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気持ちってやつは
気持ちは論理で動いているわけではない。一方で我々の暮らしは、一応論理的に整備され、運営されている。国の文化、会社の文化、地域の文化、家庭の文化、個人の文化。それぞれに違いはあるけれども、ある程度行動原則の論理がある。我々の気持ちは日々移り変わるけれどもその論理に合わせて行動していかねばならない。
気持ちにそぐわないところの多い生活が続くと時々調整が必要になる。今の気持ちに素直になって、無理をしないで、等身大の自分でいられるペース、役割、場所などを取り戻す必要が生まれる。
枠にはめられて窮屈な思いがするならば、何が嫌で、どうなることを望んでいるのかを一度素直に見つめる時間があると良い。一人で書きだすのもいいけれど、友好的な他者が優しく耳を傾けてくれる中で自由に話せるのが一番いい。自分とは違う他人に、自分のことをそのまま認識してもらうというのが重要なのだ。他者に認められると、自分の安定した居場所が生まれるから。
自分の気持ちのままに暮らすことができればそれで良いかというと、実はそうでもない。他者の関わる枠にはまることで、我々の生活にはメリハリが生まれ、他者とも折り合いをつけながら暮らすことが出来る。他者と関わって暮らすことは安心や自信にもつながる。規則正しい生活の精神面に与える良い効果というものを私自身は強く感じている
素直な気持ちを見つめることが出来れば、新鮮な気持ちで再び他者の論理にも合わせて暮らす余裕が生まれる。
いつも自分の気持ちに素直に生きるというのは、拘束感が強い時には理想的であるかのようにも思われるが、誰もが気持ちの向くままにのみ行動したらそれはただの無秩序になる。
気持ちを大事にすることと、気持ちに振り回されるのとは違う。
息子と関わっていると、今の気持ちを素直に大切にすることと、それを踏まえたうえで他者との関わりを築くということにおいて、ずんずん成長しているのを感じる。根底には受け入れられている(なだめてもらえる)安心感があって、その上で他者を受け入れる余裕が生まれる。喜怒哀楽と穏やかの間を行ったり来たりしている。そう言うやり取りを、親と練習しているのだろうな、と。
子どもの前では、大人側が全力で合わせてあげるしかないのだけれども、それがまた人間の精神の成熟というものを親に考えさせてくれる。
親もまた成長する。親は子に配慮することで、より直接的な他人の気持ちの扱い方を練習する。また夫婦で子への向き合い方をやり取りするなかで、大人同士の互いの気持ちの扱い方の練習もしているのだ。
自分と相手の素直な気持ちを大切にしてあげられる関係があること。
その上で、お互いの気持ちのために、合わせやすい論理・文化・ルールを作っていくこと。なんでもそうだなぁと考えている。
言葉と気持ちね。
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