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絵を描く、と私の関係性

 私はなぜ絵を描くのか?私は絵を描くことが好きなのか?かなりの頻度で絵を描いてネット上にアップしている人間が今更考えることか、と思う人もいるかもしれないが、今日はこのことについて考えてみる。

この問いを立てたタイミング、的な
 昨晩、布団の中でふと思った。他の、絵を描く友人らの少なくとも2、3人は絵を描くのが好きと明確に思っているらしいけれど、私はどうなのだろうか?と。これだけ毎日、原稿やら他の絵やらを描いているが、明確に好きと思った記憶が見つからない。また、絵を描いていて、苦しい瞬間は少なくない。そのため、本当に好きでやっているのだろうか?何のためなのだろうか?と思い、このことについて考えるに至った。

私は絵を描くことが好きなのか
 好きじゃないことを一日に何時間もするか?毎日するか?という点で言えば、私は絵を描くことが好きと言えるかもしれない。でも、好きと思わないことでも長時間する場合はあると思う。ネットサーフィンやソシャゲの周回を、好きというわけではなく毎日何時間もする人は確実に存在するだろう。私にとっての「絵を描く」もそれと同じことなのではないか、という考えがよぎった。惰性でこれだけ時間を溶かして目を疲れさせているとしたらと思うとゾッとする。
 女性を描いている時間は、本当に楽しい。進んで描いている感じがする。男性を描くのも楽しい。積極的に描きたい!とは思わないが気が向けば、のスタンス。だけど風景とか物とかは楽しくない。女性を描いてる時の、ほっぺが綿飴になって悶えるようなあの感覚がない。
 ここで、この文章での「絵を描くことが好き」の定義をあげる。狭義の「絵を描くことが好き」を、「絵を描くという行為全体が好き」とする。広義の「絵を描くことが好き」を、「絵を描いていて、その行為を好きと思えるときがある」とする。私の場合は、狭義には該当しないが、広義には当てはまるだろう。絵を描くという行為の中にも、苦になるものが含まれているが、好きなものを描いているときは間違いなく楽しんでいて、好きだ。
 また、私は余程忙しくない限り、毎日絵を描いている。通学中に空いている電車で描いたり、外で時間を潰さなければいけないときに晴れた公園で描いたりもする。外出中の暇つぶしとして、読書やネットサーフィンなどがあるが、それらではなく絵を描くという行為を選び取っているのではないか。そう考えれば、私の「絵を描く」という行為は惰性だとはとても思えない。
 上の二段落より、私は惰性でなく自分の意思で絵を描くことを選び、女性を描くことを心から楽しんでいるようだ。そのため、私は絵を描くことが好きであると言える。

 ここまでで、私は絵を描くことが好きであるという結論が出た。しかし、ある行為を好むことと、ある行為をすることは全く同じとは言えない。私は線香花火をするのが好きだ。けれど、線香花火を常日頃するわけではない。私が絵を描くことを好んでいるのは、私が絵を描く理由の一つであると考えることはできるが、理由はそれだけではないのではないかと考えた。

私はなぜ絵を描くのか
 そもそも、私が絵を描き始めたきっかけは何か、タイミングはいつか。幼少期に絵を描くことは珍しくない。そして、そこから少しも途切れずに絵を描いてきたと認識している。そのため、きっかけもタイミングも正確なものは分からない。しかし、絵に対しての物心、とでも言えばいいのだろうか。そのようなものが芽生えたのは、小学3年生のときだと思う。
 3年生の夏、私は小学校の友人から「二次元」を勧められ、見事にハマった。その友人が初音ミクやらIAやらを、萌えアニメ系の絵柄で描いていた。同じ風に描こう、という気持ちこそなかったけれど、知らず知らず影響されてそのような絵を私も描くようになった。そして、そのときに初めて「上手い/下手」という概念をまともに意識したように思う。友人とのその出来事は、「私が絵を描き始めたタイミング ver.2.0」という表現が適当だろう。
 では、「私が絵を描き始めたきっかけ ver.2.0」は何だろうか。友人が絵を描いていても、それだけで、自分もそうするきっかけになるとは考え難い。きっかけは、やはり「可愛い女の子」ではないだろうか、と私は考える。それは、私が初めてボカロ曲を聴いたときに、初音ミクの絵を見て思ったことだ。可愛い女の子が可愛い。それが原動力となったのだろうと思う。
 私は自分で思っていたよりもはるかに、可愛い女の子を原動力にしているようだ。しかし、それもまた、理由の一つに過ぎないだろう。そう思うのは、私はネット上に自分の描いた絵をアップしているからである。もしも私の、絵を描く目的が「可愛い女の子を描いて愛でて満足すること」だけであれば、誰が見ているかも分からないようなインターネットに絵を晒すことはしないだろう。ネット上に絵をアップして私は何がしたいのか、というところからも、絵を描く目的を明らかにできるのではないか。
 私は、twitterで絵にいいねやRTを貰うと嬉しいし、pixivで絵にいいねやブックマークを貰うと嬉しい。しかし、他者からの好意的な反応を貰うぞ、と意気込んで絵を描いているわけではないように思う。むしろ、絵を描いているときには、他者のことは頭から完全に抜け落ちている。恐らく、私は絵を描いているときには、評価を目的にはしていない。書き終えた後にようやく、こんなに自分が満足する絵なのだから、多少なりとも好意的な反応を貰えるかもしれないと思うのだ。しかし、好意的な反応を貰えた後には、絵を描くモチベーションは確実に上がっている。新たな絵に手を付けるときのきっかけになっているという点においては、他者からの評価も、絵を描く理由の一つではあると言える。
 けれど、他者からの評価が振るわずとも、絵を描く手を止めたり、ネット上に絵をアップしなくなったりすることは、今のところはない。そのため、評価はどうであれネット上に絵をアップするところまでを、自分が満足するための「絵を描く」という一連の行為に組み込んでいるのかもしれない。それなら、絵を撒き散らしたい、という気持ちも絵を描く理由の一つと言えるかもしれない。
 ここまでで、複数の理由が出てきた。もちろん、自分で認識していないだけで、他の理由が存在する可能性も十分ある。

まとめ
 私の「絵を描く」という行為は、複数の動機に支えられている。そして、その中でももっとも強固な動機はやはり「可愛い女の子」だろう。
 絵を描いていて苦しいと感じることはある。今日では、自分よりも能力のある人間をたくさん見ることはインターネットにより容易なものとなっている。それにより劣等感や嫉妬、自己否定の感情が湧き上がることも少なくない。しかし、それでもなお筆を置かないのは、好きなものを好きな風に描くという行為を本当に好んでいるからなのだろう。この文章を書き始めたときの私は、私が本気で「私は絵を描くことが好きなのだろうか」という疑問を持っていると思っていた。だけどもしかしたら、この文章を書き始めた時の私も、絵を描くことが好きであるという事実を知っていたのかもしれない。そして私は、毎日絵を描くせいで死ねないのかもしれない。