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世界文学を読みほどく

この本を手に取ったのは偶然でした。
図書館の文学コーナー付近をうろうろしていたときに、ふと目についたので手に取ってみると、
扱っている作品が、ここ最近、読みたくて読めなかったものを扱っている様子。
『ユリシーズ』は数か月前に一巻を借りたものの挫折していたものだったり、『魔の山』は大学生のときノルウェイの森を読んで以来ずっと興味を持っていたてれど去年上巻を読んだまま止まっているものだったり、『カラマーゾフの兄弟』も村上春樹さんが面白いとどこかで書いていたのを見つつ、あまりの分厚さに自分はおそらく読むことはないだろうと思っていたものの、一巻だけキンドル読み放題にあったので、まあ読んでみるかかと冒頭を読み始めていたところだったり。『百年の孤独』も結構前に購入して何度も挫折して、南米へ行ったときに船で会ったプレルトリコの文学関係の仕事をしているという方に「あなたも南米に来たんだから、きっとわかるようになってるわよ!」と言われたもののけっきょくその後も半分くらいしか読んでいなかったりと、そういう気になる作品が多数取り上げられていて、少し立ち読みしてみたらなんだか面白そうなので、とりあえず借りてみることにしたのでした。
 この本のもとになったのは、2003年に京都大学で行われた集中講義だそうです。そのころ、京都大学ではありませんでしたが、私も大学生をしていました。読みながら、もし自分が学生時代にこういうものを読んでいたらなにか今とは変わっていたのだろうかと思いつつ読みました。当時もしこの講義を受けるチャンスがあったとしても、目がページの表面を滑るだけで内容は頭に入らなかったのかもしれませんが、例えば富士山に登ろうと準備をして、けっきょく登頂できなかったけど、道具もそろえたしある程度の土地勘も得たから、次回また興味を持ったときに挑戦しやすくなる、くらいの効果はあったのでしょうか。まあ、きっと手に取った今が、これらの作品にチャレンジするタイミングだったということなのでしょう。

作家として生計を立てている方の読書量や読み込む力に、改めて驚きました。
ただ読むだけでも大変そうなのに、何度も読んで、解釈して、それをわかりやすく、「私も読んでみたいな」と思わせるように解説する、なんだかすごいです。すらすら読めてしまうのですが、冷静に考えると、なかなか、人間ってここまでできるんだなあと遠い目をしてしまうような……。

また、外国語に長けていて、向こうの人と現地の言葉で意思疎通の図れる人は、世界の広がり方が違うなとも思いました。池澤さんだけでなく、梨木香歩さんや、ヤマザキマリさんなどもそうですが。私はせいぜい、そういう方々の書いた文章を読んで「世の中にはいろいろな世界があるのだなあ」と驚いているくらいしかできないのですが……。 

大げさな話ではなく、これらの作品を完読したら、世界が変わるというか、ものごとの見方や、小説についての考え方も変わるような気がしてきました。中学生が海外へ行ったら、なにもしなくてただいるだけでも否応なしに「世界って広いなあ」とと思うくらいの変化はあるのではなかろうか。しかし、フルタイムで仕事をしていたら、私の体力と気力では、この本で紹介された文学作品を読もうとするどころか、この本すら読む気力はなかったと思います。読んだからってなんなんだよって話かもしれないのですが、けっこう、世界一周旅行に匹敵するような価値はあるのでは(そしておそらく、想像しているよりもかなりの時間を要するだろう)と思うのです。とやはり、こういうサバティカルタイムというか、人生の中でそういう時間は必要不可欠だし、まとまった時間がなければ、なにかしたくても、疲れないため、倒れないためにそちらにエネルギーを費やすことにブレーキをかけてしまうし、なにもできやしないと思ってしまう今日このごろでした。


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