最近の記事
- 再生
鈴木大拙 講演「最も東洋的なるもの」1963年録音
私の実家には墓参りの習慣が無い。 日頃、仏壇に線香を灯すこともない。 本当にそれで良いのだろうか…。 今生きている時代や文化圏への帰属意識の希薄さを意識した時、「故郷がそもそも無かったかも知れない」などと思い立ち、若干の寄る方なさを感じながら、自身を指し示すことの出来る具体的な言葉として一人称や名前の他に思い浮かんだのは「日本人」だった。 日本的である事とは、いったいどのような具合か知るために、61年前に行われた鈴木大拙翁の講演の際の録音で話を聞いていのだけれど、これが意外と話の内容がすんなり頭に入ってくることに驚いた。 三島由紀夫の文章は全くもって意味不明だったのにも関わらず。 大学で教鞭をとっていた方なので話が上手ではあるのだれけど、やはり自分自身、日本語がある程度不自由なく扱えること、東洋的な思想もちゃんと持ち合わせていたことも理由にあると思う。 そして19世紀、20世紀にかけて生きてきた日本人の声で語られた言葉をYoutubeで聴けるんだから、これも凄いことである。 やはり、日本とは遥か昔から「神様」が身近に存在する文化のようで、講演中にもそのことが西洋文化と比較する形で語られている。 西洋人は噴水にて下から噴き上がる水の勢いを愉しみ、 日本人は添水にて流れ落ちる水の様子を愛でた。 一方がよいやわるいやの話では無く、そういった思想の違いがあることを 意識することで、違う人間同士、理解し合う糧となり得るのではないかと、 私も思うのであります。