丸の内とルドン

 昨年の11月、東京丸の内にある三菱一号館美術館へ「ルドン、ロートレック展」を観に行った。

 そのときは知らなかったのだが、あとになって加藤克巳に次のような歌があることに気がついた。

寂として東京丸の内午前三時ルドンのまなこビル谷に浮く
/『球体』(1969)

 この歌では想像上で「ルドンのまなこ」(ルドンのいくつかの作品は大きな目が特徴的だ)を丸の内のビル谷に浮かせているが、現実世界の僕は、その「ルドンのまなこ」を丸の内で観られたことにちょっと感動した。

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 ところで、先の歌ではどうして「東京丸の内」だったのだろう。加藤には後年の歌集『ルドンのまなこ』(1986)に次のようなルドンの歌がある。

ルドンの眼いつしかビルの谷に落ち物音絶えて都会は死んだ
いつしかにルドンの眼(まなこ)のぼりいて神宮の森にふくろうのなく

 これらの歌における「ルドンの眼」は、一首目に顕著だが、元ネタであるルドンの絵のおどろおどろしさも手伝って、行き過ぎた文明の死を思わせる。それは同じ連作内の「核の抑止にかばわれいつしか憎悪よぶまでにたくわえたるはなになる」「夜があけてきょうも平和な日がのぼり物人(ものひと)氾濫の街がわきたつ」からも読み取れる。つまり、加藤にとって「ルドンの眼」≒行き過ぎた文明の死であるなら、それを浮かべるべきは、日本の最も都会的な場所として「東京丸の内」の「ビル谷」が適当なのである。

 加藤もまさか「寂として~」の歌から50余年後にルドンの絵が丸の内で展覧されているとは思ってもいないに違いない。

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