見出し画像

機嫌が悪い時

誰しも機嫌が悪い時というのがある。例えば体調が悪い時。頭痛、花粉症、腰痛、肩こり、怪我で機嫌が悪くなることがある。あるいは、予定通りに物事が進まなかったとか、嫌なことを言われた、心配なことがある、不安だから機嫌が悪くなることもあるだろう。

機嫌が悪いからと、ふてくされて過ごすのはその人の自由だ。人に当たるも、物に当たるも、その人の選ぶ自由と受け取る結果がある。

または、バッティングセンターに行ったり、ジョギングしたりして発散するのも良し。食べ物、飲み物で腹と心を満たすのも良し。音楽、映画、本を鑑賞して別世界に心を向けるも良し。絵を描いたり、文章を書いたりするのも良し。寝るも良し。解消や発散の方法を探すのも人生経験だ。

しかし、このようなことは個人で取り組む自分の感情の扱い方だ。一人一人がその扱いに完全に卓越していたら、人間関係はあるいはより簡素なものになってしまうのかもしれない。

ーーー

機嫌が悪い時に、一緒にいる人に上手に機嫌を取ってもらうというのも良いものだ。

「今日は機嫌が悪いの!機嫌とって!」
「あなたのせいじゃないけれど、あなたのせいにしてすっきりしたいから、『ごめんね』って言って!」

そんな理不尽を受け入れてくれる相手がいるなら、言ってみるのもいいかもしれない。理不尽を要求するのはリスクがあるが、お互いに理不尽を受け止め合うことは信頼関係が深まるきっかけにもなる。

えてして、人は自分の支払う苦労は大きく感じ、人のしてくれた苦労は小さく考え、忘れやすい。「どうして我慢してるのは私だけなのか」という思いに駆られたら、我慢を抑え込むよりも「機嫌が悪いから私の話を聞いて!」と吐き出したほうが良いかもしれない。
言い方次第だ。お互いの間に恩義の貯金があれば、いくらかの理不尽を受け止めるクッションになってくれる。

言わなければわからないもの。そもそも、言ったってすべてはわからないのだ。

むしろ、言ってないなら伝わらないのは当然。伝えたなら、もしかしたらその一部は伝わるかもしれないというのが現実なのだ。

自分の機嫌くらい自分で取る余裕があればと思う。ひとの不機嫌も柔軟に受け止め優しく対応してやれたらとも思う。でも、成熟した信頼関係というのはおそらく迷惑を掛け合う関係なのではないだろうか。自己完結していることよりもむしろ、上手に迷惑を掛けること。そして迷惑をかけられても喜んで引き受けること。それが成熟。

赤ちゃんは、お世話を掛けることにおいてはヴェテランである。そういう意味では、誰とでも深い関係を結ぶのが上手いのである。弱さをさらけ出して生きているからだ。

大人になる過程で自己完結の方法を学ぶ必要がある。しかしどこかで折り返して、誰かに迷惑をかけ誰かの迷惑を引き受けながら生きていく方へと進んで行くのが良いのではないだろうか。

完結しているつもりで不平不満を燃やし、本当は助けられているのに「自分ばかり助けてあげている」と思い込んでしまっているというのが一番怖い。

不満を小さくぶつけてみると、相手の我慢していた不満も見えてくることがある。

迷惑の掛け合い。その上手い加減を見つけるのは、とても大事なお勉強だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?