ぼんやりと塚本邦雄を読む(2)

 塚本の歌を読んでいると、いくつかモチーフは繰り返し詠われているということに簡単に気づくことができる。ここで取り上げたいのは「婚」の歌だ。結論から言うと、塚本の「婚」の歌には男性側の罪の意識がある。それは恐らくは、若い女性のその後の人生を男性のものとして引き受けてしまうことへの罪である。
 今、手元に短歌研究社の『塚本邦雄全歌集』一巻と二巻がある。生前に出版された歌集の第一~六歌集が収録されている。ここから「婚」を詠み込んだ歌を何首か引きながら、塚本にとっての「婚」がどのようなテーマなのか、実例に則して読んでみたい。「少女」「老婆」「母」などいくつかの語も同テーマの一環としてしばしば詠われるが、ここでは「婚」の歌に絞っておく。

・『水葬物語』より
 ……と言いたいところだが、本歌集にはまだ「婚」を直接詠み込んだ歌はないようである(筆者調べ。見落としはあるかもしれない)。「婚」の歌は、第二歌集以降に見られるようになる。

・『装飾樂句』より
藁婚式 今はつぐなひ得ぬもののいくばくや濃く芥子を練りぬ
 ※藁婚式=かうこんしき、芥子=からし
結婚衣裳縫ひつづりゆく鋼鐵のミシンの中の暗きからくり
破滅への合圖のやうに降る砂に新婚の床うづもれゆきぬ

 一首目。「藁婚式」は結婚二年目の祝いのことらしい。藁婚式の祝いをしている夫婦だろうか。今はまだ「つぐなひ得」ないものを意識しつ、芥子を濃く練っている。この歌では「つぐなひ」が誰の何に対するものなのか明らかにされていないが、「婚」の祝福のイメージから遠くにいることは明らかである。
 二首目。「結婚衣裳」にはウエディングドレスを想像する。「結婚衣裳」自体は明るくてめでたいものであるが、それを作るミシンの中には闇がある。表向きの明るさとその裏の暗さは比喩的である。踏み込んで読めば、表面的な結婚の明るさと、結婚というシステムの(表面的な明るさによって紛らわされている)実態の暗さをも思わされる。
 三首目。「破滅」とは何の破滅だろう。砂が降って来るのだから、家が崩れているのだろうか。その崩れた家が「新婚」夫婦の床を埋めていく。破滅への合図の象徴が夫婦の床を埋めていくことは、そのまま夫婦の破滅を予感させる。先ほど述べた、崩れかけている”家”も、何も物理的な家に限るまい。

・『日本人靈歌』
結婚せぬ莫迦と結婚する阿呆達 さるすべり白き焔ふきて
 ※焔=ひ

 この「結婚」は男性側からの言い分だと取っておく。なぜならば、「結婚」によってその後の人生を奪われる女性に「結婚せぬ莫迦」という論理は不釣り合いに思えるからだ。妻を娶らないことで得られない利益に無知なことへの「莫迦」と、結婚というシステムの搾取性に気づかない鈍感さへの「阿呆」だと、私は解釈した。

 たぶん続く。

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