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なにかの序文 # シロクマ文芸 「月曜日」

シロクマ文芸部という企画が面白そうだったので参加してみました。
物書きの練習ということでご容赦を。


本文

「月曜日もおわり・・・っと」

新卒としていまの会社に入社してからの習慣となった「一日の終りにカレンダーに斜線を入れる」を終え、ツキトは独りごちた。

ちょうど一年前の6月、今年よりもずっと暑苦しい、何度目かの”観測史上最高”の気温のなか、ツキトは外気にも負けないやる気に満ち満ちていた。

新社会人としての世の中への期待感や、自分に対する根拠も定かではない自信もあったのかもしれない。

ただ、やはり、父の反対を押し切り、家業であった木材加工の工場を引き継がず、まったく縁のない製薬業界へと進んだこと。そして林間にある実家を離れて都会でのひとり暮らしをはじめたこと。
――これまでほとんどの選択を父に委ねてきたツキトの初めての反抗からの発奮が、このやる気を支えていた。

しかし、例年より遅く入ったジトッとした梅雨の空気のなか、社会人も2年目になった今にいたり、霧雨のなか独りでいるような心細さを感じていた。

「(・・・やはり、父の言っていた話は的を射ていた部分もあったか、・・・しかし・・・)」

6月24日(月)のカレンダーに黒のマジックで引いた斜線を見ながら、ひとり思案していた。


ツキトは北関東の外れ、山間の霧の多い地方で、小さな工場を経営している父と、このあたりの生まれであり、代々農家をしていた家系の母のもとに産まれた。

父は寡黙な人柄で家族とも滅多に会話をしなかった。頭の中で2重3重に考えを巡らせたあげく、いつも喋らないことを選択するような「沈黙は金」をモットーにでもしているような男であった。
その独特の空気感もあってか、口からようやく出た言葉に説得力があり、ツキトは思春期の頃から父のことが苦手ではあったが、ついぞ反論や反抗をしたことがなかった。

父の口数が少なかったからといって、家庭が沈鬱としていたかというとそういうわけではまったく無い。

寡黙な父の分も喋ろうと決意したように、まるで大音響のBGMのごとく喋り続ける母と、その生き写しのような姉が居たからだ。

母は、旅行以外で地元から出たことが無いことがなぜか自慢らしく、同じく地元にとどまった同窓生や、出産や育児で里帰りしてきた元友人、その夫や子供、果ては自分の親世代まで、際限がないほど知り合いが多かった。近所のスーパーに行けば2〜3時間は人を変え話題を変え井戸端会議を開くような、”現代版のサザエさん”と呼ぶのがピッタリのひとだった。

(終わらないけど、続かない)


あとがき

なにか家族ものの小説に繋がるような設定で、「月曜日」を書いてみました。

主人公の「ツキト」はそのまま月曜日をイメージし、新しい週の始まりへの期待感と、過去から続くサイクルの始まりを表現できるような、「社会人2年目」の設定にしています。

父は金曜日で「沈黙は金」。そのまま過ぎたかもしれませんが、朴訥としていた、どこか週末の疲労感と達成感を醸し出す下地を持たせています。

母は土曜日。土曜日のSaturdayはローマ神話の農耕神サートゥルヌスから来ているらしいので、安直に農家の家系の設定です。
休日初日の開放感を表現するため喋り好き設定にしています。

妹は日曜日。母と同じ休日の開放感を表現するため「生き写し」と表現しましたが、もう少し掘り下げて、開放感にブレーキを踏む描写を入れられたらいい感じかと想像しています。

続きは書きませんが、以下の本を読みながら書くことができ、小説を書くいい勉強になりました。


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