マガジンのカバー画像

うろちゃんの動画

54
YouTubeにアップロードした動画の記事をまとめています。
運営しているクリエイター

#大人の発達障害

亡き父の言葉と心の支えとなる娘の言葉

まだ強迫性障害だと分からなかった頃 私の両親や親戚や友達に何度も電話をして 強迫性障害の巻き込みをしてしまっていました。 私が一番苦しい時に両親が亡くなってしまい、 これ以上 甘えてはいけないと思い電話番号と住所を変更しました。 そして私から連絡を断ちました。 それと同時に、思い出の物を全て捨てました。 たくさんの繋がりと思い出を一度に失いました。 こうするしかありませんでした。 悲しいですが、 自分のことより他人のことを優先してしまう性格なので、 私がその選択をしたこと

詳しい検査をせず医者の判断で決まった広汎性発達障害

私が広汎性発達障害と診断されたのは医者の判断のみで、 心理検査・知能検査といった詳しい検査は受けていません。 以前病院(精神科)に通っていた時に、医者からは検査の事について何も聞かされていなかったので、そのような検査があることはつい最近YouTubeで知りました。 自分自身の障害について まだまだ分からないことが多いのでYouTubeを通して発見がたくさんあり、とてもありがたく思っています。 今は強迫性障害の症状が酷くて外出ができず病院に行っていませんが、 過去に行っていた

自分を褒める事ができず否定的に考えてしまう

私は自分を褒めることをしません。 世間一般でできて当然のことができなかったり、 動作が遅かったりする自分を好きになれません。 周りの人に褒めてもらっても、 自分を認めることができないので喜べません。 という事を娘に話したら、 「どんな些細な事でも出来たら自分自身を褒めてみるようにしてみて!」 ・・・ ・・・。 なかなかできません。 なんでも否定的に考えてしまいます。 二次障害の強迫性障害を発症してからできなくなった事が増えて、 できない自分を責めることが多くなってしま

うろちゃんの名前の理由そして不安な時は

「うろちゃん」という名前の由来まずこの名前はハンドルネームです。 本名とは全く関係がありません。 自分自身の事を発信していくうえで名前が必要になり、 どんな名前にしよう?と考えた時、 広汎性発達障害の二次障害で発症した強迫性障害による症状の不安やパニックにより、私の場合はうろうろ歩き回ってしまい、いろいろな事が気になり確認したくなるので、しばらくうろうろ行ったり来たりしてしまいます。そういう理由で「うろちゃん」という名前になりました。 強迫性障害の症状で不安になった時まず朝

うろちゃんの気持ちに変化が出てきた

この変化が今抱えている強迫性障害に今後どう影響していくのか。 YouTubeで動画投稿を始めてから、 私の心の中にある膿が少しずつ出て行っているような気持ちの変化を感じるようになりました。 この気持ちの変化が私の強迫性障害の症状に対して 今後良い方向に向かっていけたらいいなと思っています。 今まで何度か娘とブログか何かで発信していこうかというような話はしていました。ですが過去の事を書くために思い出したり、苦しい状況を記録に残したりというのがその時はつらくて、なかなか実行で

強迫性障害で人生が180度変わった話

広汎性発達障害の二次障害で、 強迫性障害を発症してから人生が180度変わってしまいました。 どのように変わってしまったのか? 少し過去にさかのぼってお話します。 約20年前のうろちゃん 元気な頃の私は、家にいるよりは外に出るのが大好きで 娘と一緒に外出する事が多かったです。 おしゃれをしたり、買い物をしたり、掃除や家事全般できていました。 そんな毎日を過ごしていたら異変が起きました。 うろちゃんに起きた異変 夜 眠っていると、突然息苦しくなり飛び起きました。 呼吸をするこ

広汎性発達障害と二次障害の強迫性障害に苦しみ生きていく毎日

初めまして。 大人になって広汎性発達障害と診断され、 それからいろいろあり、 二次障害の強迫性障害を発症してしまいました。 約20年間、毎日苦しんでいます。 いろいろな病院へ行きましたが医者からは見放されました。 その時に処方された薬は全く合わず今は飲んでいません。 認知行動療法は実行すればパニックが起きてしまい、 何度も自殺してしまいたい気持ちにまで陥ってしまうので 怖くてできません。 何もできない状態で現在も改善する様子がなく困っています。 私の強迫性障害の特徴は、