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映画鑑賞の記録 「クレイマー、クレイマー」~親子愛とは別のこと~

「クレイマー、クレイマー」(原題: Kramer vs. Kramer)1979年
出演:ダスティン・ホフマン , メリル・ストリープ 
監督: ロバート・ベントン

昔見たことある映画だからストーリーを知っているよ、って思っていた映画を改めて見たら結末が記憶と違っていた!という経験 がある人いませんか?

私の「クレイマー、クレイマー」はまさにそれでした。最初に見たのは20年ぐらい前だったような気がします。結末の記憶違いのみならず、当時の私の映画の理解も現在の私の理解とは全然違うものでした。

名作として名高い映画なので多くの人がだいたいのストーリーを知っているでしょう。時は1970年代。”平凡な3人家族の主婦がウーマンリブに目覚め、夫と子を残して家を出てしまう。仕事人間だった残された夫は慣れない家事育児に悪戦苦闘。その奮闘の中で息子との絆や人間らしさを取り戻していくハートウォーミングストーリー。”というのが20年前の私の理解でした。そしてラストに悲しくも子供は母のもとに去ってしまう、と記憶していました。

まず、ラストは私の記憶違いでした。そんなに単純じゃなかった。

でも、なにより私が衝撃だったのは、私はこの映画を良い映画だと思っていたにもかかわらず、半分しか理解していなかったと気づいたことでした。

父と子が絆を結んでいく過程が映画の大半を占めるエピソードなのだけれど、そのエピソード通して描きたかったのはむしろ、主人公の元夫婦が「自分と世界」の関係を再構築することなのだと、今の私にはそう理解できます。映画の中でふたりが、仕事、友達、子供、人生の優先順位、自身の過去等との向き合い方を変えていく様子が随所に描かれます。

特に印象的でとても心打たれた場面があります。元妻のジョアンナが一度は譲った親権を取り戻そうと画策し、元夫婦は法廷で争います。その法廷でジョアンナは離婚の原因について、自分も仕事をしたいと訴えても元夫テッドに聞き入れられずうつ状態に陥ってしまった、辛かったと切々と語ります。彼女は自己嫌悪により自分は母親失格だと思い一人で出奔したが、経済的に独立し精神的にも立ち直った今、やはり自分は子供と暮らすべきだと考えるに至ったと主張します。しかしテッドの弁護士がジョアンナに反対尋問をする中で、彼女もまた人間関係に不器用な人間であることがなんとなくわかってきます。テッドの弁護士は叱りつけるように彼女に問います。「あなたの人生の中で両親に次いで長く親しい関係を続けられたのは元夫だけだ。その最も大事な人間関係を壊してしまったのはあなた自身だ」と。ジョアンナを演じるメリル・ストリープがそう問われてハラハラハラと涙を流すシーンは胸が締め付けられます。その不器用さが彼女にとっても自覚的な弱みであることがよくわかります。そしてテッドもそれをどうやら知っているのです。テッドは「(反対尋問の内容が)厳しすぎる」とジョアンナに同情します。ふたりはお互いを全く理解できない性格の者同士ではなかったのですね。ただ、互いに自分だけを見つめていたから、関係を作ることに失敗したのです。


この映画では主人公の変化をみせるために冒頭と終盤での対比を狙った演出がいくつかあります。有名なシーンとしてはおなじみフレンチトーストのシーンですが、その他に、映画の冒頭でテッドがジョアンナの気持ちに無関心にキスをするシーンがあります。しかしラストシーン、おそらくそのキスとの対比として、思わず、といった風情でテッドがジョアンナを抱きしめるシーンがあります。子供への愛ゆえに心引き裂かれる選択をしようとするジョアンナの痛みを、テッドが我が事のように感じた瞬間を見せているのだと思いました。


夫婦だった時に痛みを分かちあえなかった二人は、役割を背負い合う夫婦としてではなく人間どうしとして向かい合い、子供を愛しむ経験を共有して、はじめて互いの痛みを分かち合うことができたということを象徴するシーンだったのだと思います。


それが物語の結末としてどれほど美しいことなのか、20年前、若者だった私にはわかるべくもなかったのです。

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