可愛いの毒

こんにちは、今年のクリスマスは「クリスマスは本当に大切な友達や家族と過ごすんだ…」という幻想を抱いたまま、結局セフレとすき焼きをおなかいっぱい食べました、うるみるです!

今回のnoteは女の子に特に読んでほしいお話になります。私も一応女である以上このテーマからはどうしても目を逸らしたくなりますが、頑張って書いてみようと思います。少しでも共感して頂けたら嬉しいです。

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世の中は可愛いもので溢れてる。私よりも可愛い人。可愛くない人。それに比べて可愛い私。やっぱり可愛くなれない私。

"女の子は可愛くないと、生きてる意味なんてない"

口には出さないけど、ずっとそう思ってた。


Twitterでうるみるとして活動する中で、はじめて顔を出したのはたしかフォロワーが100人になった時だったと思う。投稿したのは深夜の少しの時間帯だったけど、沢山の人が私の顔写真を見て"可愛い"とリプライをくれた。その時胸の奥から快感とも興奮とも似つかない感情がじゅわぁっと溢れ出てくるのを感じて、なんだか癖になりそうだな、とだけ思った。

例えるなら、それは甘ったるいキャラメルみたいな味がした。

でもTwitterで私の顔を見た事がある人は、私が中学時代とんでもない芋ブス女だったことをきっと知らない。中学までの私は典型的なアニメオタクを煮詰めたような陰キャっぷりでスカートは常に膝丈、重たい前髪に黒縁眼鏡。気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら教室の隅で女の子とつるんでいるようなタイプだった。当時の彼氏はそんな自分を"可愛い"と言ってくれていたけれど、それは恋人としての一般的な愛情表現の形でしかなかったし、まぁお世辞にも可愛いと言えるような容姿ではなかった。

高校に進学して、自分の何百倍も何千倍も可愛い女の子達に囲まれてようやく、自分が"劣っている"ということを自覚した。何度も口に出してはいたけれど、その時初めて本当の意味で"可愛くなりたい"と痛烈に思った。

また、可愛くなるためにはそれなりの努力と資金が必要なこともわかった。お小遣いのほとんどを化粧品に投資して、暇さえあれば書店に寄ってファッション雑誌を読み漁ってメイクの研究をして、今まで現実から目を逸らし続けた自分を奮い立たせるために、家の鏡を何百回も見た。

それから努力して努力して、結果として可愛くなれたのかどうかは分からないけど、私自身の意識は大きく変わった。まず、目を見て人と話せるようになった。自分に自信を持てるようになった。男女問わず友達が増えて、どうしようもない陰キャだった私が、ちょっと陽の当たる場所まで出てこられるようになった。

今思えばそれだけで幸せだったのに、馬鹿な私はそれ以上の快感を求めるようになってしまったのだ。その頃にはもう、"可愛い"という概念に潜んだ毒はじわじわと効き始めていたのだと思う。

容姿が変わって、意識が変わって、そして異性からの視線が明らかに変わったと実感したのは大学に進学した後だった。マッチングアプリを使って初対面の男性とご飯に行き、そのまま家に行ったりホテルに行ったりするようになった事で異性から容姿について言及される機会が増えて、それも私にとっては快感になっていた。以前の私なら相手にもされなかったような整った容姿の男性が、獲物を捕らえる肉食獣のような性欲の滲んだ表情で"可愛いね"なんて口説き文句を使って、数時間後に私をどうやって抱こうか必死に考えている、そのことが気持ち良くて仕方なかった。

その時の私は、誰か一人からの深い愛情なんかより、ただ不特定多数からの"可愛い"が欲しかった。異性から消費されることが自体が癖になっていたんだと思う。例えばTinderで10人と会ったとして、その内の2人が私の容姿に対する言及がなかったとしても、残り8人からの"可愛い"という言葉だけでそれまで落ち込んでいた自己肯定感はすぐに元に戻ったし、その日初めて会ったばかりの異性からの評価を自分の価値そのものだと思い込んでいた。今思えば穴モテでしかないのだけれど、当時の私はそんなことで充分に満たされていたのだ。

でも、"可愛い"には毒がある。

完全に顔面至上主義を拗らせた私は"可愛くないものに価値はない"と思うようになっていた。もっと可愛くなりたいのに現実はそうはいかない。所詮私はただの女子大生で、テレビの向こうのキラキラした存在のような圧倒的な可愛さは持ち合わせていなくて。自身の理想と現実とのギャップに苦しむ日々が続いた。

そんな時、『おんなのこきらい』という映画を観る機会があった。"可愛い"という武器だけでなんでも許されると思っているバチバチに顔の良いぶりっ子女が"可愛い"に翻弄される話。初見時はこの主人公が物凄く感じ悪くて一瞬で嫌いになったし、この女は"可愛い女の子"であることのメリットを存分に享受していそうなのにどうしてタイトルが『おんなのこきらい』なのか、最初は全く分からなかった。でも、もしかしたらこの主人公は、"おんなのこだから"や"可愛いから"がまかり通る世界に本当はうんざりしていたんじゃないかな、と今では思う。女に生まれたというだけで女の子らしい言動を求められ、そこに個人の人間性や魅力は重要視されない。私のように若い女性が陥りがちなルッキズムに疑問を呈し、"人として魅力的に生きようとする女の子"をそっと応援してくれるような素敵な映画であった。

女の子の"可愛い"には力がある。ひとつは、自分自身を好きになれるということ。そしてもうひとつは、自身の可愛くなるための努力をちゃんと肯定できるようになる、ということだ。

私は表面的な"可愛い"だけじゃない、人間的な魅力で周りを惹きつけて離さない、誰かの人生を大きく変えるような、そんな可愛らしさを持った女の子になりたい。この世の全ての人から愛されることは不可能だけれど、私は私を可愛いと思ってくれる全ての人に愛を見出したい。そんな"愛"を"可"能にしていきたいな、と思うのだ。

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ここまで読んでくれてありがとうございます!

明日には橋本環奈の顔面になっていることを願いつつ、筆を置かせて頂きます。

それではまた!








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