おっぱいと水虫みたいなエッセイを書けたらな。
自分は将来どうなりたいかなぁって考えた時、まずピンと来たのが文章だった。
絵も音楽もできない僕はこうして万人に与えられた「文字」という道具がとても気に入っていた。これのおかげで今更な反抗期を穏便(?)に過ごすことができた。ありがとう。
そうして今も文章を書いているのだが、今朝は書こうと意気込んでいたものの何を書けばいいかもわからず、諦めた。
テーマはあってもそれがオチになるか分からず、書く前から筆が止まる。あーむりってなる。
経験からオチまでが長すぎる。これでは文章で仕事をもらうなんぞ叶うわけがない。文章を生み出すシステムをなんとか変えなければ。
僕の文章の作り方
僕は何かしらの経験をして、それを1週間ほど考え、自分の学びにできた物を文にする…という流れ。
料理で例えるなら、仕込んで(経験する)、調理して(考える)、盛り付け(執筆)の順。文章にするのは盛り付けの作業だ。これが早い時は1時間ほどだが、3ヶ月とかの時もある。
つまり、調理しようのない経験もあれば、盛り付けに挫折した考えもある。
しかし文章で飯を食いたい僕はそんなこと悩んでいてはならない。
なんとかして経験から執筆までのターンを短くしたい…
先人に学ぼう
この状態から脱却すべく、本屋のエッセイコーナーに行く。そこにはエッセイの王女、さくらももこのコーナーが。
駆け寄り、手頃な一冊を開く。
さくらももこさんは、調理や盛り付けをどうやってるのだろうか。
ワクワクして開けると、腹を思いっきり殴られる感覚に襲われた。
第1章は自分に特大の水虫ができていた話だったのだ。
なんだそれは…いやきっと中には深い話があるはず。その淡い期待も虚しく、自分の皮膚を養分に精力を拡大する水虫の話が清々しく綴られていた。
…
他も見てみよう。まだ学べる人はいるはずだ。次はすこし前に読んだ星野源さんの「蘇る変態」を手に取った。
僕のお気に入りの一冊。さて、一章目はなんだっただろう。
そして僕は二度目のパンチを喰らうことになる。
一章目は「おっぱい」だったのだ。
もちろん深い学びなどない。多忙極まりない源さんが、おっぱい触りたいなぁと呟く話だ。
水虫とおっぱい
…水虫におっぱいときた。
もう答えは出たのだ。彼らは調理も盛り付けも何もない。徒然と書くのだ。思ったことを。考えたことを。
なんというか、少しグロいなと思った。
いつも何かしらの学びにして発信していたが、それはどうもインチキ臭く感じて、なにより筆が進まない。
僕たちは案外何も学んでないのかもしれない。学ばなくてもいいかもしれない。
こう書くと語弊しかない気がするが、なんというか
うわー水虫できたなー、おっぱい触りたいなぁ
みたいな感情をそのまま。そのまま描くこと。描ききることなのだ。
エッセイとはつまり…
待ってくれ、結論とか学びにわざわざ持って行かなくていいと知ったじゃないか。
ということでしばらくはそんな文章を書いてみまーす、というエッセイでした。
みんなもしっかり足を洗って、適度にエロくいきましょうね。
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