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私が年賀状をやめるまで

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

我が家に来る年賀状の数が一番多いのは娘です。学校関係の友達から数十枚頂きます。多くが、また遊ぼうね!!今年も仲良くしようね!!という文字の踊る可愛いものです。

それに引き換え我々夫婦宛ての年賀状は二人合わせても10枚に足りません。手書きの言葉のついているものはそのうち2枚ぐらいです。かつて100枚を超える年賀状のやり取りもあったのですが。

我々が年賀状を頂かなくなったのには明らかな理由があって、10年ほど前から私が段階的に年賀状をやめたんです。
夫は「年に一度の挨拶ぐらい・・・」と寂しそうですが、年賀状を買って作成してメッセージ添えて投函する、などという一連の長時間作業を自分でする気はないので、私が「準備しません」となったらもうそれっきりです。こちらが出さなければ年賀状というものは年々減っていきます。10年かけて届く枚数は数えるほどになりました。だからといって社交の輪が狭くなったかというと、そういうことはなく、人間関係上の変化は何もありません。

年賀状を辞めたいな、と思ったのは15年前の秋に母が亡くなった時の経験と関係があります。

母が亡くなった時、私は父に替わって父母の関係者に母の好きだった百合の花をデザインした喪中はがきを送りました。

ハガキを受け取ってお悔やみの電話をくれる方もありました。しかし、喪中はがきの送り漏れだったのか、先方のうっかりだったのか、父に夫婦と子孫の総勢十数名の幸せそうな家族写真の年賀状をくれた方がありました。印刷された写真と宛名のみで特に手書きコメントなどはなかったので、「母の死を知らないぐらいだからあまり親しい間柄ではなかったのかもな。」と思いました。賀状のやりとりに全く興味を示さない父に替わって、私が「年賀状をありがとうございます。我が家はこういう事情で今年の年賀状は失礼します。」という文面のお礼状を差し上げました。

翌年、私は結構うーん、と考え込んでしまいました。

同じ方から全く同じ構図の家族写真の年賀状が父に送られてきたんです。で、お元気にされてますか?の一言もなく、写真と自分の家族の近況の文章が印刷されていました。進学しました、生まれました、夫婦で旅行に行きました、などなど。一年前に連れ合いを亡くした父への年賀状としては、あまりに情がない。きっと、数百枚の年賀状を業者に頼んで作ってもらって、送る相手それぞれの顔を思い浮かべることもなく投函してしまっているんでしょうね。悪気はないのでしょう。

父はまったく気にしてませんでした。でも、私は地味に傷ついたんです。

その時父に孫はまだいませんでした。私は東京住まいで、弟たち夫婦は父の近くにいましたが父の生活には無関心でした。父は孤独だったんです。それを私は自分の責任のように感じていたので、子や孫に囲まれた幸せな老後の姿を無邪気に送ってくる人の気持ちを残酷に感じました。なんだか父に対して、あなたのことなんて興味ありませんよ、ってわざわざ伝えられたみたいだと思いました。お体大丈夫ですか?おひとりになられて心配してますよ、という旨の一言があれば、また印象は全然違ったんだろうと思います。

そんな自分の気持ちに戸惑っていた矢先、大学時代の友人とひさしぶりに会いました。

彼女は「年賀状が怖い」と私に言いました。

彼女は恋愛や結婚に悩んでいました。あの人が結婚した、あの人には子供が生まれた、そうやって周囲の人にはどんどん新しい変化が生まれているのに私は変れない。両親がなにげなく「ああ、あの子はお母さんになったんや」とつぶやくのが辛い。

私はこれを機に年賀状を出すのに慎重になりました。

ひとりひとりの状況にあわせた年賀状をデザインし、文章を書くようになりました。子どもの写真を喜ぶ親戚の高齢者には子供の写真を、学生時代の思い出を共有する友人には懐かしい話を、子どもがいる人には「もう5歳ですね!」などお子さんの成長をよろこぶ言葉を。

でもそんなの何十枚も書けないですよね。
だんだん書く枚数は減り、忙しさも手伝って10年前ぐらいから本当に言葉を贈りたい人にはメールを送るようになりました。

それで今にいたります。

色んな事情があって疎遠になっているけど、愛や情をもって思い出す人は私にもあります。そういう人との交流として年賀状はよいものだなぁと思います。

でも自分から発信したい愛も情もないのに、また相手が自分のことを思ってくれているとも考えていないのに、真実であれ虚像であれ「私は幸せです。」というメッセージのみの年賀状を送るメリットってなんなんでしょう?

自分のことを人に伝えたい時があるのはとてもわかります。私も子供が生まれた時などは「この子がここに存在してます!」と人に伝えたいと思いました。ただ、その時に相手の状況への関心も同時にないと、思いもかけず誰かを傷つけることもあります。

誰かの幸せを妬むとか、そういう卑しい話ではありません。
誰かが自分の人生の豊かさに夢中になることが、誰かの孤独を際立たせてしまうことがあるんです。

だからお願いです。
年賀状を送る相手が、現在遠くにあればあるほど、どんな気持ちで今を送っているかはわかりません。

「元気にしてる?」「会いたいね。」「大好き!」

自分の近況を伝えたいとき、相手を思いやる言葉を一言、添えてあげてください。

相手に書き贈る言葉も(顔さえも)浮かばない時は、そこにもう賀状を贈るに値する愛はないと、個人的には思います。

そして年賀状を送らないことと、愛がないことはイコールではありません。

年賀状は送らないけど、私には頭に思い浮かぶ、言葉を贈りたい好きな人がたくさんあります。



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