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ピノキオピーの進化を追いかける ―ワンマンライブ「MIMIC」と私の対話


2023年の7月29日(土)
ピノキオピーのワンマンライブ「MIMIC」

ピノさんのワンマンとしては過去一の規模であろうKT Zepp Yokohamaが会場だった。
ものすごくデカい。椅子がある。
そして人がたくさん。
席も見事にうまっている。


開演前の来場案内が親切だった。
横も縦も広い。



この規模でやるとは。
そう思っていなかったのは私も同じである。
結果として万々歳のライブだった。

ピノさんは、MCのなかで
仮面はある意味「擬態」だと言った。

今回の核となるアルバム『META』は、
元々「MIMIC」という仮タイトルだったらしい。
なにかになりきるという点では似ているよねと。

登場シーンではライブをやるようになった2014年、2015年頃から顔を隠すために付けていた仮面姿で現れ、当時が復活したのだ。
復活といっても一瞬だけど私はうれしかった。


「(仮面)昔つけてたんですよ」
「今は"擬態"せずにみなさんと会っているんですけど」と、新しくファンになった人を意識しているのかそんな補足をしていた。

あの一瞬でしみじみと、過去、転生、現在を思い返した。
一曲目の「転生林檎」の冒頭、
仮面を捨て、満面の笑みのピノさんが現れたのはそういうことか。

数曲やったあと、MCでの一幕。
「今回初めて来た方っています?」という問いかけに、無数の手があがっていた。驚いた。
全力で腕と頭を振っていたとなりの青年もそうなのか!
なぜなら見渡す限り誰もが、一曲目から全力で腕をかかげて盛り上がっていたからで、
ずっと共にライブを観てきた同志のような安心感があった。

盛り上がってる。グッズのライトバングルも光ってる。
(MIMIC「閻魔さまのいうとおり」より)


抜群に音もよかった。
ドラムのサガットさんとスクラッチ&DJのRKさんの3人チームで活動するようになって3年くらいだろうか。サガットさんはサポートに加入して5年になる。みんなキレが増していっそう音が華やかになっていた。ふたりの笑顔もいい!Yuma SaitoさんのVJも茶目っ気があってわくわくする。


前回のライブタイトルは『パラレルエッグ+』。
そこではやっと念願のライブに集まることができ、久しぶりすぎて不安もあったけど、どんなファンもいざライブがはじまれば安心しきっていて、暗闇のろうそくに灯がともったような優しい時間だった。

(2023年1月『パラレルエッグ+』恵比寿 LIQUID ROOM)

今回はそのときともまた違う感覚があった。
擬態という言葉、テーマが私の心に引っかかった。
壮大な歴史を引っ張り出してくるものすごいライブだった。脳から引っ張りだされたうじゃうじゃと、思い出とがあふれた。

なので、このタイミングで当時ピノさんが仮面をかぶって何をしていたのかを思い返し、あの姿でいたころをピノさんは「擬態」「真似事」と呼ぶことについてちょっと考えたい。

どう考えても「今」のレポートをすべきところだけど、昔のことに触れた文章っていまほど多くないのでちょうどいいし書いておこうと思った。

懐古主義ってわけではなく、今と昔の間にある線がもっと見えてもいいんじゃないかなと思った。もしかしたら今の活動にとって余計なものであったらどうしよう……とも思う。後々見返したときに、その時の今が理解できるようにピンを立てておくような……。
でも結局は生で観たそのままの思い出がいちばん純粋な記憶なので脳のストレージを大事にしてほしい。頭を守って!
頭が壊れたら戻らないから私は書くよ。


直立不動のARuFaさん
(MIMIC「匿名M」より)

この先(もうすでにだけど)、私の話ばかりになる。情報を整理するのが下手なので回想したり今に戻ったり忙しいかも!ほんとうに読みづらい。お茶を濁しながら続けるけど。

私は気付けばずっとピノキオピーを応援していて、特には最古参ではないけどライブではまあまあいるほうだ。

初期のライブは今みたいにドカンドカンと大きなライブがある感じではなく、大小さまざま。
ボカニコなどを除けば『祭りだヘイカモン』と称したライブが初めての規模の大きいライブだった気がする。違ったらごめんなさい。

それまではずっとDJ機材を操作し、サンプラーを叩き一緒になって頭を振るようなライブだった。
この少し前の2015年3月投稿の「頓珍漢の宴」あたりからライブを意識するような打ち込みっぽい音の曲が増えた。


2015年から本格的にライブをやるようになったのだが、すでに2012年時点でライブ歴がある。「Voca Nico Night vol.2」ではスケキヨのフルフェイスマスクをかぶって初期の曲やいろんなボカロ曲をひたすらかけていたようだ。

2015年2月、個人的に当時なんやかんやで鬱屈していたとき、私が勇気を出し初めて行ったライブが2014年12月に発売したアルバム『しぼう』のリリースイベント「UFO case.SUEHIROGARI〜リリパ!ピノキオピーしぼう説〜」だった。なんていうタイトル。通称しぼうのリリパ。フライヤーはピノさんのアイコンの遺影。

そのライブが衝撃的で、好きなことが生まれてはじめて見つかった嬉しさが、インドアな自分を突き動かした。なんとか歌詞を聞き取り、ぼんやり胸を打たれ、おそるおそる腕をあげてみた。弱っちいインドア人間は翌日筋肉痛でうごけなくなった。ライブなんて行ったことなかったので、冬だからニットを着ていったら汗だくになり服装を見直すことにした。
そのときも、今みたいにたくさん歌うわけでもなく、手拍子したりちょっとジャンプしたりだったのだけど、すでにエネルギーにあふれていて、自分の可動域が広がった気がした。

リリースイベントが行われた恵比寿のバチカという場所ではことあるごとに、ピノさんが所属していたGINGA(無期限活動停止中)というレーベルのイベントなどに出演者として迎えられていた。今回ゲスト出演したARuFaさんも曲を作っていて、2人はレーベルメイトだ。もっと昔はイベントにも出ていたみたい。みたかったな。

お洒落な恵比寿。毎回、「あたしゃ場違いだよ」と思いながらも会場までのあの道を歩くのが好きだった。
昔からの音楽仲間が集い、こじんまりだけど客にもオープンな感じ。
そのイベントはヒップホップ畑の人もいれば民族音楽、クラブミュージックなどなんでもありで、私も緊張しながら観に行った。年末には鍋パーティー兼ライブが恒例だった。各自食材を持ち込むルールがあったので客の私も恵比寿駅の成城石井で、白菜かえのきかなにかを買って持っていった気がする。そしてみんなで食べた。ライブも観れた……。謎だ。

おいしいお鍋
(2015?)



いっぽう、Club Asiaでsasakure.UKさんや鬱Pさんといった仲間と一緒にライブをすればパンパンに人が集まる。300人超のキャパでもすっごく多い!大変だ!と思っていた。


(2016年3月 ピノキオピー&sasakure.UK presents『ツアーライス〜収穫祭〜』)



よく音楽家は下積み時代が、とはいうけど路上ライブとかお客がゼロで〜とかではなく、ライブハウスでコンスタントにライブをやって人がちゃんと集まってくる。
ボカロムーブメントから流れてきた熱心なファンがついている。でも特にピノさん+周辺に思い入れのあるタイプがなんやら多い感じ。

たまにジャンルが全く違うイベントに呼ばれて、これはアウェーだなというときがあって、ファンはもちろんピノさんも不安そうであった。アイドルオタクのなかとか、Creepy Nutsとそのファン入り交じる場とか、イケイケな泡パとか。
結局双方のやるっきゃないパワーでどうにかなるんだけど。今ならもっと臆することないんだろうな。私自身もかなりいろんなことに慣れてきた。

そして、忘れられない。白塗り仮面の男はもう一人いた。背格好がピノキオピーと全く同じ。性格の違う生き写しだ。名を「MK-2(マークツー)」という。マジで一切しゃべらないがスクラッチやサポートのプロ。その後、ピノキオピーが仮面を外したタイミングで、彼はなぜか殺された(ということにされた)。背格好が完全一緒の、強面の「そねさん」という人になった。それがまったく変わらない。彼はみんなの兄貴分であり、父親のようで、毎回ライブの心得を教えてくれた。互いに譲りあう心とか、マナーとか、思い切り楽しむこととか。

ピノキオピーは左 MK-2は右
(2016年8月『ツアーライス〜収穫祭〜おかわり』六本木 Super Deluxe)


ライブしたての頃はどちらかというと発表というより実験場であって、毎回趣向を変えてきているようにみえた。

ステージ上の仮面の男2人にやれんのかとでも言われてるくらい煽られ、私は無茶振りに大ウケしつつ必死についていく。2人は親切にもこうやってノるんだぞとプチョヘンザなポーズをしてくれているので、真似をすると自然に溶け込むことができた。

ホームなときはほんとに誰も知らない新曲をかけて、盛り上がれ!という感じでめちゃくちゃ煽ってくる。しっとりした曲とのギャップもすごい。

表情が見えないので、体の動きと声がコミュニケーションツールになる。みんなで声が枯れるほどコールアンドレスポンスで応えた。

仮面を外してもなお、熱気のあるライブは続く。

何らかの理由で近距離で囲まれて歌うピノさん。
なのに異常な熱気が生まれていた。
互いに、「やりにくいっすね!」と苦笑いした。
(2018年12月『Vocation Ballad vol.6』千葉 music lounge 24/7)

流す曲がうまくいくと、ストックにたまっていって、調整されて定番化するんだけど、1、2回やったきり手応えなかったのか全然やってくれなくなった曲とかもある。やってほしい曲あげたらきりがない。

出番順とか人数にもよるけど、小さいライブひとつは30〜45分未満で数曲〜10数曲程度のイメージ。セットリストはわりと考えられていて、やってみたいものと会場の空気に合わせたものがバランス良く入っている。流れも最高だった。

当初、相手が仮面だったおかげで、誰もが匿名で知らない他人同士である安心感から恥を捨てることができ、徐々にライブに慣れていった。このまま自分はやったことないこともできる気がして、ついにひとりぶんの台湾行きのチケットを取った。初めての海外はピノキオピーのライブだった。


現地の人たちも一緒に歌っていた。
(2016年5月 ピノキオピー&sasakure.UK presents『ツアーライス〜収穫祭〜』台北 THE WALL)


台湾を皮切りに、ピノさんはカザフスタンにお呼ばれしたり、フランス、北京や上海にも進出している。(追記: インドネシアも!)
すごい、そんなに行ってるんだな。

真似事をしているのかはわからないけど、リスペクトしているアーティストが何組かいるのを知っている。インタビューでも言っているし本人も公言してるし。
その彼らの要素をイメージさせるような、面白さとか、ストイックな雰囲気とか、パフォーマンスとかがあって、たぶん取り入れつつ、いつまでもピノさんらしい。

よく動く左手
(2016年8月『ツアーライス〜収穫祭〜おかわり』六本木 Super Deluxe)




なにかの真似事を一緒に楽しんできて、それが大きな舞台でミミック=擬態というテーマになっているらしいのがよりピノキオピーのライブ史を感じる。

MCの時間、ピノさんは特段ライブへの熱い思いを語ることは少ないのだけど、スピッツの草野マサムネ氏の「真似事だから醒めないで続けていられている」という言葉に触れて、おそれおおいけど僕もそうだと言っていた。

右も左もわからないなかでライブでは真似事をしてきたのだと。

このミミックというテーマのなかで、未熟さも、未完成さも、それはそれで良かったことにしようという決心も感じる。

今まで観てきた景色は忘れたい過去だったり捨ててきた過去のようにも伝わってくる。

これは毎度更地にして違うことをしようとするピノさんの癖なのかもしれないけど。だけどいつまでもあの時のことは覚えているつもりだし、今を楽しんでいようがこうやって私は執拗に思い出を語りたくなるときもある。

いま、理想のライブができていて感慨深い。でもいろんなポイントで「切り離し 爆ぜながら」を無限に繰り返しているように見えるのはいつまでも活動を続けるためだろうか。
そういえばピノさんは行雲流水という言葉が好きだと言っていた。今はどうだろう?流れるようにありのまそのまままゆく感じはピノさんに似合ってる言葉だなと思う。

それでも、あれもこれも捨てていく必要なんかないじゃないか、青かったなと思ったからと切り捨てる必要なんかないじゃん、あの曲いいのにな、あれはもったいないな、
とかなんとか思うこともあるにはあるけど、

なにかへの憧れのイメージを描きながら、楽しんでいる気持ちを忘れずに、それこそアマチュアリズムでいようという気持ちは、ピノさんなりのいいモチベなんだとおもう。

それで納得した。
理由は後づけだろうがなんだろうが、楽しんで活動を続けてくれるだけでうれしい。

でも、いきなり仮面とか持ってくるパフォーマンスをしたり、急に「胸いっぱいのダメを」をやるのだから。

私は、もう!!!という気持ちになる。

嬉しさとわけわからなさで自分勝手に感情を変動させてしまう。
私が熱狂してきたものは真似事じみていたとしても、生き生きしていて、衝動的で、実験的で、いつも面白く、今思えば貴重な断片だった。

擬態の過去は切り離されたけど当時の種はちゃんと蒔かれていて芽吹き、今はこうして擬態せずに笑顔でそこに立っている。なんなら何年もずっとそうなんだけど。


ピノさんの憧れが重なっているなと思うパフォーマンスでも、私はまだ知らない面白さがあり、
それらしいノリを想像してその空間を作り上げるために必死についていくこともなかなか面白かった。
無茶振りでもなんでも。


アップルドットコムのリコーダーソロ風

右往左往かもしれないけど、そのなかから取捨選択して今のパフォーマンスになった。
生き物の進化でいうと爆速で変化する時代に立ち会って、1年でふよふよのモヤから四足動物くらいになったときから、さらに1年あまりで「人間」になり、今までで身につけていた仮面を外して大きなライブをする様子を目撃することができた。


仮面をおもむろに外した日
(2017年2月 『HUMAN』Release Tour -人間の集まり- 名古屋 CLUB JB’s)


たいそう高尚な思い出のように語ってしまったけれど、コミケなどでは素顔を出して参加されていたので、ライブで仮面を外したことについては、ほう……というあっさりした気持ちだった。外した瞬間、客側もわりとスン……としていたので面白かった。

2年ほどの仮面時代はものすごく長かったように思える。だけど、今はもう素顔である年月のほうが追い越してしまっている。

そんなこんなで新しいファンも増えて、新しいピノキオピーがスタンダードになって、もう何年も経っていた。

ライブのオープニング、当時つけていた仮面で出てきたときはありがとうと思った。
投げ捨てられた過去をイメージさせる寂しさもあったけどやっぱりうれしい。

仮面、衣装ケースでどれくらい寝かされたんだろう。洗濯機にぶち込まれたりしてたよな。ヒビとか入ってない?色々思い浮かべてめちゃくちゃ笑っていた。

コロナのせいもあって、
連綿と続いていたライブの流れも、曲を取り巻く環境も変化して、これまでと今がぶつ切れになってしまっていたように感じていた。

仮面、転生、胸いっぱいのダメをを歌って、
時空を切ってつなげて、ゆるして、LOVEでMETAで。こんなにしっくりくる「LOVE」は今までなかった。
ラスト、「META」のアウトロが鳴り響くなか、ピノキオピーはひとり残り、最後まで音に責任を持つようにステージを背負っていた。ピンと張り詰めていて息を呑んだ。ほんとに全部がおわったとき、震えた声でステージから「ありがとう」と聞こえた。


ピノさんと観客の間に電気が通ってやっとまた線でつながったなという感じがした。

(『MIMIC』より)



人間をいろんな生命で言うのは変な喩えだけれど、いろんな生き物を経て爆速で人間になって自由を手にしたようで、ライブを通してミクロもマクロも一緒くたになった時空を共に駆け抜けてきた気がして嬉しい。

これは一体どの目線なのだろう。よくわからなくなってしまった。四方八方にとびすぎた。

自分の人生はここまで濃密ではなく、まったく大丈夫なんかじゃなく、ピノさんのライブと活動時間軸に照らしても壮大な進化をせず、二足歩行はじめてやっと人間の「に」の字のあたりまで来れたかどうか微妙な感じ。人間としてはもう退化してるかもしれないくらい。

だから長いこと活動して、工夫して、取捨選択をして新しいことをして結果的に最先端にいるのをずっと尊敬しているし、今も爆速の進化の途中の可能性すらあるので、全部この目で確かめたいという気持ちになっている。曲とライブがあるから生きておくしかない。

このライブには関係ないけどこれを書いていて、引用もしたけど名曲「遊星まっしらけ」がよぎった。
それを書いた当時よりも、ピノさんは歳を重ね成熟しているだろうし、当時のピノさんが作れた景色よりさらに広がっているんだろうという気がする。
今はあの曲の世界はどう見えているんだろう。

初期〜しばらくは青い曲というのが多く、私もとてもそうだったし、いまだにその未熟さのある過程でバタバタしているので、今の私は昔のピノキオPのおかげでしっかり大助かりしている。

その時々しか作れない曲というものがおそらくあって、ピノさんの曲を見ていると勝手にピノさんの人生の流れが薄っすらと浮かび上がってくる。ように見える。

そりゃ活動歴が長いからなのだけど、進化に合わせて歌詞も変容している。人生の一歩一歩に寄り添う力がある。なので、ピノさんの曲を順に一曲ずつ追えばどこかのタイミングでかならず誰かの人生とシンクロするんじゃないだろうか。

と勝手に思っている。
だからいつまでも続いていてほしい。
今は過程でしかないんだろうな。
着実かつ爆速なこの進化についていきたい。
今日もこうやって数年後に思い出している。

MIMICのおかげで、過ごした日々が、今のなにかしらのパーツのひとつになっているらしいという実感を得て、安堵と期待にあふれている。


おわり




ピノキオピーワンマンライブ『MIMIC』
配信アーカイブ
Streaming+
2023/07/29 (土) 〜 2023/08/29 (火)
https://eplus.jp/sf/detail/3712880002-P0030005P021001 ※配信終了

追記
・ピノキオピー - LIVE “MIMIC” [YouTube Music Weekend] (ワンマンライブ『MIMIC』ダイジェスト映像)
  ライブの様子が抜粋されています。40分もある!!



銅鑼、あんなに愉快に叩きまくる人はじめて見た
(『MIMIC』より)


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