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ストリート・ビュー【ショートショート】

 幼い頃住んでいた故郷の町を、ストリートビューで探索する。
 ここは友達の家、こっちは自分ち……
 気ままに歩いているうちに、何となく違和感を覚えた。グーグルの撮影車が到底入っていけないような細い脇道にも進めるようなのだ。

――バージョンアップか何かで、仕様が変わったのかな?
 興味を惹かれ、脇道に足を踏み入れてみた。
 昔とは風景が少し変化しているが、それでも記憶の中にうっすら残っている道だ。どんどん進んでいくとその先に古ぼけた家があった。木造一階建ての小さな、みすぼらしい家。
 思い出した。ここは近所で有名な変人の自宅だった場所だ。

 変人は名を「サイチ」といった。仕事もせず昼間から酒の臭いをプンプンさせたままふらふらと町なかを歩いていたサイチ。近所では夜中に彼の家から奇声とも悲鳴ともつかない叫び声が聞こえてきて困っているという噂だった。
 小学生の時分に、同級生数人が肝試しにサイチの家の庭に侵入したがすぐに見つかり、鬼の形相で鎌を振り上げたサイチに追っかけられるという事件も起きた。

 それから何年か経って僕らが中学に上がる頃、サイチが自宅の応接間で首を吊っているのが見つかった。遺書はなく、自殺の理由はわからなかったそうだ。
 けれど当時の僕らにしてみれば、あんな風にすさんだ生活の人間が何事もなくずっと生きていられるのが不思議だったので、むしろ彼が自殺したことの方が世の中の理にかなっているように思えた。
 それ以来、主のなくなった家は買い手がつかないまま放置状態になっていたはずだった。

 その「サイチ」の住んでいた家が、画面を挟んで目の前にある。懐かしいような、それでいておぞましいような、不思議な感覚だった。
 ついに家の正面まで来てしまった。門は開いている。
 家のすぐ前の道路上には、ストリートビューのあの矢印マークが門に向かって表示されていた。
――このままマウスをクリックすれば庭にも入れるのか? いや、いくらなんでもそれはないだろう?
 カチ、カチ。
 半信半疑のまま、僕は人差し指を小刻みに動かしてみた。
 するとカメラの視点は、拍子抜けするほど滑らかに門を抜けて庭に入った。
――おいおい。こんなことってあるのか? 個人情報は、プライバシーはいったいどうなっている?

 家の中庭は案の定手入れもされず荒れ果てていた。しかしサイチが生きていた時分から雑草は生え放題だったので、昔と印象はさほど変わらなかった。家の外壁や屋根も、十年以上放置されたままにしては、それなりに綺麗に見えた。
 マウスを滑らせ、玄関のドアにカメラを向ける。地面にはあの矢印が表示されたままだ。好奇心に負け、僕はまたマウスをクリックする。

 驚いたことに家の中にも入れた。狭い玄関先に男物の靴が並んでいる。
――もしかするとこの家の間取り自体がストリートビューに収録されているのではないか? そしてまた、それはよくある普通のことなのではないか?
 続けざまの異様な体験が噛み砕かれて腹に落ちたせいかもしれない。今やこの状況は、自分の中で半ば以上は普通の現実として受け入れられてしまっていた。
 好奇心に突き動かされ玄関から家に上がる。正面に見える廊下を進むと、その先に安普請のドアがあった。もう何のためらいもなくドアを開けて部屋に入る。

――!!
 最初に目に入ったのは、鴨居からぶら下がっている人間の二本の足だった。
 ストリートビューは静止画像のはずだが、僕には死体のからだ全体がブラブラと揺れているように思えた。糞尿の臭気が鼻を突くような錯覚も生じ、僕は吐き気を催した。

――何だ? 何なのだこれは?
 当時のことを思い出した。この家の主は応接間で首を吊って死んでいたのだ。だが、おかしいではないか? 家の主が、気の触れたサイチが自殺したのはもう十年以上も前の話だ。

 どれぐらいの時間が経っただろう。僕は我に返った。長いこと口を半開きにしたまま放心状態だったようだ。このままだとこっちまで気が変になりそうだ。
 死体はそのままぶらさがっている。僕は嫌でも目に入ってくるそれを視界から外すためにマウスを横にドラッグした。
 隣の部屋に続くドアが半分ほど開いている。中を覗くと畳敷きの和室だった。逃げるように和室に入った。そこはがらんとしており殺風景だった。奥の押入れの引き戸が不自然に少し開いている。

 その時だった。押入れの中の『なにか』と目が合った。
 次の瞬間、僕は大きな見えない手に頭を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。耳の奥でゴォーッという音が鳴った。体温が一気に下がり、鼻の奥でツンと金属の臭いがした。
 ゴブッ……目と鼻と口から一気に大量の血が流れ出るのを感じながら、僕の意識は途絶えた。

  *****

――次は丸井戸です。
 ガタン。
 バスが信号待ちから発車する振動に体を揺すられ目を覚ました。
 半覚醒状態の意識が、かろうじて合成音声のアナウンスの後半を拾ってくれていた。
――やばい。次で降りなければ。
 足元に転がしていたリュックを膝の上に引き上げる。
――嫌な夢を見た。これからみんなで同窓会だってのに。
 数年ぶりの地元だった。
 小学校時分の友達から誘いがあり、今晩は当時の悪ガキ数人で小規模の同窓会をすることになっていた。あんな夢を見たのもそのせいかもしれない。

 プシュー。
 圧縮空気の抜ける音とともにドアが開き、僕はバスを降りた。 
 外に出ると、湿った、雑草の匂いのする懐かしい空気。数年ぶりに嗅ぐ匂いだった。
 このあたりはほとんど景色が変わっていない。まるで時間が止まっているようだ。まあ田舎はどこでもそんなものなのかもしれないが。
 今晩飲む居酒屋まではここから歩いて十分ほどだ。待ち合わせまでにはまだたっぷり時間があった。
 リュックを背負ってゆっくりと歩き出す。このへんの地区は通っていた小学校からは近いが実家からは少し離れている。久しぶりに昔を思い出しながら散策するのも悪くない。
 ふと気がつくと、僕の足はなんとなくあの場所に向いていた。車の通れない細い脇道。夢で見たのと同じ道。

 何かに吸い寄せられるように、僕は「サイチ」の家の前に立っていた。
 地面には玄関に向かう矢印のマークが、あるはずのないマークが、はっきりと見えていた。
――ああ……何故……
 見えない何かに両肩をがっしり掴まれているようで身動きが取れない。
 僕は「あの家」の玄関に向かい、よろよろと無理矢理歩かされ始めた。

――嫌だ。僕は嫌だ……
 悪夢は、まだ始まったばかりだった。

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