スローグッド・バイ

大好きだった人がいた。
それと同じくらい、大嫌いだったけれど。
ほんとうに、ほんとうに、幸せでいてほしい人。


今のわたしが彼に向ける感情は、かぎりなく”無”に近い何かで、ただこの2年間の、写真の1枚も残らない思い出が、私が向き合ってきた彼のすべてであるような気がした。

これは、どうしようもなく臆病な男女が、2年間好きになったり嫌いになったり気になったりどうでもよくなったりを繰り返して、
そしてゆっくりと終わりを迎えた、そんな話。


2020年3月、突然の出会いから始まった私たちは、たった1週間のときめきと安堵を経て、呆気なく落ち着いた。
学生と社会人、東北と関東、
その距離は途方もなく大きく感じた。

初めて出会ってから、一緒に過ごした日よりも、会わなかった日の方が多かった。
今でも、ふと思い出しては、幸せでいてくれたらいいな、と願っている。


私たちはどうしようもなく似ていた。
だから、ある程度の好意を持て余したまま、何となくLINEの通話ボタンを押せば、少しの間を置いてふたりは繋がった。ある時は騒がしい駅のホームだったり、ある時は静かな室内だったりする電話先で、ゆるいテンションで「やぁ」と呟く彼の声が、とてもとても好きだった。
それだけで、約300キロの途方もない距離はぐんと縮まったような気がしていた。

彼とは半年間、連絡を取らない時期があった。
別に理由はなかった。その時期、彼は私を必要としていなかったし、私も彼を必要としていなかった。
それだけだった。

去年の夏頃に急に連絡をくれた彼は、仕事も住んでいる町も変わっていて、なんだか別人みたいだったけど、妙に落ち着く声だけは変わっていなかった。

それからまた少しずつ、連絡を取ることが増えていって、私が仕事で東京に行った日に彼と久しぶりに再会した。上野でもんじゃ焼きを食べた。

帰りの新幹線で思ったのは、私はきっとこの人のことが好きなんだ、ということだった。
今思えばただの思い込みだったのかもしれない。人は恋愛をしたくなる時に、丁度よく恋愛ができそうな異性を好きになってしまうものだから。
でも、その時の私はとにかく人を本気で好きになりたかったし、好きになるなら絶対に彼がいい、と思うようになっていた。

その翌月に告白をして、あっさりと振られた。

私は彼を本気で好きになるための意思が弱かったし、彼はこんな私を信じ切れていないようだった。
当たり前だ。性に対して奔放を超えて依存症レベルで見境のなかった私が、一人の異性に真っ直ぐ向き合う意思も、そんな上っ面の言葉を受け容れてもらうに値する信用も、持ち合わせていなかったのだから。自分自身に酷く失望した。

その時の私は仕事面においても、転職をするか今の会社に残るか、という人生における大きな選択をしなければならない時だった。

結局何も選べなかった私は、変わることを恐れて、仕事も、彼との関係も、なにもかも保留にしたまま自分自身の電源をプツリと落としてしまった。
この時から、すごく好きだったはずの彼に期待することはもうひとつもなくなっていた。

季節は春になって、
私には新しく好きな人ができた。
(今の恋人については前回の記事を読んでくださいお願いします何でもしますから)

今の恋人に想いを伝える前に、私自身と周りの関係において清算すべき事は山ほどあったけど、いちばん最初に伝えなきゃいけない人は彼だと思った。

彼は、今まで言わなかった本音を電話で私に伝えてくれた。私の好意が自分から離れつつあることに気付いていたこと。今になって自分が思っているよりもずっと、私の事が好きだったということ。気軽に会えない距離の壁がある中で、私の好意や言動が信じられなかったこと。そしてここで私を手放すということが、ずっとずっと惜しい、ということ。
でも、「終わりにしようか」と言ってくれたのは彼の方からだった。

2022年3月、渋谷駅ハチ公口宝くじ売り場前で、待ち合わせをした。
2年前と変わらない落ち着いた声のトーンが、騒がしい渋谷の夜風に揺れて心地良い。
そこから代々木公園に移動したけどお目当ての桜は見られなくて、特に用事もないので新宿に向かって、クレープを食べた。前から一緒にやりたいと言っていたパチンコ店に入って、ふたりで並んで打った。負けっぱなしの私の台に彼が座ると大当たりを引いて、それが何故か閉店間際まで続いてしまって、最後は怪訝な目をした店員に見守られながら、時間ギリギリまでハンドルを捻った。

楽しかった。最後の最後まで私たちらしかった。
ベガスベガス新宿東口店の閉店時間があと30分遅かったら、もっと一緒に居られたのに。そんな事を考えているうちに、私たちの”終わり”は少しずつ迫ってきていた。


「私、来週好きな人に告白するつもりです」と告げた時、彼は変わらない優しい声でこう言ってくれた。

「告白してダメだったとしても、また再試行すればいいんだよ。そうやって続けていけば、1/319の確率で、いつか大当たり引くかもしれないんだから」
「それでもダメだった時は、俺に戻ってくればいいよ」「でも、戻ってきた時に必ず俺が待ってるとは思わないでね」
「俺も幸せになるから」
「○○ちゃんも、幸せになるんだよ」

私は、彼に出会えて本当によかったと思った。この2年間で色々なことがあったけど、彼に出会えたことも、好きになったことも、好きじゃなくなったことも、全く一つも無駄なんかじゃなくて、必然だったんだと思った。彼はこんな美化されたたった数千字の文章で語って欲しくないかもしれない。けど、私は本当に本当に嬉しくて、私の美しい人生の一つにこの時間を留めておきたくて、今この文章を書いてる。

幸せになってほしい人。
幸せでいてくれたらいいな、と願う人。

スローグッド・バイ。


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