なにしても、わたしのまま

整形した。
といっても、プチ整形と呼ばれる、二重の埋没法。

手術の前日、私の大好きな友達が癌だと判明した。数日前から入院していたけれど、いざ病名を言われると、不安で不安で電車で具合が悪くなった。駅の待合室で泣いた。

埋没当日も、私の頭の中は友達のことでいっぱいで、友達がそんなに大変な状況なのに私はなんでこんなことをしているんだと、恥ずかしさと心配と不安で、自暴自棄になっていた。だから、いざ埋没をするとなって、執刀医が二重の幅をシュミレーションしてた時、自分の希望の幅を伝えられなかった。ああ、あの子はもっと痛い検査をしているんだ。大丈夫かな。辛かっただろうな。不安だろうな。そんなことばかり考えていた。

自分のなりたい二重は、控えめで狭めで自然なものだった。けれど、なんか広いな〜と思いながらも何故かそのまま手術になり、よく分からないまま終わった。術後はとんでもなく気分が悪くなった。ありえないほど腫れていた。
私のなりたくない幅広二重になっていることは確実だった。

1週間経った今、私の目はすごく不自然だ。
ある程度の腫れは引いたものの、基本的に1ヶ月経つまでは幅も変化すると言われている。だから辛抱強く待とうとは思う。

けれど、調べてでてくるのは、
「1ヶ月経てばシュミレーション通りの幅になるのでまずは1ヶ月経過を見てください」
という文言だ。
「シュミレーション通りの幅」
それ自体を私はもう覚えていない。少なくとも、希望の二重ではなかった。

絶望

気を抜くと動悸がして、涙が出て、息が苦しくなる。でも、しねばいいし、って考えると、少し楽になる。

自分がやりたくてやったことで病むという事実が、とてもバカらしくて辛い。

友達のことを考えて、自分のことを考えて、全てが不安で、私はこの世界に生きていけるとは到底思えない。

私は何をしても可愛くないし、何をしてもバカで、何をしてもネガティブで、何をしても自分に絶望している。

1ヶ月後どうなっているだろうか。
また怖い思いをして、修正をするのだろうか。
すごく可愛い二重幅になっているだろうか。
はたまた今と変わらず不自然な二重で、内定者の集まりを欠席しているだろうか。

分からないが、わたしはわたしのまま、何をしてもきっと変わらないことはわかる。

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