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お題小説『セピア色・僕と違う華奢な手・両想い』

 『思い出はセピア色』だなんてフレーズは、誰が言い出したんだろう。
 僕の記憶に残っている“あの日”は、まだ鮮やかに色付いている。決してセピアにも、モノクロームにもなっていない。だとしたら。もしかしたならば。
 ペダルを漕ぐ足に力を入れる。きっと間に合ってくれるはずなんだ。君が思い出になっていないのなら。

 発端はなんてことのない、いつも通りの“遊び”だった。
 七年前その日は、同級生のタクとリツとなっつん、それに僕を加えた四人で遊んでいた。古びた神社の横にある公園。初めはみんなが持ってきたカードやゲームで遊んでたんだけど、その内に隠れんぼしようという話になった。帰る時間が迫っていたから、四人という少人数なのは逆に都合がよかった。
 鬼になったリツから逃げるために、隣の神社の祠に隠れられないかと近付く。そこに、彼女は立っていた。
「迷い児かえ」
 子供のような、大人のような、そんな不思議な声だった。真っ白な着物に身を包んだ少女が、ゆったりとした足取りで近付いてくる。しゃらん、とどこからか鈴の音。
「主、かような社へと迷い込むとは、果たして吾に何用ぞ。枯れ、廃れ、誰とて足を踏み入れることはないと思うていたのに」
 一瞬、幽霊か何かかと思った。けど、体は透けてないし、真っ赤な草履を突っ掛けた足もちゃんとある。
「ええと……」何て答えたら正解なのか分からないけど「隠れんぼしてて、ここなら見つからないかなって」
 ひとまず、ここに来た理由だけ話した。少女は小首を傾げてから一つ頷く。真っ直ぐに切り揃えられた前髪と一緒に、肩の上まで伸びた黒髪が揺れた。さらりと音を立てそうなくらいに滑らかな動き。光を浴びて浮かぶ艶が、見事な輪になっていた。
「隠れんぼとな。それはそれは。この“かくりよ”ではさぞじょうずに隠れられようて」
 くすくすと。耳をくすぐるみたいな笑い声は、まるで僕のほっぺたをなぞるように掠めて空気に溶けていく。
「しかしのう、ここに居ては誰も主を見つけられまいよ。他の童と遊んでおったのであろう。疾く戻りゃれ」
「戻れって……そんなことしたら見つかるよ」
 隠れんぼしていたのに、そんなにすぐ出たら捕まってしまう。そんな不満を口に出したら、彼女は口元を手にした扇子で覆いながら笑った。
「よいよい。もう存分に時は経っておる。戻らねば戻れぬようになるぞよ。童どもも心苦しゅう思うていよう。疾く疾く。向こうへ」
 からかうような声に追い立てられて、小さな手が示した方向へ歩いた。振り返った時に見た金色の瞳と紅い唇が、僕の記憶にこびり付いた。

 それからしばらく、僕はその神社へ通い詰めた。その少女とはいつも会えるわけではなかったけど、彼女が気まぐれに現れた時には二人で話をした。どちらかといえば、僕が話すことを彼女が聞く方が多かったけど。
「主、名は何という」
 珍しく彼女が僕に聞いてきた。
「イチロ。数字の一と、路って書いて一路」
 聞かれたから素直に答える。よく『イチロウ』と間違えられるし、変わった名前だから自分はあんまり好きじゃなかった。
「一路か。良き名じゃ」
 ふふ、と彼女が笑う。祠の屋根にちょこん、と腰掛けている姿が可愛い。
 彼女が人間じゃないことにはもう気付いていた。でも、何か酷いことをされるわけじゃないし、こうして話している時間が好きだった。
「キミは? 名前って――」
 あるのかと聞こうとして、ちょっと失礼かと思い直した。人間じゃないからって、名前がないとは限らない。
「名はない。吾は“かがち”であるからの」
「かがち……?」
 聞いたことのない言葉だった。キツネとか、タヌキとか、そういう感じの存在だと思ってたのに。
「恐ろしいかえ」
 彼女の言葉に首を振る。“かがち”が何かは分からないけど、こうして話している彼女を恐いなんて思うはずがなかった。
「じゃあ、これから“かがち”って呼んでいい?」
「それは、一路を“童”と呼ぶのと変わらぬのう。しかし、名がないのでは致し方あるまいて」
 彼女はそう言って笑う。“かがち”が何か分からないまま、彼女は僕の『かがち』になった。

 それから数年、僕は成長し、小学校を卒業して中学生になった。友達と遊ぶことが増えていき、祠に寄る回数は徐々に減っていった。そうなると、かがちに会うこともなくなっていき、彼女との時間は夢か僕の妄想だったんじゃないかと思い始めていた。けど、聞こえてきた噂話に動悸が激しくなる。

 ――あの神社、取り壊しになるって。

 『あの神社』……僕が通っている中学の学区内。そこで取り壊されそうな神社なんて、一つしかない。
 行かなきゃ。そう思った。あの少女が、かがちが、思い出になってしまわない内に。

 誘いに来たタクに首を振って、不満げなリツとなっつんを振り切って、僕は自転車に跨った。自転車通学でよかった、なんて初めて思った。
 ギーギーうるさい音を立てるチェーンを気にする余裕なんかなかった。ただ全力でペダルを漕いだ。

 神社に着いて、誰も手入れしていない草だらけの境内に足を踏み入れた。鳥居を潜った瞬間に空気が澄んだような気がした。
「……一路かえ」
 鈴の音と同時にかけられた声。やっぱり年齢が読めない声音に、僕は俯いていた顔を上げる。
 かがちは、祠の上にちょこんと腰掛けて僅かに首を傾げていた。
「人の成長とはかくも疾きものかいな。童と呼ぶにはあまりに大きいのう」
 善きことじゃ、と呟いてかがちは祠から降りた。よくない、と僕は胸の中で呟いた。成長したことで、僕とかがちの間にある『違い』がハッキリとしてしまうから。
「……かがち」
 絞り出した声はあの頃よりずっと低かった。かがちは祠から降りて僕の目の前に立つ。同じだった視線の高さは、もう揃うことはない。
「ここ、壊されるって――」
「そのようじゃの。されど、それが人の世じゃ。遷ろうものは致し方なかろうて」
 答えるかがちの手が、僕の頭を撫でた。僕と違う華奢な手。たったこれだけのことがまた、彼女と僕の間の『差』を突き付けてくる。
「もう、会えなくなる……?」
 僕と違う彼女がこうして『かがち』でいられるのは、きっとこの場所だけだ。ここが消えてしまう事実を否定して欲しくて尋ねたけど、かがちは寂しげに笑う。
「そうやもしれぬ。そも、この“かくりよ”でなければ言葉を交わすこととて易しゅうない。さりとて――」
 言葉を切って、かがちは僕の手を取る。ひやりとした白い手は、哀しくなるくらい滑らかだった。
「想いが通じておれば、何時かまた相まみえることもあろう。吾には飽くほど時もある」
 合わせた瞳にも、重ねた手にも、温もりはない。それでも、僕と同じ想いを彼女も持っているんだって確信があった。
 同じ想い――両想い、っていうのとは多分違うけど、それでも通じ合っている。このまま想いを持ち続けていれば、いつか。
「僕、忘れないから」
 また出逢う『何時か』のために。
「ならば、吾は待とうぞ。路が一つに重なる時まで」
 それまで、息災であれ。鈴の音と共に声は小さくなっていく。
 そうして、僕は“かくりよ”への路を完全に失った。

 ――時が経った。神社は取り壊され、町の様相も徐々に変わっていった。思い出の場所は、今ではほとんど消えてしまっていた。
 僕は人として平穏に過ごせたと思う。
 学生時代は気のおけない友人と共に過ごし、気が付けば大人になっていた。クラスメイトに淡い恋心を抱き、見事に失恋したのもいい思い出だ。
 就職を期に地元を離れ、そこで結婚もした。家庭を持った。娘にも恵まれた。その娘は今や二児の母だ。
 今はもう地元に戻っている。はじめの内こそ妻に渋られたが、僕の両親を看取る頃には彼女もこの土地に慣れたようだ。いつの間にやらできた友人と合唱サークルだ、絵葉書教室だ、と忙しく遊び回っている。
 今日も今日とて、妻は三軒隣の奥方と共に市民会館へと足を運んでいた。僕は家に一人残されるのに倦んで近所の公園へと来ている。特に何があるという訳でもないが、窮屈な家の中よりも気分はいい。
 春。まだ初夏には届かない気候は眠気を誘ってくる。ベンチに腰掛けて微睡みかけたその時、足元に白い縄のようなものが見えた。
「……蛇……」
 白蛇だ。縁起が良いと言われるその姿を認め、ふと違和感を覚える。
 鎌首をもたげた蛇はこちらをじっと見つめている。爬虫類が苦手な僕は、ゆっくりベンチから離れようと腰を浮かせたところだ。だが、動けない。
 恐怖からではない。その金色の瞳に見覚えがあったからだ。
「かがち……」
 口から溢れたのは蛇を示す古語。そうだ。彼女は『かがち』と呼ぶ僕に、僕を『童』と呼ぶのと変わらないと言って笑ったのだ。
「そうか……ここだったんだね……」
 あの古びた神社――“かくりよ”への入口は。
 白蛇に手を差し伸べる。かがちはその手へと視線を向け軽く舌を出していた。
「僕は、忘れてしまっていたんだ……薄情な童だね」
 大切にしていたはずの思い出だった。忘れないと彼女に誓ったのに。
「ありがとう。思い出させてくれて」
 このまま路は交わらず終わってしまったかもしれない。それを、ほんの僅かでも重ねてくれたのか。
「また逢えて嬉しいよ」
 あの時の少女の姿ではなくとも、僕にとって『かがち』は想いを通じ合わせた相手だった。
 白蛇は差し伸べた手に鱗を擦り付ける。その滑らかな感触は、冷たいはずなのに確かな温もりを胸に残した。
 白く輝く鱗は僕の手を離れ、草むらへと消えてゆく。完全に見えなくなってしまうまで、僕はかがちの姿を目で追い掛けた。
 そよ風に乗って、どこからか鈴の音が響いていた。


 メルヘン!!(!?)
 今回も『お題.com』さまからお題をランダムで3つお借りしました。思いの外長いお話になりましたね。これはもうSSじゃない……短編だ……
 お題の単語がノスタルジックな感じだったので、それを活かして書こうと思いました。で、『両想い』を単なる恋心ではないものにしよう、と考えたらこれだよ!
 ちょっぴり切ない人外との交流。SF(すこしふしぎ)です。うろこの好みが出てしまいました。半神の白蛇で古風な喋り方。うん。良きです。

 久しぶりのお題小説だったからか、だいぶ長文になりましたね。できればSSくらいの長さで話をまとめたいところ。こればっかりは鍛錬です……難しい。

 というわけで、久々のお題でした。いずれまた挑戦したいと思います。
 ではではー、またお会いしましょう。洞施うろこでした。


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