13_亡き父の言葉と心の支えとなる娘の言葉

亡き父の言葉と心の支えとなる娘の言葉

まだ強迫性障害だと分からなかった頃
私の両親や親戚や友達に何度も電話をして
強迫性障害の巻き込みをしてしまっていました。

私が一番苦しい時に両親が亡くなってしまい、
これ以上 甘えてはいけないと思い電話番号と住所を変更しました。
そして私から連絡を断ちました。
それと同時に、思い出の物を全て捨てました。

たくさんの繋がりと思い出を一度に失いました。
こうするしかありませんでした。
悲しいですが、
自分のことより他人のことを優先してしまう性格なので、
私がその選択をしたことは良かったと思っています。

今は亡き父が言っていた言葉ですが
私はその頃どん底で あまり会話も覚えていないのですが
唯一覚えているのは、

「病気になったら治るまで病気になった期間と同じ時間がかかる」

「紙を1枚1枚ゆっくりめくっていくような感じで何も考えずにぼーっとして過ごせればいいんだけどな」

と言われたことです。
たぶん父が私の病気(※この時はまだ強迫性障害とは診断されていない)について調べてくれていたので、そういう言葉を言ってくれたのだと思います。

父は私を外に連れ出したほうが良いと思っていたのか、
散歩や外食などに連れて行ってくれましたが、
その頃は睡眠もできず、体力もなく、
表情も暗く、会話もうなずくだけしかせず、
食べる事もほとんどできない状態だったので、
食事はスプーン1杯ほどしか口にできませんでした。

父が一生懸命してくれることに感謝はしていましたが、
私は外に出たくなかったので、
つらいと思う気持ちが大きかったです。

私はただ息をするだけで毎日死にたいと考えながらも子供の事を思うと、
生きなければという思いで必死で生きていました。
その頃、まだ子供は小さかったのですが
「こんなお母さんは、もういないほうがいいよね?」
と娘に聞いたことがあります。
すると娘は、

「どんなお母さんでも、
私のお母さんだから生きてくれているだけで嬉しいよ」

と言ってくれました。
だからどんなに死にたいという気持ちになっても、
娘の言葉が浮かんでくるので
頑張って今も生きているのだと思います。

今は娘だけが唯一頼れる存在となっています。
もしも娘が私より先に亡くなってしまったら誰も頼れる人がいません。
今は頑張って生活していますが、二次障害の強迫性障害を発症してからは一人では何もできなくなってしまったので、もしその時がきてしまったら、自ら命を絶つと決めています。

広汎性発達障害の二次障害として
発症してしまった強迫性障害は本当に苦しいです。

私に質問などありましたら、
広汎性発達障害や強迫性障害で苦しんでいる人、
支えている人、お気軽にコメントください。
内容によってはお返事できない場合もあります。

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うろちゃんと娘ちゃんをサポートで応援していただけましたら、いろいろな事にチャレンジするための費用として使わせていただきたいと思っています。