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400字作文って怖くね?

第二次百年戦争とも呼ばれるイギリスとフランスとの争いについて、両国の対立の背景および1763年に至るまでの戦いの経緯を説明し、この争いの結末がその後、世界史にどのような影響を及ぼしたかを述べなさい。(400字以内)

『ウルトラ表面張力の自由論述』第1回である。前回は一応きっかけとかの話がメインだったので第0話としておきたいのだが、第0話って響きにワクワクするのは私だけではないだろう。1話から全部見てきたドラマの第0話とかが完全最新作として金曜ロードショーとかで放送されるとすごく見たくなる。まぁ第0話は後から語られるから美しいのであって、第0話前提で第1話に入ってもそれはただの「導入」になってしまってるわけだから、興ざめだ。

 さて、今回書きたいのはそんなことではない。今回論じていくのは「文字数という概念の曖昧さ」だ(とりあえずこのテーマについてはまだ忘れてもらっていても構わない)。
 冒頭に掲載したのは一橋大学の世界史の過去問である。一橋大学の世界史は所によっては東大をも凌駕する文系最難関の問題群とも謳われ、400字記述×3問+αという悪魔的な構成である。

一橋大の世界史の作問者(想像)

↑一橋の世界史の作問者(想像)

 本問では一つの戦いの経緯とその後について400字にも渡って綴らなければならない。ただ400字と言われてもピンと来ない人も中にはいるかもしれないので、ここに原稿用紙の写真を掲載しておく。

 これがいわゆる「400字詰め原稿用紙」。1つの問題についてこれだけの量の文章を書かなければならないということだ。これを本番では3枚分120分もの時間をかけて埋めていく作業を行うことになる。いかに悪魔的かお分かりいただけただろうか。

しかし。

 このように説明された「400字」という字数はかなり多く感じさせてしまったと思う。実際、400字という字数は読む側からしてみれば」実際はかなり少なく感じてしまうものなのだ。
 ここで一つ例を挙げてみる。今皆さんはここまでで何文字ぐらいの文章を読んだと思っているだろうか。noteの執筆中は画面右下に文字数が表示されるので、それを見てみよう。

※後でやった加筆修正で若干変わってます

 そう。実はもうここまでで一橋世界史の3問中2問分の文量は書き終えてしまっているのである。これが私が思う「読み手と書き手のギャップ」だ。読んでいる皆さんからすればここまで読むのに数分しか要していないであろうが、試験時間を考慮するとここまで書くのに80分も時間を使えることになる。
 このように、「文字数」という指標は数値であるためそこそこ正確なものさしになりそうな気もするが、実際は「読み手と書き手のギャップ」の存在が、このものさしを大きく狂わせている

このままいけば「じゃあ読み手的には楽な400字だけど、書く側がそんなにいっぱい書くのはキツいことなんだな」みたいな結論に至りそうだ。確かにそうなんだが、半分違う(不足している、とも言える)。実際に世界史を勉強して、さあこの記述をしてみようと思ってやってみると気付くのだが…

400字の“本当の”怖さは真逆である。

 書きたいことを無計画に連ねていくとむしろ400字では足りなくなってしまうことがある。全部が全部そうというわけでもないだろうが、いざ当問題に対応できる知識を蓄えてみると、「どうやって400字も書くか」よりも「どうやって400字に収めるか」の方が難しいことが分かる。これは授業で実際に問題を解いてみた時に痛感したことだ。
 与えられたテーマで文章をたくさん書くのはもちろん大変だが、どの言葉を削って良いか吟味するのはそれ以上に難しい。その吟味のために3問に対して120分もの時間が与えられてるのである。

 さて、ここからは国語の評論文みたいな話をするが、私が思う限りでは、文字数が限られている文章とそうでない文章は、同じ様に見えて実は全くもって形質が違う
字数が決められた文章は、このnoteのような自由な文章を書く際には生まれるはずがない「文字数に達さなければ」ないし「文字数に収めなければ」という奇妙な思考過程を内包している

 唐突だが、ここで一つ私が好きな短歌を掲載しようと思う。

 これはキタイシマサさんのツイートだ(画像タップで飛べます)。この短歌では、私が述べた「奇妙な思考過程」がスタイリッシュに描かれている。伝えたいことがいくらあれど、短歌という形式で発表するうえで31文字に削るという作業を削ることはできないのである。
 こうして見てみると、短歌もまた文字数による制約のもと情景を述べる1つの形式であって、そういう意味では一橋世界史と短歌はトポロジー的に等しい気もしてくる。いずれも伝えたいという純粋な気持ちの桎梏ともなりうる「奇妙な思考過程」を含んでいる。もっとも、短歌はその不完全さと行間を重視する文学だから、「桎梏」なんて表現はこの場合不適切かもしれないが。

 色々と話がそれてしまったが、結局のところ書き留めておきたかったのは、「字数とは曖昧で、奇妙な概念だ」という気付きだ。異論は受け付ける。

 …さて、正直この文章がこういう感じになるとは書き始めた当初思ってもいなかったのだが、考えていることを書き起こしていくうちに書きたいことがどんどん増えて気づけば2000文字を突破してしまった。5問も解いてる(?)。伸び伸びとやれるのでやはり字数制限がない文章は素晴らしいということを実感した。やっぱりnoteは素晴らしい(前回と結論被ってるな)。

では。

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