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常識を疑ってみると、見えてくるもの〜ノートの使い方、それってアリ?〜
わたしは、ノートをよく使います。
内観したり、覚えておきたいことを書いておいたり。
日記や菜園ノート、学びのノート、料理ノートなど、常に数冊のノートを使っています。
中には、モーニングページやジャーナリング瞑想(書く瞑想)のような、書いたらそれでおしまい、見返すこともしない、使い切ったらすぐに捨てる…といった使い道のものもあります。
そういうノートには、子どもが学校で使って半端に使い残したノートを再利用することも多いです。
そういう時、決まって思い出すことがあります。
それは、小学校三年生になる長男が、一年生だった頃のこと。
ノートも鉛筆も、何もかもが新品で
それまで特に習い事もしていない息子は、「勉強」ということを、小学校で初めて教わったと言えます。
その息子のノートの使い方は、なんと
“なんとなく開いたページに書く”
というスタイルでした。
それに気付いたときの、驚愕といったら。
小学校では、毎日、翌日の時間割やら宿題やらを連絡帳に書いてきて、それに保護者が見ましたのサインをするのですが
それを書いているページが、毎日飛び飛び、脈絡もなく、時間の経過が入り乱れています。
昨日、今日、明日、明後日…という時間の流れなど、まるで意味を持たないかのように。
そして、空白ページの合間に、思い出したように現れる使用済みページは、なんとも大胆に、気持ち良いくらい勿体ない使い方をされているのです。
「ノートとは、端から順に使うもの」
「ページは、端から書き始めて、隙間なく使うもの」
そんな、わたしの中の常識が大きく揺るがされた瞬間でした。
ちなみに、驚いた私は思わず、
「何で前から順番に書いていかへんの?」
「順番に、使うもんなんやで〜」
と、息子に言ってみました。
その返事は
子「え?なんで?」
私「だ、だって、そのほうがきれいにきっちり使えるし、毎日、今日はどこに書いてるか探さなくて良いし、分かりやすいやん」(汗)
子「ふ〜ん」
そう。
完全に、キョウミナイ体で受け流されました。
こうしてわたしの常識は、6歳男子という宇宙人の前に、もろくも崩れ去ったのでした。
三年生になった今、彼は、すでに人間の常識という素養を身に着けつつあり、ノートを飛び飛びで使うことはなくなりました。
そのことに成長を感じると共に、あの頃の半端ノートがやけに懐かしく、何だか、子どもの子どもたる大切な部分が、失われていってしまっているような切ない感覚を感じるのです。
あの頃のわたしに言いたい。
どういう使い方が正しいなんて、言わなくてもいい。
いつか成長して失われてしまう、子どもならではの突飛な(大人からはそう見える)発想や感覚を、もっと楽しんでおくんだよと。
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