りゅうちぇるの訃報、ギャルの嘔吐。
りゅうちぇるが死んで1ヶ月が経つ。
時の流れってのはやっぱり残酷で、あんなに世間をざわつかせた彼(ここでは生物上の定義として"彼"と呼ばせていただく)の訃報も束の間。
世間は優雅に花火を打ち上げ、2023年の夏を満喫している。自らの生存を讃えるように、あるいは誰かへの弔いかのように。
っとまぁ厨二な文章はこのへんで置いといて、今日は彼の訃報を知ったあの日のことを書こうと思う。
なぁに、重い話ではない。
どこにでもある、
僕の目の前の女性が地下鉄で嘔吐し、そのまま立ち去った話だ。
ある日、地下鉄にて。
彼の訃報を目にしたのは深夜の地下鉄の中。22時ごろとかだっけ。本屋のバイトが終わり今晩何食べようかなとか、明日は何しよっかなとかぼんやり考え、慣れた手つきでツイッター(ここでは世間一般の定義としてツイッターと書かせていただく)を開くとそこにはとってもシンプルに
"タレント りゅうちぇる氏 自殺"
自殺した理由はなんとなく想像できるし、どこかこうなるんじゃないかと思っていた自分もいて、なんとも言えない無力感に襲われた。ファンだったとかそういうわけでもないが、やっぱり誰に関わらず死ぬのは悲しい。
トレンドも先ほどのフレーズが独占。もっともタイムラインが賑わう時間でもあったので、何者でもない何者かがあったこともない人の訃報をネタにさまざまな思想を叫んでいた。なんとなくエヴァ量産機が2号機を食べてるシーンを思い出した。
ツイートは主に3種類。
「御愁傷様」系
これが8割だった。原因が何にしろ、尊い命がこの世を離れたというのは事実。その事実を見て、冥福をお祈りする人々。思うことは色々あると思うけど、それを書かず、発信せず、ただ祈る。素敵だ。
りゅうちぇるは被害者 系
りゅうちぇるさん本人にはものすごい批判のDMが来てたことだろう。生前の彼の名前を調べても正直いいツイートはない。それにメンタルやられてるのは想像しやすい。しかし一部の「お前が悪い」系はそれを絶対的正義とし、数年前のアンチツイートを探しては晒しあげ、いいねでボコボコに殴る。「息してる?www」とか平気で言う。怖い。
りゅうちぇるは加害者 系
事実として彼は結婚し子供を持った。そしてもっと自由に生きたいとかで、子供をパートナーに預けて離婚し、好きな格好で仕事に向き合っていた。彼がどんな思想でそういう行動をしたかはわからないが、側から見たら無責任で自由翻弄と捉えられても致し方ないだろう。そういう生き方を選んだのだから。
それに対して「残された家族の身になって考えてみろ」というシングルマザーさんのツイートを拝見。
言い方は置いといて、これもまた一つの意見。肝心のパートナーがどう思ったかはわからないが、シングルマザーさんは極めて近い立場だろう。
…僕は彼の死をどう思ってるんだろうか。多分だけど「御愁傷様」系は言葉にしていないだけで、この二つのどちらか。だから僕も彼の死をただ眺めるだけで終わりたくない。
彼は加害者なのか被害者なのか。
その答えをタイムラインを地下鉄の席に座りスワイプさせて探していると、隣の人たちがゾロゾロ席を離れる。
そして始まる異臭。酒の匂いだ。
その時、地下鉄にて。
スマホにピントが合っていた僕の視界の背景にはドロドロとした液体が電車に揺られ、こちら側へ流れてくるではないか。
僕は当然こちらにも驚き、誰かが避難して空いた隣の席に移り、この現場をあらためて見つめた。
その液体は間違いなくGERO。それの詳細はもう書かないので安心して読み進めてくれ。そしてその主は僕の前に座っていた小太りの金髪な女性。おそらくどこぞで酔って、明日の仕事には間に合わせたく思い途中で抜け出し乗車したのだろう。寝ていた。寝ゲロだったのだ。
ざわッとした雑踏で目が醒めた彼女。口元を拭うと、停車した駅に驚いて慌てて下車。
その時の自分が何をしたかはわかっていたのだろうか。ともかくせっせと降り、車内にはGEROと僕含め数名の乗客だけが残された。
みんなGEROがこっちに来ないことを願い注意深くそれを見ている様子は少しシュールだった。
一駅くらい過ぎ去ってから、現場に動きがあった。
見かねたおじいさんがティッシュを取り出し、掃除をし始めたのだ。
床を拭き、席を拭き、手すりを拭き。
洗剤も使わず拭くという行為は公共交通的にOKなのか?とおもいつつ、とりあえずは掃除をしていた。
そして、いつの間にか避けていた人たちも手伝い、ティッシュを渡し、ビニール袋に入れて、処理は終わった。
終わったのだ。
これは救いである。
さて、芸能人の訃報と地下鉄のGERO。一見異なるようだが、似ている部分がある。
本人が現場にいないということだ。
りゅうちぇるが何を思って死んだかは知らないが、慈悲深く家族思いな人だ。自分がいなくなってからパートナーや仕事仲間にかける負担や迷惑は知っていただろう。
GEROの人も、流石に自分がしたことはわかっているはず。そしてそれを誰かが片付けると言うこともわかっているはず。
りゅうちぇるの仕事や責任の後始末がどうなるかはわからないが、後者のGEROはこうして乗客が手を汚して片付けた。
おそらく彼の子供も、パートナーがちゃんと立派に育てるんだと思う。
これからわかることは二つあって、
・逃げるんじゃねぇ。人に迷惑をかけるな。
そして
・逃げていい。誰かがなんとかしてくれる。
りゅうちぇるは生き苦しかっただろうし、GEROの人は吐きたかっただろうし。でも彼らは事実として解放された。間違いなくりゅうちぇるは自由になったし、GEROさんもすっきりしたことだろう。
あとのことなんで知らない。
とにかく解放されたい、自由になりたい。
これを素直に実行した。僕はそんな彼らが少し羨ましく思えてしまったのだ。
「あぁ、あそこまで自由に生きれたら楽しいだろうな」って。
これはゴリゴリに日本人的な思想を植え付けられた僕にとって彼らのような存在は、どこか救いのように思えた。
…
だからと言って、これを読んでいるあなたに「彼らみたいに自由にいきましょう!ガハハ!」と肩を組みたいわけではない。
しかし、そういうモラルとか迷惑とか責任とかをぶっ飛ばして生きている人もいるといこと。
そしていざとなれば、そういう生き方をしてもいいということ。
これは現代人へのエールのような気もする。
…彼の死からそんなことを学んだことにしておく。
今年も夏が無責任に暑くて何よりだ。
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