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19歳だんし、Ayaseさんの新曲で泣きました。

好きな音楽家は誰かと聞かれるとニコニコ界隈で育った僕は、Ayase さんと答える。YOASOBIではなく、Ayase だ。パソコン一台から作る彼の音楽は、繊細さと、迫力、そして人間のもつ心の弱さを丁寧に語りかけてくる。ときたまに僕は彼の作品を「聴く織物」と表現したりもする。とにかく、とっても、とっても丁寧な音楽を作るのだ。Ayase さんの説明については後ほど軽く触れる。どうかこのまま読み進んでもらえるとありがたい。

…そんな彼のAyaseとしての新曲、「シネマ」が昨晩公開された。

普段、洗面所の光や、机のスタンドといった間接照明だけで生活している僕の日常はいつも柔らかい光で包まれている。昨晩も部屋の明かりを消し、スタンドの光に寄り添うように仕事をして、一息ついたところで僕は彼の新曲の更新ツイートを拝見した。

閉じたはずのpcを再度叩き起こし、ツイートにペーストされた青い文字列をクリックして、全神経を画面に注いだ。

みんなにもここでみてもらいたい。

「シニカルナイトプラン」同様、ボカロの持つデジタル感を全面に打ち出したイントロと、ムービーは 間違いなく Ayase そのもので、毎日聴いているにもかかわらず深い懐古感に浸った。

食っては寝ての日常を繰り返していた僕には贅沢すぎるひと時だった。

曲の感想を述べるときりがないので、あとはみなさんの感想を僕は尊重したい。

切なさ、憂、焦燥

電子音の中に見える、こういったものを感じてもらえると本題に入りやすいかなと思う。

本題より前書きが長くなりがちな僕には珍しく今日はさくっと本題に入れそうだ。

今日は僕が彼の曲を聴いて、泣いた理由を話そうと思う。

人生は急に始まる。

「別に産んで欲しいって頼んだわけじゃない」

なんかの小説で、主人公とその親が喧嘩したときに彼が叫んだ台詞だ。反抗期真っ只中だった僕はそのことばに深く共感し、それと同時にその言葉の破壊力も感じた。(それゆえ使わないまま反抗期をぬけた)

僕らは生を一方的に受けたのだ。その主人公は「押しつけられた」とも感じたのではないだろうか。

しかも、赤ちゃんの頃から人生戦略を立てるわけではない。電車を好きになったり、プリキュアを好きになったり、本を読むようになったり、水着のおねーちゃんの色気を覚えるようになったり。その過程で礼儀だったり、友情だったり恋愛だったりといった必修単位をおさえ、僕らは社会人になる。というかなってしまっている。

そして一気に壁にぶつかるのだ。

自らの手で食べていくこと、愛する人たちを養うこと、夢を追うこと…

僕らの人生は壁にぶつかり、壁を知ることで、始まるのだ。

この壁に、現実に、ぶつかってからの時間を僕は人生と捉えている。

だれもが突然始まった、でたらめなシナリオの上で。

シネマのイントロはこのフレーズから始まる。

マリオカートのようにカウントダウンがあれば準備できるのだが、そんなことはなく、一方的に始まってしまうのだ。

得意なことなんてない、誇れることなんてない。…そんなの用意してない。もう少し時間があれば用意できてたかもしれないのに。

さて、そんなこんなで始まってしまう、人生。それを攻略する難易度はめちゃめちゃ高い。特に「いいね」がデフォルト化されてしまったこの世界では。

フォロワーだったり、いいねだったりの数字によって自分の価値を下されるようになってしまったこの世界。みんなそれが欲しいし、正直そこを「本当の僕を数字で判断しないで!」と嘆いたとてそれは負け犬の遠吠えにしか過ぎない。

誰もが今の時代の主役でいたいと望むようになった結果、インターネットは氾濫状態。

TikTok では人前では見せない格好で胸を揺らす女性たち

かたっぱしからヘイトを投げ、持論を語るTwitter

#丁寧な暮らし とかいう承認欲求まるだしのインスタグラム

注目を集めようと自らを偽る、彼らをみて僕は、焦燥だったり切なさだったりを感じる。

…そう感じてしまう自分がおかしいのかなとすらも思い始めた。

そしてかくいう僕も作品にいいねだったり、フォローだったりをされるとやっぱり嬉しい。

そして自分も彼らと同じような切なさや焦燥を感じていることにも気づいて再び絶望した。

好きなことと向き合っては、目をそらして人気の分野で演じてみようと思ったり。

…っとまぁ、例に漏れず僕自身も今の時代の主人公になることを夢見ていた。

少し語り過ぎてしまった。言語化とは難しいものだ。

何故泣いたか。

この曲「シネマ」は、

僕のような「主人公になることを渇望する人」に「もうお前が主人公なんだよ」と教えてくれたからだ。

曲の最初は

突然始まった人生と、フラッシュバックする後悔、現実逃避、自己実現、明日への期待。

終盤は

もう主役はお前だ。肩の力抜いてけ。いつか終わりはくるから。

と安心させてくれた。主役の椅子は一つだけではないどころか、もう僕は、そしてみんなは主役だったのだ。

終わりに

…ここまで読んでくれている人はどれくらいいるだろうか。正直書いてきた文章が成立しているか僕にはわからない。

でも、とりあえず世に発信してみる。文章が意味不明でも僕を救ったこの歌を、一人でも多くの方に聞いて欲しいから。

K.











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