理想や抱負は、ひとつに絞らなくていい。/年の始めに思うこと
2023年が始まり、早くも10日が過ぎようとしています。
皆さんは、「新年の抱負」を立てましたか?
もう、発表したよ〜!という方もあれば
まだ、決めかねている…という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
かくいうわたしは、いろんな方の「新年の抱負」を目にしつつも
『な〜んか、しっくりくる目標が定まらないな〜』と、ふわふわした心持ちを抱いたまま、子どもたちの冬休み期間をのんびりと過ごしておりました。
今日は始業式。
世間はとうに平常モードなのかもしれませんが、のんびりなわが家もようやく、普段の日常へ戻ります。
さて、そろそろ今年の指針を決めねば…と
ようやく重い腰を上げかけているところです。
どうして、ここまで「今年の目標が決めきれないな〜」と、ウダウダしてしまったのか。
そこには、無意識下で動く、いくつかの足枷(心の声)がありました。
・目標を立てるからには、しっかりしたものを。
・欲張ってあれこれ決めちゃうと、どれもこれもできなくなるぞ。
・だから、メインは一個に絞らなきゃ。
・よく考えて、納得いくものを。
・一年の抱負なんだから、一年間、追い求められるようなものがいい。
なんだこりゃ。
失敗したくない、完璧主義者の言い訳のようですな。
わたしは長いこと、自分のことを
“完璧主義ではない”と思ってきました。
しかし、蓋をして見ないようにしてきた扉を一つずつ開け、向き合い、どんな自分も認めて受け容れるという『内観』を繰り返すうち、完璧主義的な自分がいることを認めざるを得なくなりました。
もしかするとそれは、学校生活や、組織の歯車として働く現代社会のなかで育まれたものであるかもしれません。
失敗してはいけない。
ブレずにやり遂げなくてはいけない。
あれもこれもと手を出さず、一つの目標を達成することの美徳。
自分とは、こういう人。
なりたい姿、お手本はこんな人。
自分は、統一されたひとつの自分像でなくてはならない。
そしていつしか、自分像にそぐわない(と、自分が決めた)自分の姿を、人目に晒してはいけない、ひた隠しにしてイメージを守らなくては…というように生きてはいないでしょうか。
けれども本来、人は誰しも、多面性を持っています。
どこを切っても同じ顔、型で押したような人はいません。
だからこそ、その人独自の組み合わせや奥の深さが、その人だけの個性や魅力となって輝き、人を惹きつけるのだと思います。
そして、人は元々、大自然の一部。
大自然は、混沌そのもの。
混沌とした秩序の中で、生命が育まれ繋がっていく。
わたしたちは、時として秩序や規則に頼り、ルーティン化することで安心を得ようとします。
それは、不可抗力を除き、コンフォートゾーンを築くことで、楽に生きたいと思うから
けれども、何かを変えたいと願うなら。
その風を起こしたいのなら。
いつもとは違うことをやる必要があります。
そして、いつもとは違うことをやるためには、まずは「やってみる」こと。やってみなくては、始まりません。
無意識下であれ、立派な目標を立てようとしてなかなか決めきれずにいるならば、
とりあえずは、一つに絞ることを手放してみる。
一年間、同じ目標である必要もない。
違うな、と思ったら、途中でアップグレードすればいい。
理想や、目指す姿がたくさんあってもいい。
一つずつ試してみて、違えば次にいけば良いのです。
この人生は、一度きり。
やらないうちから、絞ってしまうなんて
何だか勿体ないと思いませんか?
というわけで、わたしの今年の抱負は
色とりどり、多岐に渡ってまとまらないままになりそうです。
容易に秩序に逃げ出さず、形になる前の混沌を味わい、愉しむ。
そんな方向へ、ゆるりと向かっていく年になりそうです。
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