毎日一首評①

死にむかひ総ては満ちてゆくといふ昼のこほろぎ夜のこほろぎ
/草柳繁一『胡麻よ、ひらけ』

 この歌の面白さとしてまず目立つのは、死に向かって「満ちてゆく」という感覚である。生まれてからの全ては死へ向かっているのだという思想は珍しいものではないが、だんだんと「すり減ってゆく」という把握が多いのではないか。その中で豊かさを感じさせる「満ちてゆく」という表現を選択していることに意外性がある。
 そして、その感覚に説得力を持たせているのが下句である。語の構造としては「昼のこほろぎ」と「夜のこほろぎ」という名詞節を二つ並べたに過ぎない。しかし、(文としてはそう書かれていないのにも関わらず)そこには昼から夜への時間の移り変わりがある。夜になって鳴き始めるコオロギたちがある。コオロギの生命は人間よりずっと短いから、その時間経過は生から死への暗喩であり、また、鳴き声に満ちてゆく様はつまり「死にむかひ」「満ちてゆく」ことの暗喩でもある。二つの名詞節を並べただけながらこの構造的・時間的な広がりを見せるのは驚異的だ。
 しかし、だ。正直に言って以上に述べてきたことは「できすぎ」である。こういう対比は評しやすいから飛びつきがちだか、この歌の一番あいまいなところで、実は一番の説得力を担っているのは「といふ」だと思う。最初に述べた「満ちてゆく」の表現は、確かに面白いが、下手を打つと箴言的になってしまいがちである。それを回避しているのが「といふ」なのだ。ただ伝聞にしたから箴言を回避しているという意味ではない。おそらく主体は他人から伝え聞いたのだと思うが、それを信じていても信じていなくても「といふ」という表現にはならない。そこには伝え聞いた内容を信じ始めている主体がいる。信じていない状態から信じ始めている状態への時間の推移、信じ始めるきっかけとなる主体の体験(下句の把握)、このことを感じさせる「といふ」が、この歌に対して他に代えがたい説得力を与えているのだ。

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