持ちが生まれていた。
これが5月はいちばん衝撃だった。
グラウンドゴルフにいっても、友達にお菓子を配るそう。いままで、人からもらうことしか考えてないので、そんなんお菓子持っていっても誰もお返しなんてしてくれへんから持って行かへんわ。とか、あの人はケチくさいから嫌いや、とか言っていたのに。
口はただやからな、良いこというといたほうがええ。うさちゃんにもらったお土産も今度持っていくわ。ありがとうなと言っていた。

ばあちゃんはずっと口が悪かったからびっくり
「やっと、きづいたん!」
というたら、
「この年になるまで気づかんかった。90や」
と素直だった。人生長く生きると変わるものかあと面白い。

これも孤独に基づくものだろうか。
子供達(わたしの両親)は隣の家に一緒に住んでいるとはいえ、やはり人との関わりは大事なのだ。
わたしはここに関してはずーっと長いこと、とてもそう思うよばあちゃん、なんでだろうね?友達は新しい気づきをくれるからかな?大事。

若い時は気が強いし、なにくそとけんけん言うてたけどそれではうまいこといかん。
死んだら文句もいえへん
ほんでも兄弟が多いでええわ。

こんな刺激のない生活あかんわ
毎日日曜日やのにな。と言っていて、5月のわたしには、ほーけ。と聞いていた、わからなかった気持ちが今なら結構わかって面白い。

確かにばあちゃんは気が強く、なぜかみんなを精神的に薙ぎ倒そうとしてマウントをとりまくっていた。あそこの人はあかん、やら、あの家は金持ちでええなあやら、そんなに人のことばかり気にしてどうするのかということばかり。
その敵たちがどんどん先に亡くなっていったらしい。そうしたら寂しく、怖くなってきたみたい。結局ばあちゃんみたいな何くそ精神持った人が長生きするのだ。わたしにはその気持ちはわからないので早くリタイアするかもなあ。

昔は兄弟が勝手に多くて、それがなんとなくの頼りだった。いまは兄弟みたいに仲良い人がもっと手軽に作れる世の中だろうが、これも得意不得意がある。
毎日日曜日なのでつまらない気持ちもわかる。

旦那は大事にせなあかん、そうね。
大事にしてるけど、大事にするよばあちゃん。

孤独について考えていたらばあちゃんについて考えることになってしまった。

このタイミングで孤独についてと、大事な人を大事にすることについて考えられてよかったな。

こびりついていた、どんよりとした孤独についてもなんだか薄まってきた。大事にするものを再確認するのは孤独を忘れるのに必要かも。大事にするものを大事にすることに時間を割かないとと思えて、寂しさがどこかに行っていた。

最近音楽ちゃんと聴いてなかったのもよくない。
Girl in red良すぎてパワフルで可愛くて、みれてよかった。

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