アメリカにいたころの話

でも書こうかなって思ったんですが、まーそういうのの詳細はまた今度でいいかなって思いました。

自分は小学校高学年をアメリカ(San Diego カリフォルニア州)で過ごしまして現地校に通っていました。日本語補習校は週一で行ってました。

なんかそのころの経験から日本のwebでなんか書いておくかなーとも思ったんですけど、まあいいか、という感じでふんわりした話と情報だけおいて置こうかなと思っています。

僕が帰国した後にいろいろアメリカ全体の治安が悪くなったとか格差が広がったとかいろいろニュースがあって「もうあの頃のサンディエゴはないのだ……」みたいな気になっていたんですが、最近ニュースが気になりすぎて現地の人のブログやSNS(twitter)を覗きに行って思いました。
「あんまり変わってねえ」
twitterいいですね。

サンディエゴはどういう所かというと、アメリカ西海岸カリフォルニアの南端の都市で、メキシコの国境に位置します。青い海、白い雲、そしてカラッとしていて湿気が高すぎず過ごしやすい気候。ちょっと向こうに行くと砂利道の砂漠、サボテン。ウェスタンっていう感じのところです。

メキシコ国境が近いため、ラティーノ(メキシコのヒスパニック)が多く、また、アジア人や外国人(欧州、アフリカのアングロサクソン含む)も多いです。自分のいた時期はクラスの三分の一が外国人ルーツ(外国籍、二重国籍、外国ルーツ等)でした。純アメリカ人の中には、ネイティブアメリカンをルーツに持つ生徒もいたので、純アメリカ人の白人(非スペイン圏)は半分ぐらいだった気がします。

なんか情報サイト見る限りそんな感じみたいですね。

https://www.us-lighthouse.com/sandiego/

あんまり知らなかったのですが、軍隊の都市で、カリフォルニアでは珍しく共和党支持らしいですね(今週調べてて知った)。
いや普通に軍隊のフェスティバルに行ったり、家庭教師さんはU.S.Navy(海軍)のお姉さんでその彼氏さんはMarine(海兵隊)って言ってたから普通に軍隊は身近だなーって感じはしてたけど。トップガン見ます。
ブルーエンジェルスのショーフライトの迫力は印象深かったです。

僕はカリフォルニアのサンディエゴにしか住んだことがないので、「僕の知ってるアメリカ」のイメージはサンディエゴになります。

なんか変な先入観抱かせてしまうのもあれなので、サンディエゴにいるyoutuberさんの動画を見つけたので貼っておきますね。



人種差別は記憶にない感じです。
あと、あの地域(特に自分のいた学校は治安が良く高所得者層の街だったのもあるので)は一見アングロサクソンであっても欧州出身の外国籍外国人だったりするので、容姿では区別のしようがないところがありました。外国ルーツの生徒(最初は英語が喋れなかったりするので純粋な同級生としての意思疎通のむずかしさがある等も踏まえて)とアメリカ出身アメリカ人の生徒の温度差はちょっとあったかなあとは思います。

小学校の歴史のカリキュラムで、「ネイティブアメリカン史(各部族の文化を知ろう!みたいな体験学習系)」→「西部開拓史」→「ゴールドラッシュ」→「ミッション史」→「黒人奴隷の歴史」等はやりましたが(順番は違ったかもしれない)、確かに、「アフリカの民族の歴史」みたいなのはなかったので、ネイティブアメリカンと比べれば黒人の方の各自の文化はあんまり尊重されてないのかもしれませんね。

差別というものについて

出身地差別は明確にあったと思います。何を言っているのかというと、向こうは日本に比べて学区の概念が非常に強く、「その小学校出身の人しか指定の高校に行けない」という制度がありました。
自分の在住地域の高等学校はレベルが高かったのですが、外部からの受験ができないわけです。日本は義務教育をどこで過ごそうとも、高校、大学受験で自分の教育を選べるのでそういう意味では平等性は担保されてるんじゃないかなーと思います。

あと、教育レベルに関して、自分の小学校は小4~5数学でレベルごとにクラス分けされていて、上のクラスでは「ベクトル、フラクタル」をやりました。化学では元素化合物をやったりしました。元素式を学んで、金属樹の生成実験等をしたりしました。教科書は分厚く、500ページぐらいありました。われわれ日本人は大学の輪読とかでBiology of なんとかかんとか~ みたいな分厚い英字の教科書に初めて触れて面食らうわけですが、なんかあんな感じのちょっとだけ字がでかくて(1.4倍ぐらい)図説の大きさが倍ぐらいで、厚さが半分ぐらいのハードカバーを小学生がやるわけです。

夏休みの自由研究について。別にアート分野とかでも大丈夫なので必ずしも科学や歴史の難しいこと!をやらなければならないとかいうわけではないんですが、知り合いの人は研究者の親の元の指導のもとラットの実験とかをボードにしてました。出なくてもいいけど出る杭は打たれないみたいな感じです。

一方、補修については、外国から来た生徒は英語を喋れないのが普通なので、外国から来た生徒用に語学補修クラス等もありました。

ちなみに余談ですが、算数は試験でクラス分けされるとありましたが、そうすると計算が(自国のカリキュラムによって)強い外国人が圧倒的に有利になってしまうんですよね。しかし、平等性を担保するため、テストの点数は公正に採点されるわけです(二重国籍とか区別しようがないし)。ですので、算数クラスの一番上のクラスは外国人生徒がほとんどでした。

国旗について

小学校では毎朝クラスに掲げられているアメリカ星条旗に向かって、起立し、「I pledge allegiance to the Flag ~ 」とかなんちゃらという詩を斉唱しました。朝礼みたいなものです。

宗教について、個別の生徒には個別の家庭の宗教がありましたが、それはそれとして別に大きな意味での「アメリカ教(星条旗教)」があるという感じでした。
逆に個別の宗教については(自宅の敷地内等ではかっちりしてる人もいるのかもしれないですが)わりと皆緩い感じというか、てきとうな感じでしたね。

日本の部活教とかあんな感じじゃないですかね。余談ですがバレンタインは日本と違って男←→女(全人類全方向)って感じでした。

表現系がことなっているものの、このあたりは日本の無宗教観に近いと感じます。普通に考えて、歴史の授業で全員にネイティブアメリカンの文化のアートを(それぞれ興味を持った部族のスタイルを選んで)課外学習で作らせて掲示したかと思いきや、全員がミッション(カトリックの礼拝堂)の模型を一人一人が作るという課外学習が出るような教育では厳格な一神教は育たないし、育てる気もなかったのだろうと思います。

その地域でファーストフードといったらナチョ&タコスのチェーン店のイメージが強かったです。隣のメキシコの文化ですね。あとカリフォルニアロール旨い。
大航海時代のアメリカの帆船に寝泊まりするキャンプみたいな課外学習は印象深かったです。オートミール不味かった。

アレルギーが理由に食べないとかはOKですが、宗教を理由に学校の給食(特別イベントで選択できない場合)を食べないみたいな人は見なかったです。

一番仲良かった友人は、北アフリカ出身の金髪金目(エドワードエルリックみたいな目)でしたが、家に遊びに行ったときアフリカの宗教だとかでクスクスという民族料理を出されました。美味しかったです。Webが非常に得意でマリオを割ってプレイしてたりしてました。
どうでもいいんですけど、ただ最近、一つ困ってることがありまして、同姓同名が多すぎてfacebookで見つからないことです。元気にやんちゃしてるかなー。

なんか最近のポリコレにのっとると、例えば日本の和服を非日本人が着るのは文化盗用で好ましくないとかそういう感じの風潮らしいですが、自分は当時ハロウィンで僕は西部のカウボーイの帽子と西部ガンマンスタイルを愛用してましたがべつにとやかく言われることはありませんでした。


デジモン&ポケモン

なんか知らないですけどデジモンが死ぬほどはやってました(当時)。学校のプライズとかでデジモンの文房具グッズとかも景品として採用されていました。
日本から供給される公式ブックや公式グッズでは現地の供給が足りなくて、明らかに現地で需要に応じて生産しただろう文房具やマスコットのグッズが流通していました。どうしてわかったかといえば絵柄のテイストは寄せてはいるものの、それらのグッズのデジモン絵は、線のテイストや口回り等などにどうもカートゥーンっぽさが抜けていなかったからです。
(当時はまだ現地の人の絵はバタ臭いのが主流だったのです。さいきんのアメリカのイラストレーターさんの絵は日本のものと区別がつかないようなテイストになっていますが、まあ、思うにデジモンの影響は大きそうだなあと思います。ポケモンは当時はイマイチでした。どっちも人気はありましたがアメリカ人ジャリキッズの心をわしづかみにしてたのは(自分の周りでは)デジモンのほうでした。)


感謝してること

自分は今クリエイター側なので、日本アニメローカルの絵柄で北米にそのままもっていけるのは個人的には非常に助かります。
これはちょっと別件ですが、自分より下の世代って、「絵柄が古くなる」ということを実感したことがない世代だと思うんですね。ようするに今まで使っていた自分の表現としての絵柄を、流行に応じて変化させる必要がなくなった世代だと思うんです。そして、今度は、地域性まで飛び越えられるようになってきたわけです。

余談ですが、この場所に限らず、日本人がなんか好かれやすいのはポケモンデジモンドラゴンボールセーラームーンナルトの影響が大きいんじゃないかなって思ってます。あと日本車。地域によると思うんですけど、我々が「アメリカのイメージ」を持ってる程度に海外の日本に踏み入れたことがない人も「日本のイメージ」みたいなものを持ってる気がします。

完全に無自覚に「日本はいいところだよプロパガンダ」を発信してるというか。逆に意識的にやろうとしてるときは空回りがちに見えますね……(個人の主観です)。


メキシコ

サンディエゴはメキシコと国境を接する地帯でした。
ふつう、治安や経済が大幅に異なる異国と接している地域は治安があまりよくなかったりするイメージですが、サンディエゴに関しては、なぜか治安が良くて経済的にも豊かという不思議な現象が成立していました。

メキシコは踏み入れたことがありませんが、この動画(下記)をみて、植生は同じなのに異国だなあと感じました。

https://clicccar.com/2019/12/24/940828/

そうするとどうなるかといえば、メキシコからの移民が身近になります。
イデオロギーとしての移民問題ではなく、そこにいるという意味で非常に外国が身近な土地柄でありました。

上述の通り、毎朝、効率の学校で星条旗に向かって忠誠の近いを斉唱する土地柄でありましたが、もしかしたら、外国が身近ではない地域ではそのようなことはないのかもしれません。

ですので、我々の間では、「ヒスパニックのいる地域」には治安が悪い、というイメージがありました。
アジア料理やアジアマーケットは異国情緒として受け入れられる割に、ヒスパニック(ラティーノ)に対してはちょっと違う温度差があるように感じました。自分の地域ではスペイン語の公共看板はありませんでしたが、国境により近づくとスペイン語が増えるらしく、「治安が悪い」というイメージになるらしいです。

この感覚も今思えばまた日本的だなあと思うんですが、要するに、「アメリカに住むならアメリカの文化を受け入れろ(郷に入っては郷に従え)」という風土が強かったんだろうと思います。
実際、国境をまたぐと本当に景色や文化ががらりと変わるらしく、ただ面白いことに、サンディエゴ自体が自身の成り立ちの一環として、メキシコ及びスペイン文化と密接に関わっている部分がありますので、これも不思議なところです(野球チームはサンディエゴ・パドレス(伝道師)です)。
(サンディエゴパドレスのマスコット、可愛くしたザビエル)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9


ところで余談ですが、日本の吹奏楽曲で有名な「エルカミノリアル」っていう楽曲の名前を(それってサンディエゴにあった地名と同じ名前だなあ……まったく雰囲気が違うけど……)ずっと不思議に思ってたんですが、どうやらその「エルカミノリアル」と、サンディエゴの「エルカミノリアル」が同一だということを今週調べて知って驚きました。


某デモについて

ちなみにアメリカのなんとかデモについてですが、日本語でググると文字情報のみで書かれた上に他の地域の情報のマップと同じマップに記されたりしてて物騒だなーって感じなんですけど、英語でサンディエゴのデモ見る限りサックス鳴らして踊ってて楽しそうだなーって感じです。
今年パーティとか中止になったから代わりにデモという名目でパーティしてるんじゃないですかねっていう風に見えます。(日本の学生とかがよくやりがちなやつ)
すでにあちらでは海開きしてるらしくて、デモと関係ないところではビーチで楽しくやってる映像もあり、デモの映像でもサックスとトロンボーンでリズムに合わせて踊ってるか歩行者と車が行進してるだけなので、報道で流れてくる「アメリカのデモ」との温度差がすごいですね……。

暴動を見るたび、「自分の知ってるアメリカ」の人がああいう感情表現をするとは思えないのだけど、いつからあんなふうになってしまったのか……。と思ってたんですが、生のlive映像とかを見る限りあまり変わってないようで自分の報道からの刷り込まれやすさに呆れることがありました。

たとえばこれが現在のサンディエゴにおける奥半分がトランプ誕生日を祝うヨットパレード、手前半分がBLM(人種差別反対)デモらしいです。同じ場所に両者がいても暴動など起こらず成立してる感じ、といいますか。(プロレスに終始してる感じ、というか)







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