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【舞台】語彙

【登場人物】
ハリネズミ
神様
(一人芝居)


開幕。
背を向けた男の姿が浮かび上がる。
舞台は薄暗く、男の顔はよくわからない。
舞台奥の壁には大きな紙。
男はクレヨンを手に、何やら悩んでいる。
それは生き物を創造する神様である。

神様    可愛いのがいい。とびきり可愛くて、小さくて、誰からも愛されるような、そんな子がいいな。

神様は紙に絵を描きだす。

神様    体形は丸っこくてこんな具合だといいかな。
神様    目は、そうだな、小さく円らで、こんな感じ。
神様    鼻は、ここかな。少し尖らせるか。
神様    そうそう、耳がポイントなんだ。
神様    足は、長く…いや、短くて細いほうがいいな。
神様    ふむ。しっぽは。しっぽ。うーん。この間の馬のデザインはなかなか良かったけど、この足の短さだと踏んじゃうよなぁ。猿のように自在に動かして、いや兎みたいに丸くするのも手だな。うーん。

考え中に意図せず線を引いてしまう。
それはまるでその動物に刺さった一本の針。

神様    あ!

その失敗で何もかもが嫌になり、その動物への興味を失う。

神様    あ、そうだ。

間違って描かれた線を消すかのように、多くの線を書き足していく。
やがて針がたくさん突き刺さったような生き物の姿となる。

神様    いいね。とびきり可愛くて、小さくて、誰からも愛されない孤独な生き物の誕生だ。名前はそうだな、(思わず笑いが漏れる)ハリネズミ。「親愛なるハリネズミ君。可愛くて小さくて孤独なキミに、僕だけが愛をプレゼントしよう。きっと気に入ると思うよ。キミの神様より」。

暗転。
暗闇のなかひそかに聞こえる声。
(あ、ああ、アーカイブ、アーメン、アール指定、愛、相合傘、相方、合言葉)
明転。
舞台上に丸まった男。ハリネズミである。
もぞもぞと動き出したその手にはナイフを握っている。
男は観客に気付き、語りだす。

ハリネズミ 初めまして。こんにちは。その場でどうか聞いてください。落ち着いて。僕はハリネズミです。その名の通り、生まれた時からこんな無数のトゲが僕の体を覆っていました。でも僕は別にナイフを持っているわけではありません。誰かを、貴方を、傷つけようと思っているわけじゃない。僕も何故こんな敵意の塊のような姿をしているのかわからないんです。根は臆病で、内気で、ぬくもりに飢えていた。だから。だから言葉を覚えました。触れ合わなくても、触れ合えるように、たくさん勉強しました。精一杯努力をすれば、こんな僕でも誰かに愛されるんじゃないかって過ぎた夢を見たのです。そしてようやく見つけたのはぼろぼろの人形でした。いえ、僕がぼろぼろにしてしまったんです。たった一人、僕の隣にいてくれた彼女を、僕はたくさん傷つけた。御覧のとおり、今僕は、ここに、一人でいます。だから、これは結末のわかりきった物語。それでも聞いてくれますか。

突如、言葉に詰まり、辞書を引き出す。
その姿はまだ言葉を習得していない頃のハリネズミと重なる。

ハリネズミ う…に…。うに。海にすむ棘皮動物の総称。多くの種が一面に覆われるトゲを持つ。

近づいてくる他人に気付き、慌てて姿勢を正す。
覚えたての言葉を使い、会話を試みる。

ハリネズミ はっはじめまして。……うに、すき? なに、すき? ムラサキウニ? バフンウニ? マンジュウウニ? スカシカシパン? タコノマクラ? ブンブクチャガマ? (トゲを指摘され)え、これ?これは…(相手が走り去る)あ、いくの。さようなら。

再度辞書を捲る。

ハリネズミ く…り…。くり。山野に自生し、また栽培もされる落葉高木。濃い茶色のいがに包まれている。

再びやってくる他人に気付き、慌てて姿勢を正す。
先程よりも言葉を覚えている。

ハリネズミ はっ初めまして。こんにちは。……栗は好き? 嫌い? うん、おいしいよね。何で食べるのが好き? 栗ご飯? 栗きんとん? え、モンブラン…って山の名前だったような。(トゲを指摘され)え、これ? これは…生まれつきあって…(相手が走り去る)あ、もう行く? さようなら。

辞書を捲る。

ハリネズミ さぼ…てん…。サボテン。中南米の砂漠などに多い常緑多年草。種類は雑多で変わった形のものが多く、大抵トゲがある。

三度やってくる他人に気付き、慌てて姿勢を正す。
今度はさながらビジネスマンのよう。

ハリネズミ 初めまして。こんにちは。私ハリネズミと申します。いえ、決して怪しい者では。少し貴方とお話がしたいのですが、お時間少々よろしいでしょうか? ……雲丹はお好きですか? あぁ、そうですか。じゃあ栗は? へぇー、両方お好きなんですね。では、では、……(小声で)ハリネズミは? ……どちらもトゲトゲしてますよね。だったらハリネズミだってそうじゃありません? トゲトゲが好きなんでしょう。え、中身? 中身が好き? 私もね、中身は悪くないと自負しておりますよ。実際は一度も誰かを傷つけたことなんてないんですから。誰もそこまで近づいてはくれないんですから。あ、あの、もう少しこちらへいらしたらいかがです? 何故後ずさるんですか? そんなところで私の話本当に聞こえてますか? あ、申し訳ありません、言葉にトゲがありましたね。この話はもうやめましょうか。なんの話にします? あ、サボテンは?(相手が走り去る)サボ、…サボうなら。

辞書を捲る。

ハリネズミ きっと僕の話がつまらないからいけないんだ。もっと言葉を勉強しなきゃ。うまくコミュニケーションを取ればきっと、大丈夫だ。蜂、尻の先に針を持つ。薔薇、トゲのある落葉小低木。ハリセンボン、針、千本!? 海かぁ。どこにあるんだろう。

突如ハリネズミにむかって石が投げられ、ぶつかる。
理不尽にむけられる敵意に戸惑いながら、退場しかける。

ハリネズミ 怖いもんなぁ。仕方がないよなぁ。そうだ。

自身の体を覆うように布を巻き付けトゲを見えなくする。
雑踏のなか、大勢の人に紛れ、その場の会話に踏み込んでいく。

ハリネズミ 初めまして。こんにちは。うんうん、マジでー、超ウケるー、チョベリバでMK5だよねー。よし、なかなかいい感じに会話できてるぞ。え? なんの話? 「あたたかい」? 知ってるしー。あれでしょ、マジ超旨いよねー、今はまってて毎日「あたたかい」食べてるしー。……なんかおかしかったかな。え? なんのこと? 「やわらかい」? 知ってるしー。あれでしょ、マジ超キレイだよねー、ウチも最新の「やわらかい」マジ超欲しいんだけどー。……なんかおかしかったかな。これは。マジ超なんでもないし。別に見られて困るもんなんてないし。やめてだし。あんまり近づいちゃだめだし。あぁ駄目駄目、駄目だってば!

体を覆っていた布がはぎ取られる。
好奇の視線。視線の主は周りの観客。

ハリネズミ 初めまして。こんにちは。その場でどうか聞いてください。落ち着いて。僕はハリネズミです。その名の通り、生まれた時からこんな無数のトゲが僕の体を覆っていました。でも僕は別にナイフを持っているわけではありません。誰かを、貴方を、傷つけようと思っているわけじゃない。僕も何故こんな敵意の塊のような姿をしているのかわからないんです。根は臆病で、内気で、ぬくもりに飢えていた。だから。だから言葉を覚えました。言葉さえあれば、たとえ触れることはできなくても、誰とでも仲良くなれると思うのです。僕の姿は怖いかもしれません。でもそれは僕も同じです。未知のものは誰だって怖い。だから僕という生き物を知ってください。僕に貴方のことを教えてください。どうか勇気をもって、前へ。こちらへ。ここに。僕のところへ。来てください!

誰も出てこない。
もはやハリネズミは言葉が出ない。
その場を逃げ出す。

ハリネズミ  他の言い方がよかったかな。もっと的確な言葉があるんだ。気持ちさえ伝われば。

辞書に頼るしかなく、ひたすらにページを繰る。
やがて最後のページに辿り着く。

ハリネズミ わ…を…ん? 終わり…?「収録語数七万七千五百」…。

覚えた七万七千五百語の言葉を話す相手はどこにもいない。
辞書のあとがきに気付く。

ハリネズミ 「親愛なるハリネズミ君。可愛くて小さくて孤独なキミに、僕だけが愛をプレゼントしよう」愛……根源的かつ普遍的な感情。人格的な交わり、あるいは人格以外の価値との交わりを可能にする力。…「僕だけが愛をプレゼントしよう。きっと気に入ると思うよ。キミの神様より」。

辞書を投げ捨てる。
目の前を何人かが通り過ぎていくが、もう話しかけようとはしない。

ハリネズミ あ、ああ、アーカイブ、アーメン、アール指定、愛、相合傘、相方、合い言葉。言葉。覚えた言葉を、言うべき相手もいない言葉を、ぽつぽつと吐き出す。吐き出して吐き出して、僕が空っぽになれば、終われるんじゃないだろうかと、期待して、何日経ったのか、何年経ったのかも「曖昧」。愛欲、アイリス、アイロニー、喘ぐ、敢え無い、青、赤、証、暁、「飽き」もせずに毎日のぼってくる太陽を避け、「悪党」のようになるべく夜に行動し、「揚げ雲雀」の声に怯えて眠る。「憧れ」るのはやめにして、「嘲る」ことで自分を守った。「朝日」をただただ呪い、「足音」が聞こえれば逃げ出して、もそもそと「味気ない」、ただ空腹を満たすためだけの食事をとり、「あすなろ」の陰に身を潜め、「あたかも」そこに存在してないかのような振りをして、「あたふた」と「あちこち」に「厚かましく」も「アデュー」……?「あと」いくつだっけ。暗闇でただただ自分の呼吸する音を聞きながら、なんで未だに息なんて吸ったり吐いたりしてんのかなってぼんやり考えていた。はやく止まればいいのに。

ふらりと歩き出そうとして、誰かとぶつかる。

ハリネズミ いった…! いたい…? 誰かにぶつかった…!? 初めて人を傷つけてしまった。事実、僕は本当に鋭いトゲを振りかざす危険な生き物になってしまった。あ…あ…言葉が出ない…あんなに覚えた言葉…なんにも出てこない…こういう時最初に言うべきことは…「初めまして」! …じゃない、すみません大丈夫ですか、皮膚だけですか、内臓まで達してますか、大事な血管を傷つけていませんか。何故平気な顔をしているんですか…? そんな人形のように微笑んだまま。え? 人形? くるりとした青い瞳、象牙色の肌、流れるような金糸の髪、もしや貴女は人形? そうか、だからトゲが刺さっても平気なんだ。人形。プレゼント。そうなんですか、神様。そういうことなんですか。もしかしてあなたが「愛」?

沈黙。

ハリネズミ いえ、なんでもないです、すみません僕、またおかしなことを。知りもしないのに愛の話なんかして。もう望みを持つのはやめたんです。決めたんです。ぶつかってしまってすみませんでした。もう行ってください。

一度退場を促すが、その手を引き留める。

ハリネズミ 待って。あれ。ごめんなさい。離せない。なんて勝手な手なんでしょう。恥ずかしい。痛くはないですか? あなたと、少しでいい、話をしたいんです。雲丹は好きですか? 栗は? サボテンは? 蜂は? 薔薇は? ハリセンボンは? じゃあハリネズミは、嫌いですか? 本当に? お名前を教えてください。え? 人形さん、もしかして口がきけない…? そっか、人形だから。おはなしできないんですね。そうか……。でも僕の言ってることはわかりますよね? そして、触れられる。……。お名前は? ないのですか? じゃあなんとお呼びすれば。僕が決めていいんですか? 確かに人形というのはそういうものですね。あぁ、じゃあ、えーっと、えーっと、じゃあ、アイというのはどうでしょうか。ほら、あなたの瞳は青くてとても美しいから。あ、ごめんなさい、近すぎました!? また刺さりました!? 平気、なんですね? ごめんなさい、僕、人との距離感がいまいち掴めなくて…。初めて、自分以外の生き物に触れたんです。この感触が多分、「あたたかい」とか「やわらかい」ってことなんですよね。絶対に忘れません。教えてくれてありがとうございました。あの……いえ、なんでもありません。今日アイに会えてよかった。さようなら。

退場しようとして、誰かに抱きしめられたように動けなくなる。

ハリネズミ 神様の贈り物の女の子は、躊躇することもなく僕を抱きしめた。僕は人生二度目の他人の感触があまりに鮮烈で、こんなにもこんなにも…冷たくなくて堅くなくて、あたたかくて、やわらかかったから、さっき飲み込んだ言葉を伝える気になったんだ。あの……一緒にいてくれますか?

返事を聞くと同時に世界が色づき、舞台上が明るく照らされる。
(つまりここまでの照明はかなり暗い)

ハリネズミ 七万七千五百語の言葉をもつ僕と、言葉を持たないアイとのコミュニケーションは、端から見れば奇妙だったかもしれない。ハリネズミが人形に一方的に話しかけているだけなのだから。それでもアイはにこにこと聞いてくれて、何度も頷いてくれて、様々な所作で気持ちを伝えてくる。アイの考えていることが手に取るようにわかるから、僕たちの間に実は言葉なんていらないんじゃないかという気にもなるけれど、やっぱり僕はこのために言葉を覚えてきたのだと思うから、僕の中の気持ちにぴったりの語彙を探しながら、惜しげもなくアイに伝えるんだ。

ハリネズミ 希望? 憧憬? 願望? 夢、かな。海に、行ってみたいんです。まだ見たことないから。何か叫ぶらしいですね。代表的なのは「ばかやろー」かな。「ばかやろー」の意味? 誰かを罵る言葉だけど、この場合特に意味はないんだと思いますよ。海に行ったらハリセンボンもいるかなぁ。もちろん本当に針が千本あるか確かめるんです。確かに、日が暮れますね。そしたら砂漠にも行きましょう。夕日がすごく綺麗だって聞きました。サボテンの花が咲いてるといいな、髪に飾ると素敵だと思います。僕じゃないですよ、アイの髪です。え? 本当だ。そうですね、ここの夕日も最高です。世界中のオレンジ色が集まってるみたいで、懐かしいような、慕わしいような、恋しいような…いや駄目だな、うまく形容できません。そうですね、「綺麗」だけで充分です。そういえばおなかがすきましたね。今日は何にしましょうか。あ、栗ご飯は? え、アイ栗ご飯はじめてなんですか? 僕も。二人でやればきっとつくれます。帰りましょう。少し風が出てきましたね。ねぇ、アイ。あたたかいってどういうことですか?(抱きしめられて)あたたかい。ありがとうございます。もうすぐ夜なんですね。全然暗くないなと思って。不思議だな。前はあんなに暗かったのに。ん? あぁ月が出るからですか? そうですね。そうかもしれない。きっと月が傍にいるからですね。ねぇ、アイ。やわらかいってどういうことですか?(頬に手を持っていかれ)本当だ。やわらかい。
      
ハリネズミ 僕が望めば、何度だって君は僕に触れて抱きしめてくれる。その重さが心地よくて、僕は何度だって聞いてしまう。他人から見たらどんなに滑稽でバカみたいか。でも他人なんて、もはや存在も疑わしいくらい、僕たちの間に何者かが入り込む隙間なんてこれっぽっちも空いていないんだ。

ハリネズミ あれ、アイの方が栗多くないですか? 僕のは1個しか入ってない。(あーんされて戸惑いながらも食べる)おいしい。本当に美味しい時は美味しいとしか言えませんね。綺麗なものは綺麗って表現が一番適格だし。本当は、言葉なんか必要なくて、同じ場所で同じものを見て同じ気持ちになってくれる相手がいれば、それでいいんだと思います。あ、いや、それだけでいいんだ、よね。ハリセンボンは独りぼっちかな。どうだろう。もしかしたら、僕みたいに。ううん、なんでもないです。あ、いや、なんでもない。ねぇ、アイ。あたたかいってどういうこと?(抱きしめられる)じゃあ、やわらかいってどういうこと? ……あれ、いつもは頬に僕の手を持っていくのに、今日はどうしたんですか、赤い顔をして。(胸にあたる部分に手を持っていかれる)ええ!? ちょっ…!……それは今まで触ったどんな「やわらかい」より柔らかくてほわほわしてぴったりで。アイの緊張がドクドクと直に伝わってきて、思わず引っ込めたその手をまたアイに取られて。これが愛っていうこと?

押し倒す。
暗転。
響く呼吸音。
喘ぎ声のようなそれは次第に泣き声へと変わる。
泣き声が最大になったところで明転。
魘されていたところを飛び起きるハリネズミ。

ハリネズミ うわぁ! はぁっはぁっ…夢? どっちが、どっちが夢…? アイ、アイ、どこです? どこに行ったの? 嘘でしょう、アイ! アイー! 神様、アイが、アイが、もしかして、全部、僕が、夢想しただけの、(辞書のあとがきを確認する)……ある。プレゼント。僕をアイと出会わせてくれたんだよね。アイは僕の隣にいたんだよね。あの「あたたかい」は夢じゃないよね。夢じゃ…(アイが現れて)夢じゃなかった。どこに行ってたの。もう嫌なんだ。あんな暗闇、絶対に戻りたくない。うん、うん、そうだね、ここにいるね。ちゃんとあたたかい。どこにも行かないで。どこにも行かないでね。

ハリネズミ アイは、ある日突然現れた。だからある日突然消えるんじゃないかなぁ。アイは、こんな僕に優しくしてくれる。だからハリセンボンにだって優しくするんじゃないかなぁ。アイは、あまりに完璧だ。だから不完全な僕のことなんて嫌になるんじゃないかなぁ。大好きが膨らみすぎて、僕が触った瞬間に破裂してしまいそうだ。それでもその感触を確かめずにはいられない。触らないと、ちゃんとそこにあるかわからないから。

ハリネズミ 海? いいよ、行かない。砂漠なんて面白くもなんともないよ、きっと。僕はアイさえいればいいんだ。アイもそうでしょ? ……なんか言ってよ。……ごめん。……僕はさ、この沈黙が怖いんだよ。あまりにも一方的じゃないか。アイが言葉を話せたらいいのに。違う、アイを責めてるわけじゃなくて、アイといることは本当に幸せなんだ。痛いくらい。ただ僕はアイの本音を知りたいんだよ。だってアイ、僕の言うことに首を振ったこと、ある? ……その問いかけにアイは確かに目線を逸らした。僕はその時初めて、彼女がただ美しいだけの人形ではないことに気が付いたんだ。

ハリネズミ、辞書を確認する。

ハリネズミ 人形、確か、人の形をまねて作ったおもちゃ。おもちゃなんかじゃない。にん…ぎょう…にんぎょう。人の形をまねて作ったおもちゃ。また、他人の思うままに動かされる人の意。……君は誰の人形なんだ?

浮かび上がる神様の姿。
ハリネズミの絵のその隣に、女の子の絵を描き出す。

神様    孤独なハリネズミを救うのは可愛い人形だ。どんなに自分が傷つこうとも、ハリネズミの孤独に寄り添うことをやめはしない、健気で可憐な女の子。ヒロインというのはそういうものだろう? そして二人は幸せに暮らすんだよ。ずーっとね。親愛なるハリネズミ君。僕のプレゼントを気に入ってくれたようでよかったよ。彼女はこれからも君に笑いかけ、君に愛を囁き、君を優しく抱きしめる。どんなに傷つこうとも心配ないよ。そういう風に創ったからね。愛を知った君はもう戻れないだろう。あの孤独の日々には。だから存分に愛していいよ。

ハリネズミの姿に変わる。

ハリネズミ 本物がほしいんだ。一つだけでいいから。でも、ここにあるのが偽物だったとしても、それを失うのはひどく恐ろしくて、彼女に聞けないでいる。「君は誰なんだ?」

ハリネズミ ねぇ、アイ。鬼ごっこをしようか。僕が逃げるから、アイが鬼ね。さぁ数を数えて。いーち、にーい(略)きゅーう、じゅう。(まったく逃げる気がない)さぁ捕まえて。あーあ捕まっちゃった。じゃあ次は、アイが鬼ね。あーあ捕まっちゃった。じゃあ次は、またアイが鬼ね。ずっと鬼ね。僕を求めて探して追いかけて捕まえて。何度だって。どうしたの。捕まえてよ。あぁ、飽きちゃった? 違う遊びにする? おしくらまんじゅうはどうかな。「あたたかい」も「やわらかい」も同時にわかる遊びなんだ。僕たちにぴったりだよね。ほら、僕にぶつかってきてごらん。おしくらまんじゅうおされてなくな、おしくらまんじゅうおされて、……泣いてるのかと思った。そんなはずないよね。二人はこんなに幸せなんだもの。

服に穴が空いているのを見つける。

ハリネズミ あぁ、アイ、服がぼろぼろじゃないか。ごめんね、気付かなくて。僕のトゲのせいだよね。大丈夫、僕が繕ってあげる。

自分のトゲを使って、服を繕っていく。
縫っている途中で自分の手を刺してしまう。
その手をじっと見て。

ハリネズミ こんなに痛いのに、よく平気だね。うん。本当は途中から気付いてたんだ。君が血を流していたことも。僕に隠れて泣いていることも。気付かない振りをしていただけなんだ。本当は痛くて痛くてたまらないんでしょう。なのに、どうして僕といるの? 神様にそう作られたから? 君は君の意思ではなく、そう作られたから、役割を与えられたから、命令されたから、僕といるの。とんだ慈善事業だね。愛の塊みたいな君はさ、じゃあ傷をつけたら愛が漏れ出してくるのかなぁ。

人形にナイフを向ける。

ハリネズミ いつか誰かと交わしたいと思い僕が磨き上げた言葉は武器となって君に突き刺さる。僕は、僕は、どうすれば君が致命傷を負うか、考えに考えて君が一番傷つく言葉を僕の語彙の中から探し出す。『僕が可哀相だから? だから相手をしてくれた? 僕が矮小で孤独なハリネズミじゃなかったら、これほどまでに愛してくれた?』違うなぁ、もっと違う言葉があるはずだ。『綺麗も、美味しいも、あたたかいも、届かなかった? 聞こえない振りが上手だね。』違うよ、そんなことが言いたいわけじゃないんだ。『どうして君はそんなに献身的で恐ろしいまでに無垢で作ったように美しいの。』そう、これだ。これを言ったら、おしまいなんだ。『君はまるで人形じゃないか』。

滴る雫の音。

ハリネズミ 傷口から溢れるそれが愛なのか、眼球を濡らすそれが愛なのか。そんなになっても君は強張った顔で笑ってる。まだ僕に嘘をつき続けるつもりなの。全部の愛が流れ出たら君は僕に微笑むことをやめるのかな。

ハリネズミ、人形を荒々しく抱く。

ハリネズミ いくら言葉を覚えたってこんなものなんの役にも立たないんだよ。僕は君しか知らない。何が本物か、わかるはずもない。笑えばいいさ。けれどこの先これ以上の感情を僕が覚えることはきっとない。だから君がくれたものを全部、愛と呼んでやる。痛い? 痛いよね? 最初からそういう顔が見たかった。大丈夫、すぐに済むよ。君に僕の想いを伝えられる方法はこれしかないんだ。だから。さよならしよう。

決死の覚悟で握った手を引きはがす。

ハリネズミ 君の隣で生きようとして、ごめんね。

暗転。
神様の姿が浮かび上がる。

神様    どおしてぇ? 彼女の何が不満? とっても可愛く作れたのに。可哀相な君には幸せになってほしいって皆が思ってるんだから。孤独で醜くて利己的なハリネズミは、彼女の痛みを見て見ぬ振りしながらいつまでも楽しく幸せに暮らしましたおしまい。感動的なストーリーでしょ? 僕の言うことが聞けないの?……あぁ、そう。もういいや。

ハリネズミと人形の絵が描かれた紙を破く。

神様    また失敗しちゃった。次は何を作ろうかな。……ハリネズミだけを愛するように作られた彼女が、生きる意味を奪われたら、どんな行動に出るのかねぇ。ま、どうでもいいか。

暗転。
暗闇の中、響く声。

ハリネズミ あ、ああ、アーカイブ、アーメン、アール指定、愛、相合傘、相方、合い言葉。言葉。覚えた言葉を、言うべき相手もいない言葉を、ぽつぽつと吐き出す。吐き出して吐き出して僕が空っぽになれば、終われるんじゃないだろうかと、期待して、何日経ったのか。暗闇でただただ自分の呼吸する音を聞きながら、君の呼吸の音を思い出していた。どこかで、君が、息をしているならそれでいい。息をして、夕陽を見て、ご飯を食べて、誰かと、本当の顔で笑ってくれるなら、それで、僕はそれで、それだけで、いつか来る終わりまで生きていける。だから今、僕はここに、一人でいるのです。

閉幕のような雰囲気を出しつつ、退場しかける。
ふいに誰かが現れたのに気付く。

ハリネズミ なんで…ここに…。追いかけてきたのか。駄目だ。もう二度と、触れない。で。困る。もう一回言うのは、きついよ。さような……え? 今、なんて言ったの?

初めて言葉をしゃべる人形。(あいしてる)

ハリネズミ それは耳馴染みのない、けれど僕のよく知る言葉で、確かに彼女の口から発せられた。なんで、喋れるの? また神様に言わされているの? 

辞書を確認する。
神様の後書きあ消えている。

ハリネズミ あれ、ない。消えてる…? 神様? 神様! ねぇ。これってどういう…。

人形の表情を見て驚く。

ハリネズミ 僕のよく知るはずの美しい顔は、今はくしゃくしゃに歪み、頬を上気させ、目を腫らして、まるでまるで、怒っているかのように見えた。怒涛のようにあふれ出る言葉のその意味は、だいたいが拙い罵倒と文句だと理解できたけれど、僕はますます混乱した。知らない、そんな顔。知らない、そんな声。そんなこと、人形だったら言うはずがないのに。アイのような顔をしたこの女の子は、ひょっとすると。……君は誰なんだ?

人形の言葉に破顔して。(わたしはあい。はじめまして)

ハリネズミ はじめまして。……雲丹は、好き?

時間軸は冒頭に戻る。

ハリネズミ そろそろこの語りも終わりに近づきました。御覧のとおり、今僕は、ここに、一人でいます。そしてアイもまた、そこに、一人でいます。

舞台上に設置された椅子に照明があたる。
物語の冒頭からそこには人形が座っており、結末は提示されていた。
ただしそれを見ることのできた観客は恐らくいない。

ハリネズミ そんなことは、皆さんなら初めからもうご存知ですね。こんな結末のわかりきった語りにお付き合いくださり、ありがとうございました。僕とアイは、お互いを傷つけない距離をとることを選び、何もかもが初めてのことのように言葉のみでのコミュニケーションをとっています。二度と触れ合うことはありません。けれど、もう大丈夫。こうして皆さんにお話しすることができて、僕のことを知ってもらえてよかったです。(アイに話しかけられて)え、なに? なんで? 一緒でしょ? 嘘? そうだったっけ? わかった、わかったよ。今度は、アイが自分のことを話したいそうです。彼女には彼女の、想いや、言い分や、理由があると思います。やっぱりエンディングはわかりきっているでしょうが、それでもお付き合いいただけますか? それが終わったら次は、貴方のことを語ってください。

暗転。
閉幕。

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