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春のやよいのこの良き日【ショートショート】

 今年も雛飾りを並べるのは私の役目だ。
 隣の部屋からは、鞠をつく音とわらべ唄を歌う声が聞こえる。
 娘ではない。妻だ。

 四十年前の今日、私たちの一人娘、春香が亡くなった。
 それ以来、年に一日だけ妻は亡き娘の心になる。
 そうか。もう四十年になるのか。

 さっきまで続いていた鞠の音が、とつぜん途切れた。
 続けてとさり、と重い音がした。

 驚いてふすまを開けると、妻がこと切れていた。
 心臓発作か脳梗塞か。救急車を呼ぶことは、考えなかった。
 お前はここまでよく頑張った。頑張ったよ。
 私は妻の白髪頭をしばらく撫で続けた。

 遺書を託したい相手もいない。私は鴨居の確かさを確かめた。
 

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