【8/14観劇記録】あやめ十八番 「雑種 小夜の月」
はじめに
「あやめ十八番」さんの「雑種 小夜の月」を観劇した。
観劇した日にほとんど書き終わっていたのに、下書きにしまわれて時間が過ぎてしまった。
お盆の時期にぴったりで私が舞台・演劇が好きな理由が沢山詰まった素晴らしい作品だったので備忘録として公開する。
ストーリーとキャラクター
本作は、「あやめ十八番」主宰・堀越涼さんのご実家のお団子屋さんをモデルにした物語。
団子屋を営む家族「小堀家」の生活模様を描きつつ、お盆の時期に過去と現在、東京と地方、先祖と今生きている人々の間で様々なことが起こる話だ。
はじめに小堀家の面々のキャラクターが魅力的である。
団子の伝統を守るのは手先が器用で繊細な作業が向く女性たち。
30を超えた元気な3姉妹、チャーミングで芯の通った母親、土地に惹かれ移住した若い女性従業員が丁寧に団子を仕込む。
女中心の小堀家のお団子屋に近所の蕎麦屋のご夫婦、婦人科の女医などそれぞれ違った魅力を持つキャラクターが出入りする。
毎朝7時から始まる団子の仕込みと開店準備、威勢がよく居心地の良い店内、小堀家の団子を守り継いでいく当人たちの働きぶりが頼もしい。
劇的な事件が起きて大変!というわけではないが、地元で愛されるおっちゃんの死、自分の親を施設に入れること、子どもを授かることへの覚悟など非常にリアルな設定から徐々に、三人の娘も知らない小堀家の歴史が解き明かされる。
よくあるお涙頂戴系の劇や、臭い展開にはならず、あくまで過去の秘密が解き明かされるための丁寧な伏線回収が心地よい。
どのキャラクターの描かれ方も詳細で、終盤には自分もその団子屋さんに溶け込んだような気持ちになれる劇だ。
裏のおんちゃんの存在、羨ましい
この劇は「田舎におけるお盆の過ごし方」が丁寧に描かれる。
東京ではほとんどやらなくなってしまった風習も多く見られる。
助け、助けられで成り立つ人の繋がりやぬくもりが感じられる。
"裏のおんちゃん"とよばれる近所のおっちゃんは地元で愛されている存在だ。
それが分かるのが、小堀家が全員集合しておんちゃんの葬式に参加するシーン。
おっちゃんはとにかく世話焼きで、お祭り好き。
誰かが困っているのを見ると放っておけず、気づけばおんちゃんのやり方で事件が解決してしまうこともしばしば。神主をやっていたこともあっておんちゃんへの相談も絶えない。
劇中では、数十年前の“プチ駆け落ち事件”の回想シーンが描かれている。
親や親族に結婚を反対されたカップル(今の小堀家のお母さんとお父さん)は
「もう駆け落ちしましょう」と二人の世界観に入ろうとするが、裏のおんちゃんがひょっこり出てきてカップルをおんちゃんの家に匿うことになる。
ちなみに裏のおんちゃんの家から小堀家までの距離はとても近い、徒歩5分の距離だ。
最初は覚悟して家出したつもりだったのが、ただ近所に移り住んだ?だけになり、駆け落ちにしてはスケールが小さすぎる展開に。
結局“駆け落ち“も形骸化していき、おんちゃんの玄関まで小堀家のお母さんが団子を差し入れするくらいには家族の仲も回復していく。
おんちゃんは実は、結婚に反対していた親族に頼まれて、二人を匿うことにしたのだった。駆け落ちした!と思い込んでいたのはカップルだけ。なんだかんだ子どもの浅知恵はバレて、柔らかく解決してしまうのだ。
いつもどこかで見守り、うま~く大人の事情も子どもの事情もくみ取ってくれるいい感じの"おっちゃん"(概念)がいたらどれだけ心が救われるだろう。
タイトル「小夜の月」の小夜というのは裏のおんちゃんが飼っている猫の名前。
おっちゃんは人を助ける時はおどけて「小夜が泣いたんだ。小夜は弱っている人を見ると泣く」と言う。
優しい嘘を言って、守ってくれる大人がいる世界、素敵である。
演出について
今回「座・高円寺」のステージはスタジアム形式で、両サイドに客席がある。
客席に囲まれた舞台で明確な正面がないことを生かした演出だった。
全体的に長方形の舞台面と照明が効果的に使われているのが素晴らしかった。
場面転換がシームレスになる工夫、照明効果で違う部屋・時空をうまく表現していた。
カラオケの場面→駆け落ちエピソードの流れや、照明を長細くして、スーパーマーケットでカートを手押しするのと老人ホームの廊下で車椅子を手押しする描写。
必要な小道具は役者が場面ごとに動かし、舞台上には物を多く置かない。
場面と場面の本質を見極めて、ある時は具体的に、ある時は抽象的に切り取っていく。
舞台面の使い方がシンプルなのに鮮やかだった。
これはおそらく、演出の方が舞台の良さを全面に信頼している証拠だ。
観客を信頼し「見立てる」「想像に任せる」ところが演劇が好きな理由の一つだ。
ないものをあるように演じる「見立て」は狂言や落語などにも見られる演劇特有の技術。
観客は、まるで小説を読むように脳内で自由に想像する。
実際に見ている舞台に想像力を補完することでその人にしかできない鑑賞体験を得ることができる。;
それから、脚本・構成が秀逸だった。
舞台が始まって間もなく、青子(小堀家の母親)の夢の中のシーン、おっちゃんが天国に入るシーン、おっちゃんの葬式のシーンがあり最初は設定の理解が追いついていなかった。しかし、妊娠を悩んでいる長女の話から徐々に過去の駆け落ちエピソードが見えてきたり、おっちゃんが青年(役名を忘れてしまった)を育てた描写が始まったりと、構成が秀逸だった。
構成が秀逸で無駄がない脚本でありながら、美穂ちゃん(団子屋さんの従業員、唯一小堀家でない看板娘)の天性の明るさがこの物語の清涼剤となる。
美穂ちゃんのキャラ設定、とても良い。団子屋の経営の話や少し重い話題もある中で、
美穂ちゃんと日替わりゲストと会話するシーンはスピンオフ的な魅力がある。
ああいったキャラが一人いてくれるだけで、一気にストーリーが立体的になる。
地面師でいうところのアントニーのオロチ役とかそういうイメージか?(絶対違うけど)
それぞれのキャラクターが魅力的で見て全く飽きないどころか、自分の生活にも重ね合わせたりしている。
そして最後のシーンは本当に良かった。
生きている人も死者もみんな同じ場所で再会し、楽しげに盆踊りを踊る。
日本人が古くから大事にしてきた精神性、人との繋がりのありようが踊っている様子を見るだけで、見えてしまうなんて。
全ての伏線を回収し、最後は大団円。最初から最後まで、構成が素晴らしかった。
演劇好きが嬉しくなるような演出・脚本がこの作品にはたくさん詰まっていた。
最後に
気づいたら、観劇から1ヶ月以上が過ぎてしまった。
普通、こういった舞台観劇感想というのは、舞台が終わる前にちゃんと、出すことが客には求められているが、できなかったのは反省している。
でも1ヶ月以上経ってもこの劇から受け取った、優しさや朗らかな気持ちは色褪せない。
素敵な演劇を届けてくださったあやめ十八番さんのこれからの演劇も楽しみに、日々を生きていきたい。
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